ヒカルの碁 君の花精次編さらさらと〜6〜10
さらさらと〜6

「赤ちゃんなんて五月蠅いだけでしょ?」
 芦原は緒方に肩を竦めて見せる。
「お前の家は下の兄弟がいるからな」
 俺は一番年下だから、そう言うのと縁がないから。
「楽しいよ」
 新学期に入ると直ぐに、ヒカルが産まれた。
「姉さんが名前を付けてくれって言うから・・・」
 緒方は微笑むとその時を思い出す。

「ヒカル?」
「うん、カタカナでヒカル。駄目?」
「可愛い名前だわ。じゃあ、ヒカルちゃんね」
 精次は付けた名前を呼び、そっとヒカルの手を握る。
 握り返す指が愛しい。
「よろしく、ヒカル」


 精次は塔矢家で、芦原と検討をしていた。
 芦原はつい最近、行洋の弟子になった少年だ。
「賑やかだね。何か楽しい事があったのかね?」
 行洋の声に二人が振り返る。
「すみません。五月蠅かったですか?」
 行洋は座ると、二人の顔を見、首を振る。
「いや、聞くとは無しに聞いてしまってね。緒方君に甥御が出来たそうだな」
「え?あ、はい」
「ふむ、そう・・・」
「どうしたんです?」
「いや、うちの子と同い年になるなと思ってな。うちは12月だそうだが」
 そう言えば、そうだった。
「そうですね。同じ年ですね」
「・・・若い叔父だな」
 その言葉に精次は、くすぐったいとはにかむ。
 その笑顔を見て、行洋は「おや?」と、目を細めた。
 精次がこのような表情をするのは初めてだ。
 いや、以前、似たような表情も見た事があるが。(同好会を立ち上げると話をされた時だ)
 だが、その時でもこれ程の笑顔は見る事はなかった。



「精次、これ」
 智が精次に紙袋を渡す。それを開けた精次は、智に飛びついた。
「ありがとう!智」
 包みから出て来たのは、赤ちゃん用のおもちゃやスタイだ。
「手作りだね!」
「クラブのみんなと作ったんだ。精次が喜ぶと思って・・・何時も世話になってるからって」
「ありがとう!」
「そうだ。今、暇だろ?家庭科クラブに来てお茶でも飲まないか?みんなも喜ぶし」
 精次はうんうんと頷いた。
「お礼言わなくっちゃならないから」
「うん、そうしてくれるとみんな喜ぶよ」

 実は智は精次を誘ってクラブに来いとの使命を預かっていた。
 最近、益々綺麗になった精次の顔を見たいと言う我が儘先輩達の意見だ。同好会に行けば良い話なのだが、
「大人数で押し寄せるのは礼儀に反する」と腕組みし、諫める部長だ。
「だったら、うちに来てもらえば良いんじゃないですか?」
 おっとりとした副部長の意見に、部長は重々しく頷くと、さっと手を上げた。

「野郎ども!準備だ!」
 おうっと上がる声は、ここは体育会系クラブかと思わせる。
 事実、ガタイの良い猛者ばかりなので、体育会系のノリな部だ。(ここは、基礎メニューなるものに、重量挙げやマラソンがあると言う謎なクラブでもあった)


「ありがとうございます」
 深々と頭を下げる精次に、一様に照れた顔がある。
「さあさあ、そんな入り口にいないで、こちらにどうぞ。精次君の為に色々用意したんですよ」
「ありがとうございます」
 その後、精次の隣の席を廻って裏でくじ引きが行われたのは言うまでもない。



さらさらと〜7

「え?」
 精次が三輪が会いに来てくれた事を要に話すと、驚いた顔をされた。
「あ、三輪さん、言ってなかった?」
「ああ、俺と彼はそんなに仲が良いわけじゃないから・・・」
 そうかと、精次は顔を伏せた。
 従兄弟だと聞いたので、親しい間柄だと思っていたのだ。

「精次はあいつが好きなのか?」
 精次が考え込んでいた隙に、要の声が降ってくる。

「三輪さんの事?うん、凄く好きだよ。三輪さんと同好会をしてた時は、とっても楽しかったから」
 それを思い出して、精次はうっすらと微笑んだ。
「たった数ヶ月しか一緒じゃなかったんだろ?しかも、向こうは将棋でこっちは囲碁だ。話なんか合わなかったんじゃないのか?」
 少しいらついた声で、要が精次を見た。
「うん、数ヶ月だよ。でも・・・」
「でも?」
「三輪さんは俺に充実した時間をくれた大切な人だよ」
「そう?」
 俺にはそんなに凄い人には見えないけどね。いい加減だし、外面だけ良いし。
「要は嫌いなの?」
「そんな事は無いけど・・・」
 ふいと反らされた視線の先には、三輪が何時も座っていた席があった。
「精ちゃん」
 智の声に、二人は顔を上げる。
「やあ、智。いらっしゃい」
 気まずい空気を追い払ってくれた智に、精次は心の中で感謝した。


「なあ、精ちゃん」
「何?」
 精次の家の縁側で、智はため息を吐く。着流し姿の智は新しい着物を見せに来たのだと言う。
「・・・要と何話してた?」
 昼間。
「あ、あの時は助かった。ありがとう。話って、三輪さんが俺の見舞いに来てくれた事を話してただけだよ。・・・でも」
「でも?」
「要は三輪さんが嫌いみたいだよ。迂闊だったなあと思う。従兄弟でも仲が悪いと言う事もあるし」
 ふうん。
「三輪さんは出来た人だったからな。頭良い出来た従兄弟が嫌いなんだろう」
 そんな事無いとは思うけど?
「俺なんか一番年下だし、精次もだけど。年が近くて比べられると言うのはあるみたいだし。しかも、一時は同じ学校にいたんだからな」
「そうだな。三輪さんの事はもう言わない事にするよ」
「それが良いかもな」


 以来、精次は要に三輪の事を話す事はなかった。
 だから、三輪から手紙が来ても精次は一切、誰にも話さなかった。
 自分だけのお楽しみだ。
 後に、それが要を酷く傷つける事になるとは、この時の精次は思いもしなかった。


「囲碁のプロってどうやってなるんだ?」
 要の質問に精次は簡潔に答える。
「ふうん・・・精次は受けないのか?」
「うん・・・3年になったら受けようかと思う」
 精次はまだ試験を受けた事が無かった。
「そうそう通る試験でも無いから。まだ、先は長いよ」
「プロになってどうするんだ?」
 面白い事を聞くな?と、精次は要を見た。
「変かな?」
「変だ。精次に勝負事は向かないんじゃないか?」
 精次にはそれは以外な返事だった。
「俺が向かない?」
「そうだろ?お前は争い事とか嫌いだろ?」

「要、俺にも譲れない事はあるよ。要は俺をそう見てるかもしれないけど、俺だって、競って一番になりたい事はある」
「・・・そうか?精次は・・・」
 その先を要はついに口にする事はなかった。


「そうよね。精ちゃんは何でもそつなくこなしたから、競うなんてしない、何にも執着しないと思ってたのよね。あいつは」
「俺はそんなに冷めてたかな?」
「ううん、あいつがそう思ってただけよ。私はちゃんと知ってたわよ。精ちゃんは熱い男だって」
 誰よりも真っ直ぐな熱い男だって、知ってたわ。
「でも、あいつは納得出来なかったんでしょうね。精ちゃんは、人から守ってもらったりそれをすんなり受け取る男だと思ってたのよね」
 笑っちゃうわね。
「要・・・だって、精ちゃんに守ってもらってたのにね。精ちゃんを守るのが自分だなんて考えてたんだから」
 智は精次の顔を見て、しょうがないけどと、視線を外す。

「だって、あいつは精ちゃんに恋してたんだから。憧れの君だものね」



さらさらと〜8

 ヒカルが産まれてから、精次は何事も積極的になった。以前が積極的でないかと言われれば、それも違うのだが。
 本領を十分に発揮していると言った方が正しい。
 それを見る者は大抵が、眩しいと感じた。
 だが、それを変わってしまったととらえる者もいた。
 その要素が特に強かったのが、三輪 要だ。

 ある日、智は要の独り言を聞いた。
「精次は変わってしまった。以前の精次はあんな風じゃなかった」
 聞き捨てならなかった。
 智は、その独り言に割って入る。
「じゃあ、お前は精次の何を知ってるって言うんだ?精次は何も変わってなんかいない。何時も一生懸命だし、自分に出来る事は自分でしようとがんばっているじゃないか?何が変わったって言うんだ?」
 精次は何も変わってないんだ。
「変わって無いだって?」
「そうだ。精次は何も変わって無い」
 寧ろ、精次は・・・。
「そうかな・・・精次は変わった。あんなに穏やかだったのに、僕に見せる笑顔はあんなに穏やかだったのに、今では恐い程だよ」
 要の言葉に智は成る程と納得が行った。

 そう、要は精次の本来の性格を誤解しているのだろう。
 精次は、元々淡い感じがしたが、決してその存在が希薄と言うわけではなかった。
 寧ろ、穏やかな空気を纏う精次は、周りにとけ込んでも鮮やかに見えた。
 精次は元々、集団の中でも輝く存在だったのだ。
 ただ、精次は何かに傾ける情熱が、人よりほんの少し欠けていた。
 だから、人より淡く見えただけだ。
「仮に変わったと言っても良い方向だと俺は思うよ。今の精次は眩しい」

「・・・眩しい?精次が?」

 要はいぶかしく呟く。

「違うか?生き生きとして眩しい」
「精次は・・・違う。精次はあいつと同じじゃない!」
 そのまま、要は席を立ってしまった。

「あいつ・・・って、三輪さんの事?」
 感の良い智には、要の指した人物の名前が解った。
 要は三輪が嫌いらしい。とは、精次から聞いている。
 三輪は、智の目からみても、とても好感が持てる存在だった。
「男心は複雑か・・・」
 精次が辛い思いをしないと良いけど・・・。


「どう、思います?副部長」
 智は家庭科部の部室でミシンを動かしながら、隣で刺繍をしている副部長に零す。
「・・・そうだなあ。精次君は、要?だったけ?」
 智は頷く。
「要君の事はそんな風に思ってないんだろ?特別な感情とか無いんだろうね。三輪君の従兄弟と言う認識しか無いんだろ?」
「と、思います。そこが問題なんですよ。精次は・・・多分・・・」
 ごもごもと智は口を濁すが、副部長は笑う。
「うん、三輪君の事が好きだったんでしょ?まあ、恋愛と言うわけでは無く、純粋に好きだったと。純粋に好きな方が打算なんかないからね」
 それだけ、重みも違うよ。
 ぱちんと糸を切ると、新しい糸を選ぶ。
「はあ、そうですね。うん、凄く好きだったんだと思います。いや、それは今もなんでしょうけど」
「問題は、要君が三輪君と精次君を同じに考えてる所だよね。まあ、確かに二人は似てたのかもしれないし、精次君の最近を考えると変わったと言うのも強ち間違いじゃない」
「副部長も変わったと思うんですか?」
 うん。
「良い方にね」
「・・・そうですね。強いて変わったと言うなら良い方にです。でも、元々、精次はしっかりとした奴だから、凄く変わったわけじゃないですよ」
「うん、僕もそう思うよ。僕は智より三輪君の事を知ってるから、精次君と三輪君はさぞ仲が良かったろうなあと思う。要君には要君の良さがあると思うんだけど、どうも彼は従兄弟に囚われてるみたいだね」
「・・・ねえ、副部長」
「何?」
 智は手元を止める。

「俺ね、あいつ、やばいと思うんですよ。でも、精次は優しいからきっと・・・それでも、あいつの友人でいようと思うんでしょうね」
「僕もそう思うよ。でも、君がいるから安心だよ」
 君は精次君の事が大好きだものね。



さらさらと〜9

「精ちゃん」
 そう呼ばれた精次は、おや?と言う顔を智に向ける。
「どうしたんだ?」
「いや、智は俺の事、何時から・・・精ちゃんって呼ぶようになったのかな?って思って」
「嫌なのか?」
 精次が首を振る。
「いや、そんな事ないよ。でも、何だか小さな頃に戻ったような気になって・・・」
 うん、何となくくすぐったいよ。
「何時からと言えば、三輪が精ちゃんの名前を呼ぶようになってからだよ」
 智は横を向くと目を伏せた。
 精次の顔を見たく無かったのだ。
「だって、三輪が精次って呼ぶのなら、俺だって以前から精次の友達なんだから、精ちゃんでも良いだろ?」
 特別に呼びたかったんだ。
 ぷっと精次は吹き出すとおかしさを堪えきれないらしい。
「はは、うん、もちろん、俺は精ちゃんでかまわないよ。でも、智は俺の親友だよ」
「本当に?」
「うん、智が・・・うん、何時になっても」


「思えば、精ちゃんはあの頃から気が付いてたのよね」
 じわじわと夏の日差しが木陰を短くして行く。
「・・・別にそう思ってたわけじゃ無い。でも、智が・・・」
「ん?」
「俺の事を本当に心配して大切にしてくれてたのを知ってただけだよ」
 智は肩を竦めるだけだ。
「そんな事だけは察しが良いのね。精ちゃんらしいけどね」


 囲碁将棋同好会だが、初の大会に出る事になった。
「要は出てくれる?」
 その言葉に、
「精次は出るのか?」
「俺は出ないよ。だって、不公平だからね。でも、大会には行くしそれまでの準備は俺がするから」
 要はふいっと横を向く。
「じゃあ、俺も出ない。精次が出ないなら出ない」
「・・・うん、要がそう言うなら他の人に出てもらうよ」
 精次は何か言おうと思ったが止めた。要が人に馴染めないのは、以前から知っていたからだ。

 無理強いはすまいと、精次は要をリストから外した。
 まあ、要が出なくても精次の為にと一肌脱ぐと言う者は多い。リストは補欠を加えて、直ぐに埋まってしまった。
 そうなると精次の周りには、大会に出る者が集う事になる。
 それに一つ一つ対応する精次に、他を振り返る時間など無かった。精次としても初の大会だ。
 出来るだけの事はしたかったのだ。


「緒方君の学校が囲碁大会に出るのかね?」
 行洋は面白そうに、精次の顔を覗く。
「はい。俺は出ませんが、出来るだけの事はしようかと思ってます」
「ふむ。まあ、それも良いだろう」
「何か問題でもありますか?」
 行洋は暫し考えていたが、首を振る。
「いや、問題は無いが・・・君はもっと自分の為に時間を使っても良いんじゃないかね?」
「それは・・・」
 言い淀む緒方に行洋は、
「いや、出過ぎた言葉だった。すまんな。学生時代にしか出来ない事もある。私は君の成長を急がせ過ぎるようだ」
 聞き流してくれ。
「どうもついつい学生時代を忘れてしまうな。年を取ったと言う事だろう。ああ、緒方君、私の言う事は聞き流してくれよ。君はまだ社会人じゃないんだからね」
「はい」



さらさらと〜10

 同好会は大会出場でそこそこの成績を収めた。
 初出場にしては上出来だと、精次は胸を撫で降ろし行洋の言葉を振り返る。
「俺も・・・本腰を入れろって言う事なのかな?」
 確かに、精次が抜けた後の同好会の後継はいない。が、それでも、精次はこの同好会を続けたかった。
「だって、三輪さんと・・・約束したんだ」


「お、精ちゃんと俺、同じクラスだ。良かった〜」
 智が精次を振り返る。
「うん、今年もよろしく」
「ああ、そうだ、精ちゃん。家庭科クラブで勧誘がてらのお茶会を開くんだ。精ちゃんも来て、お茶を飲んでよ」
 みんなも喜ぶよ。
「うん、呼ばれよ。俺も勧誘しないとなあ。新しい人が入ってくれるかな?」
 
 精次の元に新入生が訪れたのは、それから少ししてだ。

「緒方 精次さんですね?」
「そうですけど」
「入部希望です。よろしくお願いします」
 ペコリと頭を下げた少年に精次は片手を出す。
「こちらこそ宜しく」と。

 彼の名前は、及川 梓と言い、精次の後をついで後に、同好会の部長となる。梓の友達で将棋が好きな友人も同好会に入会してくれた。
 この二人はなかなか社交的なようで、あっと言う間に数人の部員を勧誘して精次の所に連れて来たのだ。
「驚いた」
と、精次の正直な感想に、及川は肩を竦めて笑う。
「でも、囲碁を打てるわけじゃないんで、宜しくお願いします。あ、将棋はあいつがかなり強いです」
 及川は悪友だと言う少年を指さす。
「それは嬉しいな。俺は将棋は出来ないんだ」
「そう言えば、緒方先輩は有名人なんですね?」
 え?と、精次が首を傾げる。
「確かに、同好会部長としては有名だと思うけど?」
「いえ、そうじゃなくて、この学校で一番の美人だって評判ですよ。知らなかったんですか?俺、うわさ話で聞いて、どんな人だろう?って思ってたんですけど・・・」

「本当に美人で驚きました」

 驚いたのは精次の方だが、言い返す言葉は何も浮かんで来ない。
「あ・・・そうなんだ・・・」
「はい、囲碁将棋同好会の部長は、学校一番の美人だから、見るにあたいするって評判ですよ」
 及川に悪気は無い。
 だが、精次は複雑な心境だ。
「まあ、悪い評判では無いから・・・別にかまわないけど・・・」
 それだけを言うのに精一杯な精次だ。
 智にあったら、問いただしておこう。
「俺も美人な部長と碁が打てて嬉しいですよ」
 そう言う、梓も女顔だと、及川の頭をぽかりと叩く悪友に、緒方も毒気を抜かれてしまった。


 同好会がにわかに忙しくなって来た。
「・・・要が来ないな」と、精次は気にはなっていたが、彼も忙しいのだろうと、さほど深くは考えなかった。
 精次自身も目が回りそうに忙しく、ふと、気がついた時はもう夏休みは目の前だった。
君の花目次 1〜511〜15