| ヒカルの碁 | 君の花北斗杯編空のしるべ26〜30 |
| 空のしるべ26 「社!ここだよ」 プラットホームの半ばでヒカルは社に手を振る。 「おう、進藤」 スーツと大きな鞄を持った社は、ヒカルに手を振る。 「元気そうだな」 「おう、お前もな」 「塔矢の家は遠いんか?こっから」 「いや、それ程でも無いよ。地図を書いてもらったから。でも、夜に行くのは初めてだから・・・」 「だから?」 「迷ったら、許してくれ」 社はヒカルの顔をまじまじと見つめると、吹き出した。 「なんや、それ」 「いや、言葉の通り。俺、方向音痴じゃ無いんだけど、あそこは住宅街だから特別な目印が無いんだ」 「ふうん」 「迷ったら、奥の手を使うから」 ? 社の訝しいと言う顔に、ヒカルは携帯電話を見せる。 「うわ、これ、携帯やないか」 お前、金持ちのぼんぼんなんか?その年で。 「違うよ。でも、必要だから持ってるんだ。ほら、仕事とかでいるだろ?」 「たはあ、考えられへんわ。そんな贅沢」 社はがっくりと頭を垂れる。 「進藤はええなあ。進学せんでもええし、携帯なんて高級品もてる身分やし」 「進学?」 「そう、俺、高校卒業する言う約束でプロになる許可もらったんや。でも、プロになった今でも、「碁打ちなんか」なんて、いいよる」 学校休むのも大分揉めたわ。 「・・・大変だな。独立する気は無いのか?」 「独立?」 「一人住まいだよ。親を離れて」 「論外や!俺がおる事で親は俺が碁を打ってるって思うんや。俺がおらん家で碁なんて無視されるだけや。だから、今日も北斗杯の雑誌を広げて来たわ」 ヒカルは目を丸くした後に、くすくすと声を漏した。 「へえ、社は両親が大好きなんだな」 一瞬の怪訝な後に、社は眉を寄せる。 「ちがうわ!」 「息子がどんな活動してるか親に知らせると言うのは親孝行だと思うけど?普通は、親には知られたくないだろ?自分を理解してくれない親なんだろ?反対している親なんだろ?」 そう言われると社も詰まる。 「っ、進藤はどうだよ」 「俺の親は大賛成だよ。やっとやりたい事を見つけてくれたってね」 社がその意味を聞き返そうとした時、扉が開いた。 「あ、ここだよ。この駅だ」 「あ〜やっと着いた」 がらがらと引き戸が開かれ、灯の下には疲れた顔の社と困った顔のヒカルがいる。 結局迷ったヒカルは、児童公園に迎えに来てもらったのだ。 「夜と昼とじゃあ違うよね」 「ほんま、一筋間違えるなんて、こいつ、案外抜けてるよな」 「もっと早い時間に来れば良かったのに」 アキラは二人を部屋に通しながら、振り向く。 「悪いな、授業が終わってから来たんや。高校は単位あるしな」 アキラは納得が言ったと頷く。 「ああ、そうか。高校行ってるんだったよね」 「塔矢はええな。親が碁打ちやと理解があって。俺、進学しろってサラリーマンになれって」 「社の親は碁打ちに反対なんだって」 ヒカルがアキラに向かって言う。 「・・・そう」 「北斗杯代表はありがたい棋戦や。日本代表、国際棋戦、碁なんか知らんでも何だか凄いとおもえるやろ?北斗杯のパンフ、居間に置いてきたんや」 後は・・・。 「勝つだけや」 アキラはそれを聞いて、不快感を受けた。 何か言いたかったが、ヒカルがゆっくり首を振ったので、黙っていた。 「勝つだけか。それ出来たら良いんだけど。まあ、今は碁に専念しよう。そうだ、一手10秒の超早碁で、志気でも高めるか。社君はその気らしいから」 アキラは碁盤を出すと、時計を合わせた。 「俺、早碁は得意だぜ」 「僕が苦手だとでも?」 珍しく敵意むき出しのアキラだ。 側で見ていたヒカルは、内心で苦笑するしかなかった。アキラと社は良く似ているのだ。 ピンポーン。 チャイムの音に、アキラが席を立つと、そこに緒方が立っていた。 「緒方さん」 「よう、こんばんわ。アキラ君。実は姉さんが夜食を持っていってくれってね。どうせ、徹夜だろうからと」 緒方も良く検討会に出かけては徹夜をしていた。それを思っての好意だ。 「明日の朝食用にしても良いって言うんだ。だから、夜食の方は俺が買って来たから」 両手に大きな紙袋を下げている緒方に、アキラは丁寧に頭を下げる。 「どうせ、君もろくな物食べてないんだろ?台所をかしてくれ」 「あ、はい」 「よお、ヒカル、やってるな」 緒方の顔を見て、ヒカルは笑い、社は不思議な顔をする。 「精次兄さん、どうしたの?」 「夜食を作りに来た。それと、姉さんから明日の朝ご飯を預かって来た。頭を使うと腹が減るからな」 そこの奴は随分大きいしな。 緒方に視線を向けられて、社は顔を背けるが、直ぐに元に戻す。 「あ!緒方二冠!」 「ほう、俺の事を知ってるのか」 「知ってるも何も、俺、碁打ちですよ」 「いや、そう言う意味ではないんだが・・・」 緒方が台所に消えてから、社はヒカルに聞いた。 「あの人、塔矢とどう言う関係や」 「兄弟子だよ。塔矢門下出身だからね。精次兄さんは」 なるほど。って、待てや。 「精次兄さんってなんや?」 「ああ、精次兄さんは俺の叔父さんだから。母さんの弟。一番下の」 な? 「何やて?ほんまか?」 「うん」 その時、社の目が羨望を含んでいたが、ヒカルは何も言わなかった。 「ヒカル、手伝ってくれ」 台所から聞こえた緒方の声にヒカルは席を立った。 空のしるべ27 「進藤も塔矢もええな」 社の言葉を聞いて、アキラは顔を上げる。ヒカルは今、倉田と一緒に買い出しに行って留守だ。 「何がだい?」 「身内に碁打ちがおったら、棋士になる事に何も反対される事ないし、進学進学ちゅうて五月蠅くゆわれへん」 そうやろ? 「・・・確かに、僕は恵まれた環境かもしれないね。五冠であった父を持って、緒方さんを兄弟子に持って、碁を打つ事を子どもの頃から当たり前だと思ってきた。周りの大人も棋士になると思っていたからね」 社は視線をそらす。 アキラにもアキラなりに悩みはあったのだと、今更知ったのだ。 自分は、普通の家に生まれて、碁がやりたくて棋士になった。 アキラの話はさらに続いた。 「僕の事は・・・まあ、良いんだ。だが、ヒカル君は違うと言う事を知って欲しい」 「何がや?」 「ヒカル君は・・・そう、最近、碁を始めたんだ。あれは・・・12歳だったな。僕らが初めてであったのは」 彼は12の年に碁を初めて、院生になり、プロ試験に受かったんだ。それまで、碁を打った事はなかった。 「ほんまか?」 社は信じられないと言う顔をする。 「ああ、そうだよ。それに、彼は僕や君みたいに、のんびりと学生をやっていける環境でもなかった。信じられないだろうけどね」 アキラはため息を吐くと、社を見る。 「だから、さっきの言葉は、ヒカル君の前では言わないで欲しいんだ。社、君だって、選んでここにいる身だろ?君が親を見返したいとか、人に愚痴を聞いてもらいたいとかは、僕には解る。僕だって、立派な親を持って、重荷な事はあるんだ。親が碁打ちじゃなかったら、僕はどんなだったろうか?と、考えた事もあるし」 「そやな、すまん。塔矢」 「いや、良いんだ。ただ、ヒカル君は・・・」 そこでアキラが言い淀む。 「?何や?」 「・・・何と言って良いのか解らないんだが、彼は僕らとは全然違う生活をしてきたんだ。僕らが見る物と違う世界で生きてきた人なんだ・・・。だから、彼に当るのだけは止めてくれ」 「塔矢・・・」 「君は彼の事を何も知らないだろ?」 僕も全て知っているわけでは無いけど。 その時、玄関から呼び鈴が鳴った。 「塔矢、ただいま」 「おす、帰って来たぞ。これで栄養補給だ。ガンガン打つぞ」 倉田は両手のコンビニの大袋を持ち上げると、アキラと社に見せた。 『うげえ、あんなに喰うつもりなんか?あの人。さっき、寿司喰ったばっかなのに』 「倉田さん、やっぱり、大将は塔矢なんだよね」 ヒカルの質問に、倉田は頷く。 「まあな。強い者順だ。大将に一番弱い奴を当てて、他に棋戦を勝つなんてやり方は、Jr杯じゃまずいだろ。団長の責任問題だ」 だから、うちの大将は塔矢だ。 その言葉に、アキラが口を挟む。 「しかし、ヒカル君も僕に負けず劣らずの実力がありますよ?」 謙遜では無い。それが事実だとアキラは知っている。 「ふうむ、それはそうかも知れないんだが・・・決定的に違うのは、こいつの知名度だ。進藤はまだ、初段で何もこなしていない」 それが、ネックだな。 「例え、塔矢がそう思っていても、周りは進藤をそう言う風には見ないだろう。塔矢の場合は、塔矢先生のネームバリューもあるから有名だ。その有名人を大将にしないとは、周りが放っておかないな。社はまだ、高段者との手合いをこなしていないだろ?進藤は既に始めているからな」 大将は塔矢で、進藤が副将、社は三将だ。 「これが妥当な所だよ」 倉田の言葉に、アキラはちらりと社を見る。視線が合わさり、お互いに避ける。 「じゃあ、本戦と同じ持ち時間で打とうか。俺は社と。社のお手並み拝見だ」 「五目半か、差がついたな」 ヒカルとアキラの碁を見ながら、倉田が唸る。 「アキラは底力が凄いですから」 「そうなんだよな。こいつの碁は力でねじ伏せる碁だよな。顔に似合わず、好戦的なんだよ」 へえ、そうなんかと、社は以外な感想を持つ。 碁は言葉より性格を語る。取り澄ました顔して、こいつはくせもんかもな。 「ああ、社。お前さんの碁だが、センスは俺並に良いぞ」 「・・・どうも」 何や、俺?ちょっとがくっとしたような気がする・・・。倉田さんはすげえ棋士なんやけどなあ。 ふと、脳裏に昨日の緒方の顔が浮かぶ。 『どうせなら、緒方さんを並べて欲しかったよな』 その頃、スーパーで買い出し中の緒方は大きなくしゃみをしていた。 「誰か噂してるのか?ヒカルか?いや、倉田君か?」 昨日、緒方が夜食を作った事を知り、倉田は是非にも自分も食べたいと今夜の夕食を強請ったのだ。 「倉田君は三人前食べるんだったよな・・・」 事前にしっかりと釘を刺された緒方は、ため息をつくとカートを押した。 空のしるべ28 緒方に作ってもらった夕食を食べながら、倉田は身振り手振りで韓国勢の話を披露した。 「・・・で、高英夏。あれでまだ、16歳だと言うから凄い逸材だ」 「俺は直に見た事はないけど、倉田君は会った事があるんだね」 緒方の言葉に、 「と言っても、ちらっとだけど。安の野郎が俺の事を馬鹿にするから、頭来て、高英夏どころじゃなかったのが、正直な所」 如何にも悔しいと顔に書いてある。 「はは、馬が合わないみたいだな」 緒方も去年、韓国のホープ 安太善には会っている。特に含むような会話は無かった緒方なのだが、倉田の場合は違ったらしい。 「馬なんか合うわけ無い。俺はね、安太善のすました顔が嫌いだ」 「はは、なかなか辛辣だな」 「だって、緒方さんも桑原先生と仲悪いでしょ?一緒ですよ」 桑原と聞いて、緒方は眉をひそめる。 「ふむ、俺はジジイは大嫌いだ。しかし、安太善は好きだがね。好みの違いと言うのはいかんともし難いな。倉田君」 緒方と倉田の話を黙って聞いていた三人だが、社が緒方に声をかけた。 「あの、緒方先生」 「緒方さんで良いよ。社君」 「じゃあ、緒方さん。緒方さんって進藤の叔父さんなんですよね」 「ああ、そうだよ」 「ええと、進藤が碁を習ったのは、緒方さんからなんですか?俺、塔矢から、進藤が碁を始めたのは12からだって聞いたんですけど」 緒方は暫し考えていたが、頷いた。 「半分は俺が教えたけど、半分は別の人物だ。あ、っと言ってもジジイじゃないぞ。あんな山ザルに教わる必要なんか無い」 「半分?」 「そうだ。半分。まあ、それが誰だかは秘密だ。な、アキラ君」 話を流されて、アキラは慌てて周りを見る。聞いていなかったわけでは無いが、驚いたのだ。 「え?あ、ええ、そうですね」 「そういやあ、進藤は白川さんとも仲が良かったよな。森下先生の研究会にも行ってるし」 倉田が突っ込んで来る。 「うん、行ってるよ。まあ、その前から白川先生は知ってたけど。囲碁教室で講師してたし、俺のクラブを手伝ってくれてたし」 「じゃあ、白川ちゅう人が師匠なんか?進藤の」 「違うよ」 『ひょっとして、塔矢先生が進藤の師匠なのか?』と、とんでもない事を考える倉田だ。 ヒカルの叔父が緒方だと言う事で、ヒカルが碁を誰に習ったかと言う事は、何となく解るようになったのだが、どうも打ち筋が違うと言うのが気に掛かる倉田だ。 『塔矢先生にも似てないし、緒方さんにも似てないな・・・』 まあ、誰が師匠でも進藤の強さには関係ないけどな。 「今日はゆっくりと休めよ。徹夜碁なんてするんじゃないぞ」 玄関で倉田が三人を戒める。 「おやすみ、アキラ君、社君、ヒカル」 外に出て見ると、まだまだ肌寒い。 「五月なのに、寒いですね。ああ、倉田君、俺の車で送りますよ」 「や、良いんですか?」 「もちろん」 「緒方さん、甥が代表だとは鼻が高いでしょう?」 倉田の言葉に緒方は苦笑を零す。 「まだ、若輩ですよ。そうですね。嬉しいと言えば嬉しいですね。でも、俺は特に甥だと触れ回る気は無いんですよ」 「?何故です?」 倉田は不思議に思う。身内が国際棋戦に出るなど嬉しい限りでは無いか? 「う〜ん、そうですねえ。まあ、もてはやされても負ければ、地に落ちて泥が付く。そうしてから、人はどう思うでしょうね。別に俺はヒカルの事で言われるのが嫌なのでは無いですよ。ただ・・・」 「ただ?」 「そっとしておきたいだけですよ。ヒカルをアキラ君を社君をね」 彼らの戦いは碁です。 それ以外、何も考えさせたくない。 「だからね、倉田さん。宜しくお願いします」 悔いの無い碁を三人が打てるように。 車から降りた倉田はため息を吐く。 「はあ、釘を刺されちゃったよな」と。 その頃、塔矢邸。 「なあ、進藤?」 「何?」 「お前、大将戦にもし当ったら、どうする?」 塔矢の奴、お前を大将にしたいみたいじゃないか? 「そうだなあ。それは嬉しいけど・・・まだ、役不足だよ。もし、俺が秀策(佐為)だったら・・・受けただろうけどね」 社は腕を立てヒカルの顔を覗き込む。 「何やそれ?」 「いや、何でもないよ」 翌日、ヒカルは実家の方に帰った。 「おかあさん、スーツ出して」 「ええ、変えの下着も出してあるから。そうそう。おかあさん、おじいちゃんとヒカルの事を見に行こうと思ってるんだけど」 ヒカルはネクタイを結びながら、え?と、一瞬、驚いた顔になる。 その後、満面の笑みで頷いた。 「うん、あ、でも、組み合わせは今日決まるから、精次兄さんに聞いてから来た方が良いよ。明日、全部しちゃうかもしれないし。正規だから、一局は長いよ」 「あら、そうなの。そうね、じゃあ、精次に聞いてから。と、精次は行かないの?」 「兄さん、仕事があるんだって」 「そうなの?それは残念ね」 「じゃあ、行って来ます。あ、お弁当ありがとう」 軽やかに手を振りヒカルはドアを閉じた。 「佐為。もう、一年だね」 空のしるべ29 空と言うのは青いものなのだ。 一年前、ヒカルはベッドの中でそれを思った。 「青いから胸が痛いんだな」 「うん、僕もそう思う」 アキラはそう言うと、広島の写真をベッドの上に広げた。 「・・・どうしたんや?塔矢」 ぼんやりとしていたアキラの肩を社が叩く。タクシーは少し渋滞に巻き込まれたようだ。 「いや、空が青いなあと思って・・・」 「ああ、ええ天気やな」 「ねえ、社君。僕はね、ヒカル君に凄く感謝してるんだ。ヒカル君は僕の初めての友達なんだ」 いきなりな言葉に、社は面食らう。 「・・・そ、それは・・・あ〜。進藤は良い奴だよな」 「うん、そうなんだ。初めて会った時、友達になろうと言ってくれたんだ。僕はその頃、色んな事に悩んでて最悪の状態だった。そこへヒカル君が現れて、僕の全ての悩みを取り除いてくれたんだ」 彼は僕にとっては、天使のような存在だ。 「大げさに思えるかもしれないけど。本当の事だよ。僕はそんな人に、一生の内、こんな早い時期に会う事が出来て、僥倖だよ」 「何か枯れた老人みたいな言い方やん。それって」 社の言葉に、アキラは肩を揺らせながら笑う。苦しいらしい。 「・・・あ、いや、そんなつもりは無いんだけど。はは、そう聞こえた?いや、空があんまり青いからそう思っただけなんだ」 「?東京の空は何時も汚いんか?」 「いや、そうじゃなくて。はは。いや、何でもないよ」 もう、一年なのだ。 広島に探しに行ったあの時から。 『佐為』 色々合った。 出会うべきにして出会った仲だ。誰も彼も。 とても短い間だったのに、既に何十年も経ってしまったような・・・いや、つい昨日のような、不思議な時間だ。 「北斗杯、勝つよ」 アキラが空に呟いたのを社は横目でそっと見た。 『俺、お邪魔虫やん・・・ほんまに、こいつと進藤は・・・』 やれやれや。あ〜、はよう、ホテルに着きたいわ。 「ここだよな」 電車を降りたヒカルは、その建物を眺める。 「旅行でも無いのにホテルに泊まるなんて、何だか変な感じだなあ。俺、家は都内だから、東京のホテルには縁が無いし」 はは。 チェックインをすませた後、ロビーを覗くと、懐かしい顔があった。 「あ!秀英」 「進藤!」 駈け寄る秀英の隣には永夏がいるのだが、彼は秀英に手を上げると別の方に行ってしまった。 「今の高永夏だよね」 「ああ、僕と進藤が話があるだろうって。僕は三将だ。進藤は?」 「副将だと言われてるけど。秀英は日本語が上手だな。憶えたのか?」 「うん、君と打ちたくてね。北斗杯が終わったら、僕の伯父さんの所で打とう。折角、日本に来たのに、進藤と打たないなんて嫌だ」 「ヒカルで良いよ。うん、開けておくよ」 上機嫌な秀英に、ヒカルがふと思い出して、口に出す。 「秀英・・・」 「何?ヒカル」 「あのね。実は・・・・」 「と、言う事があったんだ。滅多な事にはなってないと思うけど、永夏の事、気を付けてやって欲しいんだ。なまじ、頭が良いからね。彼は」 「うん、解った」 「俺、そろそろ大将と三将が来る頃だから」 じゃあと、ヒカルは秀英に手を振る。 「永夏ってぼけぼけだから・・・なあ。不味い事言わないと良いけど・・・。何で、碁以外じゃあぼけぼけなんだろう?」 あ、でも、安先生も素でボケてるよな。倉田と話す時とか・・・。 「・・・ヒカル」 うわあ。何か楽しみかも。いや、楽しみだよな。 既に大会後に心が飛んでしまった秀英だ。まあ、大会は明日なのだから、気分的には今、ヒカルとの約束に心が飛んでもしょうがない。 鼻歌さえ出て来そうな秀英である。 そんな頃、中国代表と伊角・和谷は複雑な再開を果たしていた。 「・・・」 「・・・」 「世の中には三人似た顔があると言うけど・・・」 楊海はため息をつくと、その場にかがんで爆笑を始めた。 「・・・れせぷしょん・・・かあ」 社は皿を持ってため息をつく。 『昨日の緒方さんの料理が懐かしいなあ。これじゃあ、飯喰った気にならんわ。後で、どっかコンビニでも行こ。そうやな、塔矢と進藤を誘って』 倉田さんには内緒や。 つつがなく?(一部、倉田がただをこねた)進んでいくレセプションだ。代表者挨拶として、アキラもきっちりと挨拶を終わらせる。 『あれは、韓国の高英夏だな』 社は遠目にその顔を眺めて驚く。 『俺もたいがい背高い言われるけど、すげえ高くないか?何喰ってるんやろう?いや、韓国だからええと、肉とキムチと飯か?』 「・・・ええと、本因坊秀策の国で、碁が打てるのは楽しいと思います。秀策は過去の人ですが、それに続く日本の棋士と打てるのは・・・ええと、嬉しいです。俺は秀策を超えたいんで、ええと・・・その・・・この大会には勝ちたいです。勝って、秀策の国を後にしたいです」 この挨拶で、勝つと言う事を言ったのは、永夏だけだった。 永夏にしてみれば、勝負は勝つからこそ意義があると思っての事だ。アキラや中国代表のような、「全力を尽くす」よりは、勝つ方が自分好みなのだ。 「ほう、勝利宣言ですか」「いや、これは凄い」 しかし、永夏の言葉は、少し違うように取られたようだ。 無論、永夏には才能があるので、勝利宣言もあながち間違いでは無い。 「ほら、やっぱり、永夏は秀策を過去の人って言ったじゃないですか」 古瀬村は、隣のカメラマンに大げさに手を広げる。 「確かに・・・でも、あれは別にけなしているわけじゃないぞ。勝利宣言も永夏には自信があるから出た言葉だろ?」 「今、天狗にならなくても良いじゃないか。まだ、勝負はしてないんだから」 「お前、曲解しすぎじゃないか」 しかし、憤懣しかたないと言う古瀬村だ。 「・・・秀英に注意と言うか話はしておいたんだけど」 ヒカルはそっとアキラに囁く。 「そうだね。曲解に取られるような事は無いだろうけど、勝利宣言とは取られるよね。まあ、それも実力のある彼が言うとみんなを黙らせる事は出来るだろうけど。これが僕だったら、目も当てられないよ」 アキラが苦笑する。 「秀英は怒ってるかもしれないな」 ヒカルの心配した通り、秀英は永夏を見るなり噛みついた。 「だからあ、もすこしマシな事、言えないの?!まるで、小学生の宣言みたいじゃない。しかも勝利宣言なんて」 バスバスとマクラで叩かれる永夏だ。 「・・・あ〜・・・そう言えば、お腹減ったなあ・・・殆ど食べてないなあ」 何だか美味しそうな臭いがする。ふらふらと廊下を歩く永夏の先には、社とアキラとヒカルがいる。 「あれ?永夏だ」 「どうしたのかな?」 アキラが話しかけてみると、お腹が空いたのだと言う。 「じゃあ、これ、上げる」 ヒカルは自分の分をちょっと持ち上げて、永夏の前にかざす。 「良いのか?って聞いてるよ」 「うん。どうぞ。今から外に買いに行くのは大変だろ?」 秀英を怒らせた永夏は、一人だ。 「ありがとうって」 「どういたしまして」 永夏が弁当をつつき、半ば食べた辺りで、ふと思い出した。 「あ、都庁の人・・・?」 「進藤、何で永夏に飯なんかあげたんや?」 社がヒカルに菓子パンを渡す。 「・・・きっと迷子になるからだよ。永夏はどうやら怒っちゃったみたいだから」 「何で解るんや?」 「だって、買い物について行ってなかったじゃない。秀英は日本に詳しいのに」 「あ、そっか」 「しかし、お前もお人好しやな。敵に飯をやるなんて」 「腹が減っては戦は出来ぬだよ。な。アキラ」 「うん、そうだね」 空のしるべ30 翌日、中国対日本戦。 ヒカルは盤面を見ながら、絶望的な気分になる。 『焦ってたんだろうか?』 今、どう見てもこの戦いは負けている。 『勢い込んでたつもりは無いんだけど、俺。でも、このままじゃあ、恥のかきっぱなしだ』 アキラや社に会わせる顔が無い。 ふっと、ヒカルは力を抜くと目を瞑る。 脳裏には鮮やかな顔が浮かんだ。 『佐為なら・・・どうするか?』 『諦めるんですか?』 佐為の口からその言葉が漏れた。 『諦める?いや、まだ、勝負は終わってない』 進藤がいやに固いな。と、倉田が思う。 『あいつは固くなんかならないと思ってたんだけどな』 倉田からしてみたら固くなるのは、アキラか社だろうと思っていた。それだけヒカルには何の心配もしてなかったのだ。 以外だと思った反面、ヒカルが気負いとか弱気とかを上手く隠していたのを今更に理解した。 『あいつは外面が良すぎるんだな』 外面が良いと言う所は、彼の叔父とそっくりだ。彼の叔父、緒方も外面が良い。 この場合の外面とは、人当たりが良く、不安を感じさせないと言う事だ。決して、中身が悪いと言うわけでは。 『裏目に出たか』 倉田的は『まあ、良い勉強になった』と、覚悟していた。 だが、 「あ?進藤・・・」 置かれた石にヒカルの意図を探ろうと必死に目をこらす。 『これは・・・』 控え室のテーブルで石が代わる代わる入れ替わる。 「進藤は粘るつもりなんだな」 秀英の言葉に、永夏は頷く。 「なあ、秀英。彼は・・・ええと・・・」 「何?」 「・・・その・・・本当に人か?」 秀英は何を言ってるんだと言う目を永夏に向けるが、直ぐに考え直す。 「人だよ。間違っても天使とか言う類じゃないよ。彼は人で、棋士で、僕のライバルだよ」 永夏はほっとため息を吐く。 「最初に会った時から考えてたんだ。進藤は幻じゃなかったのかなあと。でも、目の前にいるんだな」 「そうだよ」 秀英には永夏の言いたい事が直ぐに解った。 「進藤は現実離れしていると言いたいんだろ?ね、永夏」 「え?ああ、うん。まるで・・・」 「まるで?」 「・・・ええと、その・・・」 やれやれと、秀英はため息を吐く。彼のこう言う所は今に始まった事では無いが、言葉の足りない男だと思う。 「で?彼と打ちたいと言うんじゃないだろうね」 「え?いや、それは・・・」 無理だろう?俺は大将で出るんだから。 「さあ、倉田に聞いて見たら良いよ。この試合が終わった後でね」 モニターはヒカルが追い上げる姿勢を映し出している。 『終わった碁でないと言う事か・・・じゃあ、何処かに逆転出来る所があるか?』 永夏は石を動かす。彼の脳裏にはヒカルの碁を追いかけ、先を予測する棋譜が描かれて行く。 『ここか・・・』 果たして進藤は気がつくのだろうか? 永夏の思惑とは裏腹に結局、ヒカルはそれに気がつかず、一目半を譲り投了した。 「気が付かなかったか?」 だが、それに落胆する気分は永夏にはなかった。 控え室のみんなにその戦法を披露すると、倉田の顔を見て、 「進藤は大将にならないのか?」と、口を開いた。 「楊海、何て言ったんだ?」 それにしぶしぶながらも楊海が答える。 「進藤は大将にならないのか?だって」 俺は忙しいからもう行くぞ。 「進藤を大将に?何で?」 通訳がいなくなってしまったので、秀英がそれをフォローする。 「永夏が言うには、進藤の碁を見てみたいと。倉田さん、別にこれの我が儘を聞く必要は無いですから、気にしないで下さい」 倉田は秀英に背を向けたが、振り返ると、 「考えておくよ。俺も出来たらそうしたいから」と、三人を迎えに行く為にドアを開けた。 会場に歩きながら倉田は考える。 『・・・これは・・・おもしろい物が見れるかもしれないよな』 先程の中国戦を見ながら、倉田はヒカルが又、力を付けたのを知った。 こんなおもしろい物は、後にも先にもここでしか見る事は出来ないんじゃないだろうか? それを見ないのは勿体ないよな。 「は?倉田さん、今、何て?」 「だから、明日の韓国対日本は、大将が進藤だよ。俺、決めたからな」 うへえと社は内心でツッコミを入れる。 『今日負けたのに、明日大将なんて、倉田って冒険しよるなあ』 あ、でも、進藤が負けても俺と塔矢が勝てば・・・。 現実はそんなに甘くないと解っている社だが、密かに期待してしまった。 ヒカルの方は狼狽えてアキラを見る。 「アキラ・・・」 「ヒカル君、僕もそれが良いと思う。倉田さん、僕には異存ありません。だから、ヒカル君を大将にお願いします」 「な、何を言ってるんだ。アキラ。俺、今日は負けたんだよ」 それには倉田が答える。 「負けたより内容だな。進藤はあの位置からでも巻き返せる程の実力があると言う事さ。それに・・・」 「それに?」 アキラは首を傾げる。 「永夏がお呼びだ。進藤と打ちたいとな」 |
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