| ヒカルの碁 | 君の花北斗杯編空のしるべ16〜20 |
| 空のしるべ16 緒方のマンションでヒカル、アキラ、芦原は向き合った。 テーブルの上には、一台のノートパソコンが置かれている。 「これ、読んでも良いの?」 芦原はパソコンの画面を見つめると呟いた。 「うん、読んでも良いよ。アキラも。まあ、読めば解るから」 あの人の事は。 芦原とアキラはそれから長い日記を読んだ。 読めば読む程、先に進む程、陰鬱な気分が湧いてくる二人だ。 はっきり言えば、ただの八つ当たりに見える日記だ。 『緒方さんが何をしたと言うんだろう』 それが正直な感想だ。 緒方は彼に何もしていないのだ。 何もしていないと怒り、何もしてくれないと怒り、最後にはそれを恨んでいる。 「この人は緒方さんの友人でいたかったの?」 アキラの言葉にヒカルは頷く。 「と、思う・・・んだけど・・・何故、そんなにも精次兄さんに執着したのか」 もっと他に目を向けられる事はあったと思うんだけどね。 「怖いね」 一人に執着する事は。 「僕も・・・こんな人間になるかも。・・・もし、ヒカル君が僕を友達と呼んでくれなかったら・・・」 アキラはヒカルの顔を見つめる。 「アキラはそんな人間じゃないよ。俺は解ってる。アキラは人を羨ましがるような弱い人間じゃない」 「そうだよ。アキラはアキラだ。人の後姿を追うやつじゃない」 芦原の言葉に、アキラは照れた色を浮かべた。 「でも、この人、まるで・・・」 芦原はそこで言葉を失った。 まるでに続く言葉が、うまく表現出来ない。 「情熱的な恋をしてた人だよ。彼は精次兄さんに情熱的に恋してたんだ。なのに精次兄さんは彼を特別と言う枠では見なかった。ないがしろにしたわけじゃないけどね」 特別に見て欲しかったんだよ。 「特別って?」 アキラが不思議そうに聞く。 「自分だけを見て欲しかったんじゃないかな?あの人は確固とした信頼出来る愛情が欲しかったんだと思う」 ヒカルは遠くを見つめる目をする。 確固とした愛情。 揺るぎない信頼。 永遠に変わる事の無い想い。 それが欲しかったのだ。 だが、それを緒方に求めたのは間違いだろう。 緒方は確かに与える事の出来る者だったが、彼の肉親でも無ければ何でもない。 何故、緒方だったのか。 それを知る者はいない。 彼は何を考えて緒方に焦がれていたのか、誰も知る者はいない。 ただ、彼が緒方を思って死んだ事と言う事実だけが残っただけだ。 【これで君は僕を忘れない。】 日記の最後の文字には、そう締め括られていた。 「人の闇とはこんなにも怖いんだ」 芦原はぶるりと身を震わせた。同時に自分の兄弟子を純粋に尊敬した。 かの闇を覗いてもそれに屈しなかった。 普通、こんなうっとうしい愛情をもらえば、その毒気にあてられて自分も駄目になりそうな気がする。 ふと、芦原は納得する。 ああ、そうか。 この目の前にいる人物があの兄弟子を支えたのだろう。 彼は光だ。 その名の通り。 「でも、緒方さんは未だにこの人の事を・・・なんだよね」 アキラは言い辛そうに話を繋ぐ。 「うん、まあね。この人の死体は兄さんが見つけたからね。それが焼き付いているんだと思うんだ」 ヒカルだとて、全部を知っているわけでない。 自分が生まれる前の話もある。中学、高校、緒方が過ごした日々。 楽しい日々だったはずだ。なのに、どこから歪みが生じてしまったのだろう? 彼は、何処から歪んでしまったのだろう? 今、それは過去になり、緒方の胸の中だけに仕舞われている。 「このパソコンはね、あの人が首を括った日に宅配で届けられたんだ。差出人を不信に思った精次兄さんは、隣の家に行った。鍵が開いていたから入ったんだ。そこで精次兄さんは彼の死体を見つけたよ。死亡時間は、兄さんが見つける1時間ほど前だったって」 ヒカルはすっと隣の家の方向を指さす。 「わざとだよ。精次兄さんに見つけてもらう為にね。最後まで精次兄さんといたかったんだ」 アキラも芦原も返す言葉が出ない。 何と言う凄まじい執着だろう。 「精次兄さんはこれを二人に見せても怒らないよ。でも、黙っておいてね。凪いだ水面を乱したく無いんだ。こんな絡みつくような愛情でも、あの人は精次兄さんの事が一番好きだったんだ」 芦原は頷く。 そう、緒方は優しい人なのだと。 死で忘れないように記憶に刻み込む恐ろしい愛情でも、それを捨てたりはしない人なのだ。 『忘れない事だけが、自分に出来る事だな』 それが精次の言葉だった。 初めてヒカルがこの日記を読んだ時に緒方が呟いた言葉だ。 重すぎる身勝手な愛情。 それは捨ててしまうには緒方には重すぎた。 彼が求めた自分への信頼、愛情。何がそれほど彼を狂わせたのか、緒方には共感出来ないまでも理解は出来た。 緒方も探す者だったから。 空のしるべ17 「と、言うわけで日本に行く事になったんだ」 ヨンハは目の前の女性に話かける。 彼女は日本からの留学生で、韓国語を勉強に来ているのだ。 「だから、京丸さんに頼みたいんだけど」 「何を?」 ヨンハは真剣な顔で、その端正な顔に眉を寄せた。 「うん、多分、必要になると思う」 「だから何?」 がしりとヨンハは京丸の手を握るとぎゅっと力を込めた。 「俺に買い物する場所を教えてくれ〜。絶対、姉さん達は無理難題を押しつけてくるはずだから!」 そう、前回もそうだった。 あまりにも気まぐれ。あまりにも弟使いが荒い。 「え?買い物と言っても・・・」 色々あるから。 「・・・うん、そう、色々あるんだ。取り敢えず前回くれたリストで漏れた所を教えてくれ。絶対、又、行って来いと言われるに決まってる」 姉さん達はそう言う人だ。 この一見無愛想に見える少年は、わりと惚けた性格だと、知り合いになると直ぐに解る。 碁には鬼才を発揮するのに、その他の事はどうも気乗りがしないらしい。 「ふうん、ああ、これね。うん、解るよ」 京丸の言葉に、ヨンハは安堵の吐息を漏す。 「あ〜良かった」 「でも、試合で行くんでしょ?そんな暇あるの?」 「・・・聞かないでくれ。無くても行って来いと言われるに決まってる」 京丸は肩を竦めると、同情的な目を送った。 『天才なのにねえ。気の毒に』 さて、日中韓Jr団体戦「北斗杯」だが、シード枠のアキラを覗いて、空き席は2つだ。 だが、18歳以下と言う年齢制限の為、対象になるのは数は少なかった。 「トーナメントでもするのかな?」 ヒカルの言葉でアキラも頷く。 「そうかもね。やはり実力になるのかな?だったら僕のシード枠はちょっと重いね」 勝てないと困るよ。 アキラのため息にヒカルは笑う。 「勝つ気でいるんだろ?だったら良いじゃない」 「そりゃあ勝つ気ではいるけど・・・。だからと言って勝てる相手じゃないからね。検挙で言ってるんじゃないよ。僕は必ずヨンハと当たるだろうからね」 うん、そうだろうな。 ヒカルは強く頷く。 「シード枠なんだから一番強い大将に当たるのは当然だろうな」 ヒカルは緒方が漏していた言葉を思い出す。 「アキラ君は大将で出るだろうな。まあ、団体戦は組み方色々だが、こう言う場合は強い順に大将と言う事になるだろう」 最強初段はどの席になるかな? 緒方はにまにまとヒカルに笑いかける。 「精次兄さん、俺が出れるとは限ってないよ。最強初段なんて所詮は初段だ。俺の他にも18歳以下の人はいるしね。精次兄さん言ってたじゃない?ほら、関西棋院の人の事」 ああ、そうだったな。 『関西棋院に有望株がいる』と、緒方が小耳に挟んだのはつい最近だ。 勢いのある碁を打つのだと。 それは面白いと思い、緒方は大阪に行った時に関西棋院を覗いた。残念ながら会う事は出来なかったが、そこで聞いた話ではなかなかの評判だった。 『緒方さん、キヨハルは強いですよ。今度のJr杯、席はこちらで頂きますよ』 ほう、それはそれは。 『頼もしいですね。でも、うちにも最強初段がいますから』 緒方にしては珍しく自慢顔だ。 『へえ、誰です?』 『俺の甥です』 『ははは、それは楽しみやね。シード枠でいっことられとうから、後2席はこっちで頂きたいですわ』 笑顔で交わす会話だが、勝負師らしい会話でもある。 「でも、出れたら良いな。佐為が喜ぶよね」 「ああ、囲碁馬鹿だったからな」 「うん、がんばるよ。ヨンハも来ると思うから。もし俺が選ばれたらびっくりするぞ」 くるりと振り返る姿を眩しそうに緒方は眺めた。 空のしるべ18 紅葉がちらほらと聞かれる頃、アキラとヒカルは西へと足を向けた。 因島に行こうとアキラが言い出したのは、一通の葉書からだった。 「遊びにおいでってさ」 周平さんがね。 「あのアマチュアの強い人?」 「そう、この間来た時は、ヒカル君は会えなかったでしょ?残念がってた」 ね、だから、行かない? 「いいね。アキラが案内してくれるんだろ?」 「うん、五月に歩いた所を案内するよ。周平さんの碁会所とかね」 「本当に綺麗だねえ」 ヒカルは感嘆のため息をつくと、海を眺める。 「でしょ?一緒に来たかった」 二人で来ると約束した事がこんなに早く実現出来るなんて、夢のようだとアキラは思った。 こんなに素敵なヒカル君を独り占めして良いのだろうか? 今まで、あまり友達付合いと言うものが無かったアキラは、こんなに幸せで良いのだろうか?と、くすぐったい。 「どうしたんだ?アキラ」 「あ、いや、ん、何か・・・ええと・・・ヒカル君と旅行に来て、嬉しくて舞い上がってる」 ヒカルはそっかと笑う。 「実は俺も。友達同士でこんなに遠くまで来たのは初めてだし。ここから、東京は遠いよな」 「そうだね」 あ、周平さんが来たよ。 アキラが手を振る方向からは、一台のワンボックスが近づいて来る。 「おう、元気じゃたか?おお、実物には初めて会えたな。進藤君」 ヒカルは頭をぺこりと下げる。 「進藤 ヒカルです」 「すげえ、べっぴんさんじゃなあ」 「周平さん、ヒカル君は男ですよ」 「いや、わかっちょるよ。ははは、俺はむさい男だから、ついな」 確かに、周平と比べれば、ヒカルなど女の子でも通用しそうだ。と、アキラは思ったのだが、同時に、ヒカルも同じ事をアキラに考えていた。 「でも、勝負になると怖いんですよ」 アキラが周平伝えると、 「それはたのしみじゃ」と、ドアを開けた。 「観光は?」 「ええ、因島と秀策縁の所を回りました」 「他に行きたい所は無いんかね?」 う〜んと、アキラは首を捻る。 「他は、時間が無いので、又来ますよ。ここは綺麗な所だから」 「うん、又、来たいね」 アキラとヒカルは周平の詰めている碁会所で碁を打つと、新幹線まで送ってもらった。 「いやあ、進藤君はすげえなあ」 「最強初段ですから」 「なんね、それは?」 「最近、そんなあだ名がついたんですよ。最強初段。病気療養してたから、まだ彼は初段なんです」 へえ、最強初段かあ。 「おもしろいのう」 「所詮、初段ですよ」 と、ヒカルが呆れるのに、周平が首をふる。 「いやいや、そんな事はないじゃろう」 又、会おうや。 二人は周平に手をふる。 「楽しかったです」「さようなら」 「で、紅葉まんじゅうなんだ」 和谷がもらったお土産をしげしげと眺めている。若手の碁の勉強の時に、お茶請けとして出されたのが、それだったのだ。 「うん、楽しかった〜」 「へえ、良いなあ。俺も行ってみたいな」秀策縁巡りかあ。 と、呟いたのは、伊角だ。 「和谷、暇になったら、行かないか?」 「・・・何時、暇があるって言うんだよ。俺は、ここの家賃払う為に、暇無し。貧乏暇無し」 ううう、それに、俺、又・・・たかられるんだよ・・・。 「ああ、昇段の例の奴か」 そう、今度は・・・。 畳に崩れる和谷をヒカルが慰める。 「そっか、俺も昇段したら奢るから、安いものですませてもらえよ」 ぱあっと、和谷の顔が明るくなる。 「ヒカルさま、ありがとう〜」 空のしるべ19 「アキラ、誕生日おめでとう」 乾杯〜と、グラスが合わさる。 ここは緒方のマンションだ。アキラの為に、緒方は一足早くだが、誕生パーティを開いた。 「塔矢君、おめでとう」 あかりの手からラッピングした袋が渡される。 「あ、ありがとう」 開けて見て、アキラは驚いた。 「手作り?」 中から出て来たのは、真っ白なマフラーだ。 「へへ、でも、うん」 「すごいね」 「でも、これしか編めないんだ。で、これは精次兄さんとヒカルに」 似たような袋が渡されたが、色は、精次が赤でヒカルが赤と白のツートンカラーだ。 「お、すまんな。ああ、綺麗な色だな」 「サンキュー。あかり」 そう言えば、囲碁部はどう? アキラの言葉に、あかりは「何とかやってるわ」と、答える。 「初心者ばかりだから・・・教える人が欲しいんだけどね」 私もヘボだから。 「まあ、楽しんでやれれば良いよ。俺も時々行くし」 ヒカルはあかりを慰めるように、頭を叩く。 「そうね。人がいないわけじゃないんだから。それに、プロに教えてもらうなんて特典、うちの部くらいだしね」 あかりが帰ってから、アキラはヒカルの顔を覗く。 「ん?何?アキラ」 「・・・ヒカル君は進学しないの?」 うん。 「やりたい事が出来たからね」 「・・・」 アキラは何か言いかけたが止めた。心の中はもどかしいが、そのもどかしさを言葉にする事が出来ないのだ。 こんなに近くにいるのに、何だか急にヒカルが遠い人に見えた。 夜道を歩きながらアキラは考える。 「僕はヒカル君の事が好きなんだけど、ヒカル君には他にも沢山友達がいて、僕はその友達のうちの一人なんだなあ」 言葉にするとがっかりがずううんと響いてくる。 『ヒカル君の一番って誰なんだろう?』 やっぱり、緒方さんなのかなあ? 『それとも佐為なのかな?』 それとも、誰か別の人? 「ナーバスになってるよな。僕は」 だって、これからジュニア戦の予選だ。もし、僕よりヒカル君の興味を引く人が出たらどうしよう。僕なんて所詮、碁だけの友達だもの。 普段のアキラならそんな事は考えないだろうが、学校が進学でざわざわし始めた落ち着きのなさに感化されたようだ。 アキラの顔を見ると、 「進学しないやつは余裕だよな」と、言われるのだ。影でこっそりとだが。 アキラの成績が悪くないと言うのもそれに拍車をかけるようだ。 「ヒカル君は言われないんだろうか?」 ヒカルも学校の成績は良い。だが、進学はしないと公言している。 曰く、 「勉強なら何処でも出来るから」だそうだ。 社会人なヒカルの意見は尊重されて、彼の進学しないと言うのは認められている。 アキラも進学はしないので密かにヒカルと同じ事を喜んでいるのだが、自由な時間が増えたと言う事=アキラとの時間が増えるわけではない。 ヒカルの人生はヒカルのものだ。 『韓国からは高永夏が出てくるだろうし・・・もし僕がふがいなかったら、ヒカル君に愛想をつかされちゃうかも』 ヒカルが聞いたら、腹を抱えて笑うだろう事も今のアキラは真剣だ。 「はあ・・・」 こう言う感情は初めてなので、どうしたら良いか僕には解らないよ。 「・・・緒方さんに相談してみようかなあ・・・それとも芦原さんに・・・」 言葉に出して見ると案外、心が軽くなった。 そうだ。聞いてみれば良いんだよ。 アキラはあかりが編んでくれたマフラーを顔にすり寄せると、温かいなあと思った。 「やっぱり進学はしないんだな」 ベッドの中の隣に緒方は話かける。 「精次兄さん。俺は今度こそ兄さんの側にいるよ」 ぎょっとして緒方はヒカルの顔を覗き込む。 「・・・寝言か?」 しかし、寝言にしては嬉しい言葉をもらったな。 「おやすみ、ヒカル」 空のしるべ20 伊角の新初段シリーズがやって来た。 「才気溢れる新人」と、いかにも嬉しそうにプレッシャーをかける桑原だ。 最近の桑原は、楽しくてしょうがない。 「ヒカルちゃんが応援に来てくれるしな」 と、緒方に自慢すれば、 「友人の方を応援するに決まってるでしょ。やれやれこれだから年寄りは困る」 と、毒舌で返す。 それに、嫉妬は見苦しいぞと、高笑いで桑原は去って行く。 桑原は実際、この毒舌の棋士を気に入っていた。 事実、人当たりの良い緒方が毒を吐出すのは、桑原だけだった。 「それだけ好かれていると言う事だよ」 桑原は、内緒だと周りには、こっそりと漏している。 実際、この二人は付合いで言うとかなりの長い付合いだ。桑原は緒方が赤ん坊の頃から知っている。 まあ、緒方が棋士を目指すまでは、こんな毒舌なやり取りは無かったが。 緒方の黒い部分を全部引き受けているのが、桑原なのだ。 『棋士には奮い立つ部分も必要じゃからな。物わかりが良い小僧では困る』 一理ある。が、緒方で遊んでいるだけでもある。 伊角が碁盤で意地悪じいさんを相手にしている間、ヒカルは門脇と打っていた。 「以前の俺の方が強かったでしょ?」 ヒカルのにこやかな笑いに、門脇は首を縦に振る。 「俺にはね、ここに師匠がいたんですよ。もう、いないんですけどね。だから、弱くなったんです」 ヒカルは胸を指す。 「良く解らないんだけど?」 「普通の人には解らないよ。それが当たり前」 ほら、もう行かないと。検討が始っちゃうよ。 「何なんだ?」 門脇は頭を掻いた。 『そう言えば、進藤は緒方先生の甥なんだよな』 門脇はどこからかそれを聞いて来た。ヒカルは特に隠しているわけではないが、名字が違うと言う事で、あまり知られていないらしい。 師匠って、緒方先生じゃないよな。 「門脇さん〜。早く行かないと」 「あ?ああ、解ってる」 伊角が勝ったと言う事で検討室は賑わっていた。 「ごめん、門脇さんと打ってて」 「遅いぞ!」 ヒカルは和谷に平謝りだ。 「罰として、缶コーヒーを奢れ」 横柄な和谷に、ヒカルが頷く。それを門脇が止めた。 「俺が足を止めたんだから、俺が出すよ。珈琲で良いんだな」 「え、うへえ、そんな、悪いですよ」 和谷の慌てた声に、門脇は 「なあに、俺の時に応援してくれたら良いよ」 門脇は入って来たばかりの部屋を出て行った。 関西棋院の若手ホープと言う噂が流れて流れて和谷達にたどり着いたのは、北斗杯代表選抜東京予選の少し前だった。 「俺、その人と打った事あるよ」 本田の言葉に和谷が目を見張る。 「師匠の所に関西棋院の吉川八段が来てて、その時に一緒に来てたんだ」 初手天元を打たれて・・・完敗だった。 「へえ、どんな碁を打つんだろう?」 「予想もしないような碁だよ。強いて言えば・・・塔矢と進藤を足して割ったような碁だよ」 本田は自分が打った碁には触れなかった。 初手天元を打つ。意外性はあるが、自分より実力のある棋士なら、ひっくり返されてしまうような危うい手でもある。 「意外性のある碁か。面白いな」 「ああ、面白いよ」 「で、本田さんは、初手に天元を打ったわけだ」 ヒカルが検討しながら本田の顔を見る。 今日は、北斗杯の代表選抜東京予選だ。ここで、4人が決まる。 「まあな。進藤ならどう受けるか見て見たかったんだ」 「成程。じゃあ、俺もアキラと打ってみようかな?関西棋院じゃあ、こんな碁も打つのかなあ? 関西棋院の人も選抜予選にはいるからね」 本田に勝って、ヒカルは代表4人の内に入った。 「ヒカル、おめでとう。そう言えば、ヒカルは森下先生と打つ事になったな」 選抜に通った事を緒方に告げると、緒方は森下と話した事を口に出した。 「うん、そうなんだ。今まで公式に当った事ないから。あ、そう言えば、精次兄さんとも公式で当った事ないね」 まだまだ当らないね。 「そうだな。で、お前が森下先生と打っている時、どうやら俺はアキラ君と打つ事になるらしい」 え?と、ヒカルが顔を上げる。 「・・・難しい一局になる。俺にとってもアキラ君にとっても」 俺達は手の内を知り尽くしているからな。 ヒカルは黙って、緒方の手を取る。 「精次兄さんならアキラに勝てるよ」 「アキラ君の味方はしないのか?」 「約束だよ。今度は側にいるって。だから、俺は精次兄さんを応援するよ」 緒方はふと、アキラに憐憫を憶える。 アキラ君はこれをどう思うだろうと。 俺とアキラ君を比べると、ヒカルは俺を取ると言う。 「約束なんてしなくて良いんだぞ」 「でも、俺は精次兄さんを応援するよ」 ヒカルはそっと頬に触れる。 「ありがとう。ヒカル」 |
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