| ヒカルの碁 | 君の花21〜25 |
| 君の花21 葉瀬中囲碁部がボランティアを初めてから、一ヶ月が経った。 「何だか、これも様になってきたね」 筒井の言葉に、ヒカルは頷く。筒井は半分引退したのだが、ボランティアには顔を出してくれるのだ。 「囲碁を面白いと思ってくれる人も増えたしね。進藤君、ありがとう」 「俺は何もしてないよ。白川先生のおかげだよ」 ヒカル君!と、呼ばれて振り返るといつもヒカルと碁を打つ女性が手招きしている。 「行って来るね。筒井さん」 今日は白川とヒカルと筒井しか来ていない。 他は用事で外れている。ボランティアの条件に、白川は無理をしない事をあげている。 長く続いて欲しいと言う願いからだ。 「筒井君、受験勉強大変ですか?」 にこやかな白川の言葉に、筒井は頷く。 「僕はあまり成績が良くないですから・・・。でも、週に一度くらいは、碁が打ちたいですよ。好きだから」 「そうですね。所で、ヒカル君は腕をあげましたね」 「ええ、そうですね」 「筒井君、ヒカル君は院生でも通用しそうですよ」 筒井は唖然とする。 「・・・院生ですって?」 「そう、院生。受けてみないんですかね。試験。緒方さんが渋ってるのかなあ?」 院生・・・? 「筒井さん、白川先生!!ちょっと、こっちに来て」 呼ばれた二人は、何事だろうと顔を見合わせた。 ヒカルは白川の妹の伊織と何やら話している。 「・・・なのよ。そう、急に決まってね。ね、良いでしょ?」 「・・・白川先生に聞いてからでないと答えられないよ」 「お兄ちゃんはOKだわ。ね?!」 伊織の元にやって来た白川だが、話が見えない。 「伊織、ちゃんと初めから教えて。ヒカル君に何を言ったの?」 「やだ、お兄ちゃん。変な事は言ってないわ」 実はね。 葉瀬中囲碁部がここでボランティアをしているのを、雑誌に掲載したいんだって。 それでね、次週に取材が来るの。ね、良いでしょ? 「筒井君、どう?良いのかな?」 「僕としては良いですよ。進藤君は?」 「良いですけど。俺はもしかしたら、来る事が出来ないかも。精次兄さん、マスコミ嫌いだから・・・」 白川は納得する。 緒方はインタビューや宣伝の仕事には進んで出るが、家族の事となると一切取材を断る。 恋人がいるか?などの話題でも嫌がるのだ。その点については一切答えた事がない。 だから、白川がヒカルに会ったのも最近の事だ。噂でしか聞いていなかったのだ。 『緒方先生の可愛い甥御さん』は。 「僕が責任を持ちますよ。写真も撮らないようにね」 白川の言葉に、ありがとうとヒカルは微笑んだ。 「「取材?」」 そう、取材なんだ。 「金子さんも来てよ。時間があるなら。全員、揃った方が良い」 今日は金子は囲碁部に顔を出している。久しぶりだ。 「あたしも?良いのかな?」 「だって、金子さんも囲碁部のメンバーじゃん。賑やかに行こうよ。これが成功すれば、部員が増えるかもしれないよ」 ヒカルの言葉に、一同は納得する。 ボランティアを始めると言った時、みんなはヒカルが励みになる事を考えてくれたのだと思っていた。だが、その裏には葉瀬中囲碁部を有名にすると言う、思惑があったのだ。 かなり計算高い方法だ。しかし、ヒカルもこの早さは計算外だった。 あかりがヒカルにこっそりと呟く。 「ねえ、良いの?精次兄さん・・・怒らない?」 ヒカルは肩を竦める。 「怒るかも。でも、白川先生がいるから。精次兄さん、白川先生は信頼してるから」 「そう・・・」 「じゃあ、来週土曜日だよ。OK?!」 「「OK」」 さて、週末。白川のワンボックスは、葉瀬中囲碁部員と緒方 精次を積んでいた。 『白川君は信頼出来るが、ヒカルの事は任せられない』 と、言う事だ。 白川の妹の伊織は大喜びだ。 「緒方さんだあ!!こんにちわぁぁ」 「伊織さん、こんにちわ。今日はお世話になります」 「こちらこそ。ささ、どうぞどうぞ」 やた!と、白川に向かい伊織はVサインを送る。 「やれやれ、子供みたいなんだから・・・」 愚痴を零すわりには、にこにこと笑っている白川だ。 「この方よ。取材の人は」 伊織の紹介に、相手は深々とお辞儀をした。 「宜しく、七瀬 真珠です。・・・あれ?君・・・」 ヒカルを向いて、七瀬は唖然としている。 「あ、都庁の前のお姉さん」 「そうそう。憶えていてくれたのね。君も囲碁をするんだ。だから、知ってたんだ。ヨンハ君を」 うん、まあね。ヒカルの言葉は曖昧だ。 『ヒカル、まずい事になりましたね』 『そうだねえ。佐為。でも、精次兄さんがいるからね』 「じゃあ、改めて宜しくね」 七瀬は手を出すが、ヒカルは受け取らない。 「うちの部長は筒井さんです。だから、筒井さんと握手をお願いします。囲碁は礼節を重んじる物ですので」 筒井の目が丸くなる。 ヒカルがそんな厳しい事を言い出したのは初めてだからだ。 「あ、ごめんね。じゃあ、筒井君から。宜しく」 「宜しくお願いします」 七瀬は筒井を筆頭に順番に握手をして、最後にヒカルと握手した。 「宜しく」 「宜しくお願いします」 「おい、ヒカル。あれは誰だ?」 緒方がヒカルの服の裾を掴むと、こっそりと耳打ちする。 「あの人はねえ、ほら、都庁の前でヨンハと話をしていた人だよ。話したでしょ?」 「ああ、スカウトか」 緒方の顔が嫌そうに歪む。 「今日は、スカウトじゃないよ。間違わないで」 「・・・そうだな。だが、一言だけは言っておかないとな」 緒方はヒカルを離れると、七瀬の側に行った。 「失礼、緒方 精次と言います」 緒方?緒方・・・。何処かで聞いた事があるなあ。 七瀬は記憶を振り絞っていた。 「あ、緒方九段・・・ですか?ヨンハの記事を調べていた時に、お名前を拝見しましたよ」 七瀬は囲碁に詳しくないが、ヨンハの事があって以来、少し資料を覗いてみた。 「ご存じでしたか。そうです。緒方です。宜しく」 緒方は深々と頭を下げた。 「実は、あそこにいる進藤 ヒカルは私の甥でね。プロになる予定なので、顔を写すのだけは勘弁して欲しいんだ。後姿や遠くからなら良いんだけどね。出来れば、写真からは外してくれないか?」 写していいから外してくれに、言葉は変化している。 七瀬もピンと来た。 『これは何かあるんだわ』 「解りました。進藤君の写真は外します」 「ありがとう。それにあいつを写したら、心霊写真が写ると思うんでね。そんな写真は使えないでしょ?」 はあ?心霊写真? 七瀬がその意味を知るのは、フィルムの現像後だった。 「確かに、これは使えないわ」 写真の中で笑うヒカルは、金色の光が周りを取り巻いていたのだ。 葉瀬中学校の朝礼で、囲碁部が話題に上ったのは、次ぎの週の水曜日だった。 七瀬が学校に実名を使う許可を求めた為だ。 「・・・と、言うわけで囲碁部は、ボランティアで役立ってます」 校長の声は自慢げだ。 「おう、筒井。良かったな」 加賀が筒井に囁く。 「うん」 「これで、部員が増えるかもな」 「だといいんだけどね」 辛気くさい事、言うな。大丈夫だって。 その日、囲碁部の部室を叩く数人がいた。 「あの、初心者なんですけど」 「どうぞどうぞ。大歓迎だよ」 『良かったですね。ヒカル。ヒカル?どうしました?ヒカルう』 君の花22 「ねえ、精次兄さん」 ヒカルは珍しく怖い顔で、緒方の前に座る。 「何だ?ヒカル」 「白川先生に聞いたんだけど、俺、院生なれるくらいの棋力があるんだって」 前回のボランティアの帰り、緒方を避けて、白川はこっそりと教えてくれた。 「・・・ち、余計な事を言うなあ。白川は」 「じゃあ、院生になれるの?俺」 緒方は顎をさすると、思案顔で頷く。 「ああ、出来る。だがな・・・」 「何?」 「院生はプロ予備軍なんだぜ。お前、プロになるのか?」 「・・・兄さんは反対なの?」 ヒカルは緒方が反対するなら、院生になるつもりはなかった。自分の為にさんざん骨を折ってくれた叔父だ。緒方の意には添いたいのだ。 「・・・反対じゃない。だがな・・・良いのか?」 ヒカルは頷く。 「だって、アキラがいる。プロの世界にはアキラがいる」 緒方は溜息をつくと、静かに頷いた。 「十二月の院生試験の申し込みはもう締め切っているんだが、俺が頼んでみよう。お前はきっと通るはずだ。それと、試験の時は姉さんを連れて行かないと行けないぞ。お前は未成年だからな」 後日、緒方の言葉に、ヒカルの母は、 「こうなると思っていたわ。宜しくね。精次」 と、頭を下げた。 「院生試験?受けるの?!」 ヒカルは黙って頷く。 「そんな、今度は大会で優勝と思ってたのに・・・」 筒井はつい本音を漏らしてしまって、あ!と、口を塞ぐ。 ヒカルには本当に助けて貰った。一人の部室のドアを叩いてくれて、三谷を部に入れてくれた。そして、葉瀬中囲碁部を有名にしてくれた。 おかげで、部員は結構な数を確保出来たのだ。 「あ、ごめん。進藤君には本当に色々してもらったのに・・・」 「俺の我が儘だよ。・・・アキラを待たせたくないんだ・・・。これ以上」 伏せていた顔をヒカルは上げる。その顔は決心が現れている。 「よう、ヒカル!元気か?!」 「あ、加賀」 加賀は相変わらず、窓を乗り越えて入って来る。 「何だ?辛気くさい顔だな。どうした」 加賀の質問に、筒井は実は・・・と、話しだす。 「何だ。ヒカル。行け行け!院生か、良いじゃないか」 「でも、大会が・・・」 「お前、まだそんな事言ってるのか?大会には面子がいるんだから、出れるだろ?こいつに散々世話になっておいて、まだおんぶに抱っこさせる気か?何処までお前等の我が儘で縛る気だよ」 加賀が呆れたと両手を上げた。かなり大げさな振りだ。 その姿を今まで黙って見ていた三谷は、 「院生は大会に出れないのか?」 「うん、セミプロのような物だからね」 「じゃあ、部活も出来ないのか?」 「部活は出来るよ。俺は部は止めない」 三谷はそれだけで十分のようだ。 「なら、進藤の好きにしたら良い」 あっさりと三谷は言い切った。ヒカルが部に残れるならそれで十分なのだ。 「ほれ、三谷の方が聞き分けが良いじゃないか。流石、大人と打ってた奴は違うなあ」 賭け碁の事だ。 「中学のちいせい勝負にこだわらないなんてな」 「そんな褒め言葉はいらない。加賀」 三谷は憮然と話の場を譲った。 今、ここにいるのは、筒井、三谷、加賀、ヒカルだけだ。今日は本来部活の日ではない。 ヒカルが二人を呼び出したのだ。 「筒井もなあ。いい加減、他力本願は止めろ。こいつにはこいつの世界があるんだ。お、そうだ!!こいつの実力で判断しよう」 「実力って何?」 ヒカルは首を傾げる。 「三面打ちだ。俺と筒井と三谷で、早碁!三面打ちをする。で、全員に勝てたら胸を張れ」 「負けました」 三谷が脱落した。 「負けました」 筒井が落ちた。 「・・・ありません」 それはヒカルの言葉だ。加賀との対局はヒカルが負けた。 「ほう、すげえじゃないか?三面打ちは初めてだろ?よくやったな」 加賀がヒカルの頭をぐりぐりと撫でる。しかし、ヒカルの顔は浮かない。 「加賀に勝てなかった・・・」 「そりゃあ、三面打ちだ。しかも、ここにいる奴らはそんなにヘボじゃない」 ふと、気がついて加賀は笑う。 「お前、もしかして、全勝しないと駄目とか思ってなかったか?俺は胸を張れと言っただけだ。全勝しないと院生にならせないとは言ってないぜ」 ほれ、半分は胸を張れよ。 加賀はばんばんとヒカルの背を叩いた。ヒカルの胸がじんわりと熱くなった。 「泣くなよ。まだ、院生試験に受かってないんだからな」 「うん、加賀・・・」 「ほう、三面打ちの棋譜?これを出すのか?」 緒方はヒカルが差し出した棋譜を見ながら、その出来栄えに目を見張っている。 「うん、記念だからね。俺の記念の対局だもん」 パジャマ姿のヒカルが横に座ると、緒方はぽんぽんと頭を撫でた。 「初めてなのに、良い出来だ。きっと試験には受かる。なあ、ヒカル・・・後悔しないな?本当に?」 「精次兄さんは?」 緒方はヒカルを抱きしめた。 「俺は後悔するかもしれん。だが、お前が良いなら俺も良い。どうせ、同じ世界だ。負も正も合わせて0にしてやる」 「大丈夫だよ。俺はもう子供じゃない。中学生だ。中学生は大人料金を払うんだよ。知ってるでしょ?精次兄さん」 ヒカルの言葉に、緒方は大笑いだ。 「そうか、そうだな。そうだった。・・・さ、もう寝るか?」 「うん」 『おやすみ佐為』 『おやすみなさい・・・ねえ、本当に良いんですか?』 『アキラが待っているんだ』 『そうですね。アキラは待っている筈ですね。ヒカルを』 君の花23 ヒカルは対局場を見つめて呟いた。 「ここに、アキラがいるんだな」 『そうですね。ヒカル』 『あ、院生かな?』 ヒカルの目の前にいた少年が振り返る。 「アキラ?塔矢 アキラか」 だが、少年の呟きはヒカルには遠かった。 『妙な棋譜だなあ』 院生師範は首を傾げる。 『だが、緒方さんの推薦だ。そこそこの力はあるだろう』 「じゃあ、打とうか」 ヒカルはびしりと背を正す。 「お願いします」 「うん、これだけ打てれば良いよ。来月からいらっしゃい。ところで、この棋譜は日付が同じだけど?」 「あ、それは三面打ちの棋譜です。部の先輩と将棋部の先輩、同級生の三人なんです。初めてだったので、荒っぽいですが」 院生師範の篠田は唖然とした。 「え?初めてなの?そりゃあ、凄いなあ」 「でも、プロならこれくらい出来て当たり前なんでしょ?それに、俺、一人には負けてますし」 ヒカルの言葉に、篠田は目を細める。 「いやいや、碁を初めて幾ばくも立たないのに、なかなかだよ」 「え?そうですか。嬉しいです。アキラにも追いつけるかなあ?」 ヒカルの満面の笑顔の言葉に、篠田は首を傾げる。 「アキラって、塔矢 アキラ君かな?」 「そう、塔矢 アキラです。俺の友人なんです」 へえ、そうなのか。篠田はプロ試験中のアキラを思い浮かべた。 『あの子に、碁の友達がいたとはね』 確か、彼は何処の大会にも出てなかったはずだ。子供の囲碁教室にも行っていないと聞いている。 「そうなんだ。がんばりなさいよ」 「はい」 「ここが研修部屋ですよ」 篠田に案内されたヒカルとヒカルの母は、部屋を覗く。 「良かったわね。あの子も大喜びよ」 美津子はこっそりとヒカルに耳打ちする。 「へへ、今晩は向こうに泊まるからね。お母さん」 「はいはい。明日は帰って来てよ。お父さんが拗ねるわよ」 ヒカルが部屋を覗くと、先程すれ違った少年が検討をしている。ヒカルに気がつくと、顔を上げた。 「受かった?」 「うん、宜しく」 「なあ、さっき、アキラって言ったの、塔矢 アキラの事?」 「あ、聞いてたの?そうだよ。俺、友達なんだ」 ざわりと周りから、声が漏れる。 「塔矢と友達?」「何で?」 ヒカルはきょとんと周りを見つめる。 「え?何でって、友達だから」 「海王の学生なの?君も」 「違うよ。俺は葉瀬中なんだ。でも、アキラは友達なの」 塔矢 アキラの友達が院生試験に合格だと、噂は瞬く間に広がった。 「あ、アキラ!俺、院生試験受かったよ」 棋院の駐車場で、ヒカルは携帯に話かける。 「うん、でね、俺がアキラの友達だって言ったんだ。へ?うん、そう。みんな驚いてるんだよ。何でだろうなあ。うん、うん、了解」 ヒカルは携帯を仕舞うと、車に乗り込んだ。 「お話は終わった?じゃあ、行きましょうか」 「うん、精次兄さん、喜ぶかな」 「大喜びよ。でも、精次の事は隠しておくんでしょ?桑原先生もそう言ってらしたわ」 「うん、院生なんだから、塔矢みたいなプレッシャーをかけたくないって、精次兄さんが言うんだ。桑原のじいちゃんもじいちゃんにそんな事言ってたみたいだよ」 「あらあら、そうだったの。アキラ君は大変そうね」 そうなんだ。大変なんだよアキラは。 『ねえ、ヒカル』 『何?』 『あそこも水族館なんですか?水槽に綺麗な魚がいましたよ』 『あれは、写してるだけだよ。テレビと同じ。だから、あれは死なない魚なの』 『私みたいですね。幻ですか』 『佐為は幻じゃないよ。俺の中にいるし、アキラの中にもいた。ネットの中にもいたよ。みんなが佐為の棋譜を知ってるよ。ね、佐為は、幻じゃないよ』 試験に受かったと聞いた緒方は、ヒカルの頭を撫でると、視線を合わせ笑った。 「おめでとう」 「ありがとう。でも、プロには遠いよ。だって、まだ、院生だもん」 「ま、入り口に来たって所かな・・・。それでも、この間まで、碁石を握った事がないんだ。上出来だ」 緒方が、祝いに買っていたケーキを皿に移すと、ヒカルが珈琲をいれる。 「おいしい。ありがとう。兄さん」 「姉さんは、何か言ってたか?」 ふと、ヒカルの手が止まる。 「あ〜。明日は、帰って来いって。お父さんが、寂しがってるからって」 「はは、ここの所、週末はうちにいるからな。良し、俺も姉さんの顔を見に行こう。兄さんとボウリングでも行くか」 「いいね。お父さん、喜ぶよ」 わ〜い。 『ヒカル、ぼうりんぐって何です?』 『ボール転がし。鉄の玉を転がすの』 『へえ、妙な事をするんですね』 『・・・うん、そう言えば、妙だね。でも、見てみたら解るよ。楽しいんだよ』 「康介君!」 越智は家の前で、呼び止められた。 「こんにちわ。雪日子(ゆきひこ)さん。ピアノの帰りですか?」 「そうなの。でも、越智君が教室を止めてから、寂しいわあ」 越智は雪日子と同じ教室でバイオリンを習っていた。だが、院生に受かった途端、あっさりと止めてしまったのだ。 「囲碁の方が面白いもので」 「そうね、仕方ないわね」 ふと、越智は雪日子が海王の生徒である事を思い出した。 「ねえ、雪日子さんの中学に塔矢 アキラっているでしょ?」 「ああ、塔矢君ね。一学年下だけどね」 「今日、塔矢の友達が院生試験に受かったんだ。でもね、葉瀬中だって言うんだよ。海王じゃないんだ」 「ああ、何でも葉瀬中には、進藤って子がいて、塔矢 アキラのライバルだって言われてたみたい。日高がそう言ってたもの。でも、何かそんなに大した腕じゃないらしいんだけどね」 雪日子の言葉に、越智は唖然とする。 『塔矢のライバル?あいつが』 ばさりと越智の手から鞄が落ちる。 「あら、落としたわよ」 気がついてないような越智に雪日子は、鞄を拾うと差し出す。 「あ、ごめんなさい」 「どういたしまして。何?今日来た子は進藤って言うの?」 越智は黙って頷く。 「そっか、ま、康介君が負けるわけないか。がんばってね。さようなら」 「さようなら」 越智は雪日子に手を振る。 「塔矢 アキラの・・・進藤 ヒカルは何だ?」 友人なのかライバルなのか、その両方か・・・。 越智は溜息一つと首を振ると、自宅のドアを開けた。 「ただいま」 君の花24 「今日、来るやつ塔矢の友達なんだって」 「ふうん。強いのかな?塔矢ってプロ試験一位で通ったじゃん」 「そうそう。黒星は不戦敗なんだろ?すげえよな」 「あ、来たぜ」 ヒカルが顔を覗かせるとひそひそが止まり、みんなが一斉にヒカルを見る。 「おはようございます」 「ああ、おはよう」「おはよう」 ええと・・・誰か、教えて。と、ヒカルが周りを見回す。 「内田さんて誰?俺の相手なんだけど」 「あ、はい。あたし」 「あ、女の子なんだ。名前しか書いてなかったから。進藤 ヒカルです。宜しく」 ヒカルはぺこりと頭を下げる。 「ここにいる人は2組だけ?」 「あ、1組はあっちにいるよ。・・・やっぱ、強いんだ。1組を気にするなんて」 ぽそりとした呟きにヒカルが、指さしていた方向から顔を戻す。 「え?何?」 「何でもないよ」 「おはようございます」 院生師範の篠田が挨拶をする。 「今日からみんなの仲間が増えました。進藤ヒカル君です。よろしくお願いします。では、初めて下さい」 一瞬の緊張と静寂。 そして、石の音が静かに始まった。 「ありがとうございました」 ひそひそ。 「どうだ?」「内田の勝ち」「え?」 「どうだ?」「又、負けてる」「初日で緊張してるのかな?」 ひそひそ。 「進藤、昼飯どうする?」 「ええと。ごめん。誰?」 首を傾げるヒカルに、 「あ、ゴメン。俺は和谷。で、こっちが伊角さん」 「お昼コンビニに行こうかなと思ってた。和谷さん」 ヒカルの言葉に、和谷は目を向く。 「和谷で良いよ。伊角さん、行こう」 「え?俺が碁が強いって?誰がそんな事言ったの?」 和谷と伊角が顔を見合わせる。 「いや、誰も言わないけど・・・塔矢と友達なんだろ?だから、そんな噂になったんだ」 ヒカルは暫し考えていたが、納得する。 「俺の事、碁繋がりの友達と思ってるんだ。みんな」 「だって、そうだろ?みんなそう思うよ。普通は」 そうだよな。伊角さん。 「そうそう。特に、塔矢はプロ試験にトップで通った人間だ。そんな奴の友達なんて言えば、碁が強いと思うだろ?」 伊角と和谷の言葉に、成程なあとヒカルは頷く。 自分の叔父が緒方 精次だと知られれば、もっと大騒ぎだろう。 「俺、碁は始めたばかりなんだ。だから、そんなに強くないよ」 「始めたばかり?だって、院生試験に受かったじゃないか」 「うん、まあ、そうなんだけど・・・」 それは・・・佐為やアキラや兄さんのおかげなんだけど・・・。 「とにかく、俺は碁は強くないよ。アキラとは碁抜きの友達だし」 思わぬ誤解に、ヒカルが戸惑っていると、 「海王戦、塔矢と戦ったんだろ?」 声にヒカルは顔を上げる。 「僕は越智 康介って言うんだ。君、春の中学大会に塔矢と戦ったんだろ?」 「え、うん。そう。でも、負けだよ負け」 「塔矢は君をライバルだと言っていたそうじゃないか?」 あちゃ〜。 「あ、いや、そうなんだけど・・・」 しょうがないなあ。 「ライバルは塔矢の勘違いだよ。塔矢は俺が碁が強いと思ってたんだ。でも、勘違いと解って、ちゃんと仲直りしたんだ。だから、今は仲良いんだ」 ふうん。 『ヒカル、何だか疑ってますよ』 『しょうがないよ。あれはお芝居なんて言えないし。そんな事を言うと、ますます俺が碁が強いとか思われちゃうもん』 「みんな、何でそんなに塔矢にこだわるの?」 和谷と伊角、越智は顔を見合わせる。 「だって、塔矢 行洋の息子じゃんか。それに、すげえ、秀才じゃん。プロ試験なんか、トップで通るし、初戦なんて、不戦敗だ。しかも、ネット碁する為だぜ」 びくりとヒカルの肩が揺れる。 『和谷、知ってるんだ。アキラのあの日を』 「塔矢は良いヤツだよ。碁の才能はあるけど、普通の人だよ」 ヒカルの言葉に、和谷は溜息をつく。 解ってないんだなあと言う仕草だ。 「あのな、進藤。ここで、碁の才能があると言うのは、それだけで普通じゃないんだ。羨望の的なんだ。如何に自分は普通の人だとか喚こうともな」 ヒカルは和谷の言葉を噛みしめる。 「そうだね」 黙り込んでしまったヒカルの頭を伊角がそっと撫でた。 「まあ、辛い話だけど、勝負の世界だからな。仕方ない事なんだ。進藤ももうその一員なんだよ。解ってるんだろ?」 「うん、解ってるよ。でも、俺はアキラが大好きだ」 「アキラが大好きかあ」 和谷の言葉に、冴木がへ?と、顔を上げる。 恒例の研究会の帰りだ。 「誰がそんな事を言ったんだ?」 「こないだ入って来た奴。進藤 ヒカルって言うんだけど、塔矢 アキラの友達なんだって」 「へえ、塔矢 アキラって戦績とかないし、どんな奴なんだろうな?森下先生は、すげえ奴だって言うけど」 「あ、そいつは塔矢とはただの友達なんだって、ただの友達!!」 和谷の言葉に、冴木は笑う。 「ただの友達が院生試験受けて通るんだ。成程」 「だろ?」 和谷は肩を竦める。 進藤 ヒカルが何者かはまるで謎だ。 「ただ今戻りました」 冴木の声に、奥から返事が近づいて来る。 「あら、おかえりなさい。光二さん」 出迎えてくれたのは、従姉妹の鈴香だ。 冴木は伯父の家に下宿をしている。静かな環境で碁が打てると言う甘い言葉に釣られて見れば、厳しい現実が待っていた。 冴木の下宿先は寺なのだ。 広い境内や本堂、墓をこまめに掃除する。それが、冴木のお仕事だった。しかし、下宿代がただなのは嬉しい話だ。元来、掃除は好きだったので、要領さえ憶えれば直ぐになれてしまった。 「伯父さん、ただ今、戻りました」 冴木が挨拶に訪れると、客がいた。 「それじゃあ、わしはこれで」 「すまんな、平八さん。又、宜しく」 冴木と入れ替わりに、平八と呼ばれた人物は、部屋を後にした。 見送りから帰ってきた伯父が、冴木の側に来て聞く。 「なあ、光二。院生に進藤君ているのかあ?」 「え?ああ、和谷が、今期にその子が入ったと言ってましたよ」 冴木は先程の和谷との会話を振り返る。 「先程の平八さんの孫なんだって」 はあ、あの人の孫? 「あそこも二代続けて碁打ちを出すんだなあ」 「二代?・・・」 冴木が疑問を憶えた時、厨房から大きな音が聞こえた。 「鈴香さん、どうしました?!」 鈴香はどうやら、脚立から足を滑らせたらしい。 「大丈夫ですか?足は?」 「うん、捻ったかな?ゴキブリが飛び出してきてね。驚いたわ」 冴木は鈴香を抱き上げると、居間にと運んだ。 「お医者さんに見てもらいましょう。俺、用意します」 鈴香を医者に診せて、軽いねんざとの診断にほっとした冴木は、夜中になってからようやく思い出したのだ。 「ところで、進藤は・・・?二代って?」 君の花25 「和谷君、聞いてる?」 ひょこっと覗かれた顔と目が合い、和谷は慌てて返事をする。 「聞いてますよ。西脇先生」 「じゃあ、次ぎの問題を早く解いて」 西脇 かつみは和谷の中学の囲碁部顧問だ。だが、自身が囲碁を打てないため、院生である和谷に時々指導を頼んでいるのだ。 その代わりと言っては、和谷のあまり良くない成績を空き時間にフォローしている。 本職は数学の教師だ。 「で、ここが・・・出来た」 和谷の心底ほっとした声に、西脇は和谷の頭をわしわしと乱暴に撫でた。 「おお、出来たじゃない。これで、期末も赤点を免れるわね」 「痛い話を・・・」 とほほ、と、和谷は西脇の手をどける。 「まあねえ、進学しないつもりでも、赤点は許されないからね。そうだ、お母さんやお父さんは何て言ってるの?進学しなくていいの?」 和谷は肩を竦める。 「まあ、自分はどうだ?と、言われれば黙るしかないよ」 「ああ、お母さんは漫画家さんだったわね」 「そ、修羅場になる度に、上へ下への大騒ぎなんだよ。泣き喚くし、五月蠅いったらないの。父さんは単身赴任に飛びついちゃうし。俺って不幸かも」 額にでこぴんが炸裂だ。 「でも、良いお母さんじゃない。子供に好きな事をやらせてあげるなんて」 「まあね。うん、来年、プロ試験受かれば良いなあ」 「頑張ってね」 「うん」 「で、明日はクラブに顔出してくれる?ギブアンドテイクでしょ?」 和谷は肩を竦める。 「そんな事、考えなくても良いのに」 「あら、大人の世界には必要な事よ。情けは人の為ならず。自分の為なんだから」 西脇はもう一度、和谷の頭をわしわしと撫でた。 「アキラの誕生日だね」 緒方にヒカルが問いかける。 「ああ、そうだな」 「アキラ、何が欲しいかなあ。俺、今ちょっとお金あるから」 高い物でも良いけどね。 緒方は暫く考えていたが、一つ提案を出した。 「ありふれているがな。一番、良いと思う」 ヒカルは嬉しそうに、緒方にすり寄ると、緒方の指を掴んだ。 「そっか、あいつももうプロだもんな・・・」 「ヒカルはどうだ?成績は?」 ヒカルは緒方の指を引っ張ると、ぶらぶらと左右に振った。 「俺?全然駄目。この前、海王の岸本さんの話を聞いたら、あの人でも一度しか一組に上がれなかったんだって・・・。厳しいね。あ、そうだ。棋院で桑原の爺ちゃんを見かけたよ。こないだメールが来て、クリスマスに欲しい物ないか?だって」 欲しい物は無いけどね。 「・・・爺・・・俺がしっかりいらないと言っておくから安心しろ。で、お前は何が欲しい?」 「・・・兄さん、今、俺、欲しい物ないって言ったよ・・・」 がくりと肩を落とすヒカルだ。 「そんな事はないだろう?!考えるんだ」 「・・・あ〜。どうしてもって言うなら・・・25日で良いから、アキラと俺にご飯を奢ってよ。ね、それで良いでしょ?あ、芦原さんにもね」 アキラ君はともかく、何で、芦原に? 「あ、そうだ。これを持って行ってやってくれ。あかりちゃんにだ」 緒方は小さな包みをヒカルに渡す。 「クリスマスには早いんだが、暇がないもんでな」 「イヤリング?」 「そうだ。まあ、もう、中学2年だからな。水晶のイヤリングなんだ」 後日、緒方はあかりから写真を貰う。駅前の証明写真の中には、イヤリングをつけたあかりが笑っている。 「良く似合うな」 「すげえ、喜んでたよ。良かったね」 「これを僕に?」 「そう、誕生日、おめでとう。アキラ」 ヒカルから渡されたのは、カシミアの手袋だった。 「精次兄さんがね、手は大切だって言うんだよ。アキラももうプロだから、指が割れたりしたら困るだろ?」 アキラは照れくさそうに微笑むと、ヒカルの手を握った。 「ありがとう」 「院生はどう?」 「おもしろいよ。でも、まだまだ先は長そうだよ。でも、何時かアキラと同じ位置に立つよ。その時は・・・」 「その時は?」 アキラがごくりと喉を鳴らす。 ヒカルは何を言おうとしてるのか? 「その時は、不二家のワンホールケーキ奢ってよ。俺、あれ食べて見たかったんだ」 へなへなとアキラの力が抜ける。 『良かった〜』 「ワンホールと言わず、二個でも三個でも好きなだけ上げるよ」 「あはは、俺でもそんなには喰えないよ。あ、そうだ。25日、精次兄さんがご飯奢ってくれるって。空けておいて。芦原さんにも伝えてね。精次兄さん、きっと芦原さんには何も言わないつもりだろうから」 「OK。ねえ、クリスマスに欲しい物ない?」 戸惑いながらアキラが口にする。友達にプレゼントされるのもするのも初めてなのだ。 実はアキラはヒカルの誕生日を知らなかった。だから、知らない内に過ぎてしまったのだ。せめてクリスマスは何かしたい。 「ん、欲しい物ってないんだけど」 「何もないの?」 「ん、ないなあ・・・。え?佐為?うん、そう」 どうしたの?とアキラが首を傾げる。 「佐為が、ポインセチアの事を聞くんだよ。変わった花だって」 ヒカルが指さす方向には、花屋がありクリスマスの花や木が飾ってある。 「緒方さんの所にはツリーある?」 「ないよ」 その言葉で、アキラは立ち上がると、花屋の店先に飛んで行った。 「はい。これ」 アキラがくれたのは、小さなツリーだ。小さいながらも色々と小物がついている。 「え?くれるの?ありがとう。あ、アキラ。佐為もお礼言ってるよ」 『ありがとう。アキラ』 「アキラ君から貰ったのか?」 緒方はミニツリーをしげしげと眺める。 「うん、佐為にだって」 「今年はクリスマス気分を味わうか?ツリー買って、飾り付けして」 「飾りは良いけど、ツリーはいらないよ。ここにあるもん」 アキラのツリーが一番だから。 「これ以外、いらないよ」 緒方はヒカルの頭を撫でる。 「そうだったな。悪かった。お、そうだ。リースでも飾るかな?」 「良いね」 |
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