ヒカルの碁 緑の日々
緑の日々 (青嵐番外6)

 おかあさんって呼びたかったよ。
 でも、最後までそれを許してくれなかった。
「貴方のおかあさんは一人だけでしょ?」
 それはそうだけど。
 俺もおかあさんって呼びたかったんだ。
 だから、精次が羨ましかった。
 でも、精次はおとうさんとは呼ばせてもらえなかった。
「ねえ、僕らは兄弟になれないの?」
 小さな弟の手をひきながら、その問いの答えを聞く。
「・・・は、頑固だからなあ」
「でも、おとうさん。僕はおばさんが大好きだから、おかあさんて呼びたいよ。精次を弟に欲しいよ。駄目なの?駄目?」
「弟って呼ばなくても、弟として可愛がってあげれば良い。な、精次」
 おとうさんが精次の頭を撫でる。
「な、蓮は精次のおにいちゃんなんだから」


 七つの時に、実母は離婚した。
 十の時、精次が生まれた。
 俺はおかあさんが出来ると喜んだ。
 おばさんが、授業参観に来ると、周りから羨ましがられた。若くて綺麗で美人なおばさん。姉達も自慢にしていた程だ。
 仕事が出来て、美しいおばさんは姉たちの憧れでもあった。
 精次が生まれた時も、姉は喜んで、せっついては抱かせて貰ったものだ。
 だが、父とおばさんは結婚しなかった。
「あいつは臆病だから」
 そう言って、苦笑する父だったが、何回したか解らない程、プロポーズを繰り返していたのだ。
 それを俺が知ったのは、父が墓に入る前だった。
「思えば、あいつは自分が死んだら、お前たちが母を二度失うと思っていたんじゃないかな?」
 うん、そうかもしれない。
 でも、俺は呼びたかったよ。


「かあさん、精次が来たんだね」
 墓に真新しい花が供えてある。
「精次は可愛い恋人を連れていただろ?本当に可愛いんだよ。あのやんちゃな精次を夢中にさせる程なんだ」
 くすりと蓮は仏頂面の弟を思い出す。
「とうさんはどう思った?結構、お似合いでしょ?」
 囲碁のプロなんだって。かなり凄い腕前らしいよ。
「あの精次が強いって認めた程だよ」
 金色の前髪をなびかせる、幼なさの残る顔を思い出す。
「精次にはもったいない程、優しい、良い子なんだ。天涯の花と呼ばれているらしいよ」
 くすりと苦笑が漏れる。
 その天涯の花を大切に守る番人は、破天荒な自分の弟だなんて。
「ねえ、かあさん。精次は幸せだよ。俺の弟は、ようやく大切に出来る者を見つけたよ。ねえ、かあさん」
 精次は幸せな顔だっただろ?


「進藤!」
 ヒカルが振り返ると、アキラが手を振りながら走ってくる。
「あれ?お前、仕事じゃなかった?もう、終わったの?」
「うん、終わった。僕、ご飯を食べてないんだ。一緒に行かないか?」
 さもお腹が空いたと、アキラは腹を抱える。
「うん、良いよ。でも、俺、もう昼は食べたから、茶くらいにしかつき合えないよ」
「それでも良いよ」
 じゃあと、並んだ腕を背後から引っ張られる。
「奢って〜」
 振り返らなくても解る、芦原である。
「どうしたの?芦原さん」
「財布忘れた・・・」
 ヒカルは苦笑すると、OKと芦原の手を握った。

「ああ、落ち着いた」
 喫茶店でカレーを食べつくした後に、芦原はヒカルを拝む。
「良かった〜。アキラと進藤君を捕まえて」
 だって、誰も奢ってくれないんだもん。
「そりゃあ、しょっぱなから奢ってなんて言ったら、誰もいい顔しないよ」
 アキラはスプーンを芦原に突きつけると、苦笑する。
「だって、返せるかどうか解らないから」
「どうして?」
 ヒカルがはてと首を傾げる。
「財布にいくら入ってるか解らないの」
 それじゃあ、財布があってもなくても変わらないじゃない?
「あ・・・ばれたか。今月は苦しいの」
 ハタとアキラが膝を叩く。
「クリスマスプレゼント!でしょ?」
 おお、よくぞ聞いてくれました。
 芦原は喜々としてアキラの手をがしりと握る。
「可愛いアクセサリーを見つけたんだ。市河さんに送ろうと思って」
「で、お金を取り置いてあるんだ。成程」
 ヒカルは芦原にメニューを突き出す。
「パフェとケーキ。どっちが良い?ねえ、芦原さん」


「で、アキラ君が食事、お前にデザートを奢ってもらったのか。あいつは」
 呆れたと緒方が苦笑する。
「でも、市河さんの為だからね。良いの」
「クリスマスプレゼントか・・・ヒカルは何が欲しい?」
 緒方が目をきらきらとさせて、ヒカルの顔を覗き込む。
「遠慮するな」
「俺、別に何もいらないよ。緒方先生こそ、何かいらない?」
「ばあか、子供が気を使うなよ」
 欲しい物はもう手に入れたから、他は何にもいらないよ。
 ヒカルの言葉に、緒方は嬉しそうにヒカルの頭を撫でる。
「そっか。じゃあ、今年は二人でクリスマスを過ごすか。イブの昼に碁会所でパーティがあるんだ。それからは二人で過ごそう」
「うん、良いね。二人で碁を打ちながら、過ごそうよ」


『緒方先生、喜んでくれるかな?』
 ヒカルはカシミアのマフラーを撫でる。

『ヒカルは喜んでくれるかな?』
 緒方はスニーカーのサイズを店員に出してもらう。


「「さて、クリスマスまで何処にしまって置こうか」」


 そうだ。


「「蓮さんに預けておくかな?」」


 二つの包みを前にして、蓮は微笑む。
「ね、お似合いの二人でしょ?」
 かあさん、とうさん。
 ほら、こんなに相手を思いやっているんだよ。
「それに」
 蓮は他の包みを覗く。
「これは由比たちにだって。はは、さあ、これこそ何処に隠そう」
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