ヒカルの碁 水明館の夜
水明館の夜(青嵐番外5)

 水明館のイベントが再び、ヒカルにも巡って来た。
 懐かしいとヒカルは、渡されたレシピを胸に抱える。
「今日は誰と相部屋かな・・・」
 覗き込んだ紙に、ヒカルの頭が空白になった。
 そこに書かれていた名前は、緒方とアキラだった。
「はあ〜?何で、二人が来てるんだ?しかも相部屋なんて・・・」
 タイトルホルダーとタイトル挑戦者二人が相部屋なんて、聞いた事ないよ。
 ヒカルは脱力すると、荷物を置きに部屋へと向かった。


「よ、来たな」「やあ」
 部屋で二人が揃ってにこやかに手を振っている。
「緒方先生・・・何で、教えてくれなかったの?」
「「驚かせようと思って」」
 二人のはもった声に、ヒカルはがっくりと膝をつく。
 あはは・・・。
 この二人は何時の間にこんな性格になってしまったのだ?
「これで、芦原さんまで来てたら・・・怖いよ」
「来てるよ」
 さらりとアキラが答える。
 え?!
「き、来てるの?」
「ねえ、緒方さん」「おお、残念ながら白川はいないがな」
 いえ、残念ではありません。緒方先生。
 ヒカルは内心で、呟いた。ああ、これは誰の陰謀かしら?と。


 若手のホープ、アキラとヒカルが揃っている事もあって、二人の指導碁は大人気だ。
 指導碁が終わった時は、二人ともくたくただった。
「はあ、疲れた・・・」「そうだねえ」
 これ以上は捕まりたくないよ。
 二人でこそこそと会場を後にする。
 月の下で自動販売機のジュースを買うと、乾杯と缶を傾けた。
「ふう、疲れた」
「お前、大人気だな。もう、塔矢 アキラの名で通用するな」
「ふふっ。君も、進藤 ヒカルで通用するよ」
 顔を見合わせると、一斉に吹き出した。
 笑い声が高らかに響く。
「ねえ、進藤・・・僕は・・・」
「ん?何?」
「本当に君に会えて良かったよ。苦しい事もあったけど、君を手に入れた。嬉しいよ」
「俺も、嬉しいよ」
 見合わせる顔の真ん中に、ぬっと手が入る。
「はいはい、ヒカル君を口説かないように。アキラ、抜け駆け禁止」
 芦原の手だった。
「と、後の旦那が言ってますぜ」
 芦原の背後には緒方が立っている。
「あれ?緒方先生、今日は飲みに行かないの?」
「誘われてはいるんだ。まあ、少ししたら帰って来る。又、酔っぱらいと碁を打ってくれないか?ヒカル」
 ヒカルは微笑を緒方に返す。
 ああ、月が綺麗だ。


 アキラとヒカルは簡単な雑談を客と交わすと、部屋へと引き上げた。
 三人部屋の為、以前の緒方と打った部屋とは違うが、ヒカルは嬉しげに碁盤を撫でる。
「一局打つかい?」
「ああ、いいな」
 アキラの言葉で、二人は打ち始めた。
「あの時と同じだな。その席には緒方先生がいたけど・・・」
 何だか凄く昔みたいだなあ。
「それは何時?」
「ん?プロ試験に受かって最初の年、ほら、俺がふけて手合いに出なかった前の事」
「ああ、そうか。あの頃か」
「うん、お前にも心配かけたよな・・・。俺は勝手ばかりして。その二年後は北斗杯だった・・・。あの時も俺の勝手だ・・・。そして、今年も・・・」
 今年の水明館は秋だった。紅葉を眺める会だと言う事だ。
「僕は君に会えて良かったと言ったろ?君が居なければ、僕の人生はドラマティックにはならなかったよ」
 ヒカルが爆笑する。
「お前、結構、物好きだなあ。そっか・・・」
 突然、ばたんとドアが開いた。
「ヒカル、今、帰った」「ただいま〜。ヒカル君」
 酔っぱらいのご帰還だ。
「酔ってる?」
 ヒカルの言葉に、
「酔ってる。お前に」
「・・・あ、そう。ところで芦原さんは?部屋に帰らないの?」
 芦原はにこにこと笑うと、布団を指さした。
「俺はヒカル君と寝る。何時も寝てただろ?な、ヒカル君」
「・・・ま。いいけど。いいけどお・・・」
 ちらりと緒方を見上げる。
「俺はそこまで心は狭くないつもりだが・・・駄目だ」
 緒方はにべもない。
「ヒカルは俺と寝るんだ。絶対に譲れん。な、ヒカル、俺と寝るな」
 ヒカルは頷くと、緒方の布団に潜り込む。
「振られた〜。ねえ、アキラ、一緒に寝ようよ」
 すり寄る芦原を、アキラはにべなく断る。
「却下します。ところで、緒方さん、進藤を踏みつぶさないでくださいね」
 ふふんと緒方は鼻を鳴らす。
「俺は慣れてるんだ。大丈夫だ」
 やれやれと、芦原とアキラは顔を見合わせた。


「眠れない?アキラ」
「芦原さんこそ」
 隣ではヒカルと緒方の穏やかな寝息が聞こえる。
「じゃあ、外に行こうか」
 それに、アキラはそっと頷いた。


「進藤君、元気になったね。良かった」
「ええ、緒方さんのおかげです。僕は何も出来なかった・・・」
 旅館のロビーは静まりかえっている。その一番端に二人は腰を下ろした。
「アキラはアキラだ。進藤君にとって君はかけがえがない人なんだぜ。アキラは進藤君の碁を支えているんだ」
「それは、緒方さんでしょ?」
「違うよ。アキラだ。緒方さんは進藤君の心の支えだよ。碁じゃない。解るだろ?アキラがいないと進藤君の碁は崩れてしまうんだ」
「それは大したかいかぶりですよ」
「かいかぶりなんかじゃないよ。進藤君はアキラを追いかけてここまで来たと言ってたよ。追いついて追い抜かしてやるってね」
 アキラがくすくす笑う。
「それも布団の中で聞いたの?芦原さん」
「そうだよ。ねえ、アキラ。アキラは進藤君がいないとどうする?」
「どうもしませんよ。タイトル全制覇を目指すだけです。でも・・・ふふ・・・今更いないなんて考えられないな」
 君が今、僕を支えているんだから。

「そうだよ。進藤君はアキラに支えられているんだ」
 どう?
「ああ、僕の宝物ですね。進藤は」
 きっとこの先も何処までも、辿りつける先まで、僕は進藤と同じ旅をするんだ。
 だから、お願いです。
 碁の神様。
 進藤に安らかな眠りを。僕に彼と手を繋ぐ勇気を下さい。

『ええ、貴方に勇気を』

「アキラどうしたんだ?」
「いえ、今誰かに声をかけられたような・・・」
「ふうん。あ、今夜の月が見せた魔法かもしれないよ。俺は案外信じてるんだ。月の魔法」
「そうですね」
 アキラと芦原はロビーの窓の空を仰いだ。
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