ヒカルの碁 コランダム
コランダム (青嵐7)

 赤い石と青い石。でも、この石は同じなんだよ。
 昔、緒方さんが僕に教えてくれた事。
 見かけは全然違うけど、同じもの。それがとても不思議だった。
 でも、僕はみつけたんだ。
 見かけは違うけど、中身はまるで僕と同じ。
 進藤 ヒカルと言う宝石。


「ルビーとサファイアの事?」
 ヒカルはにこりと笑う。
「ほう、お前はやはり物知りだな」
「違うよ。あいつが赤い石を付けてたから、調べてみただけだよ。酸化アルミニウムの変種でしょ?」
 緒方はますます目を細める。
「進藤ならサファイアだな。どこまでも青い空のようだ」
「あいつは赤だったよ。囲碁にかける情熱の色だった。塔矢も・・・赤だな」
 ヒカルが眠そうに毛布を引き上げる。
 緒方はその頬に唇を寄せると、そっと掠めた。
「おやすみ。進藤」


「進藤は時々泊まって行くんですか?」
 アキラの質問に緒方は、素直に答える。
「ああ、食事をした後とか休みが重なる時とかだな。ま、勘ぐらなくても何もないよ。俺達の間にはな」
 別にそう言うわけでは・・・。アキラは微かに頬を染める。
「緒方さんは進藤を支えてあげられるんですね。僕も碁以外でも彼を支えて上げたいんです。僕に出来る事はないですか?」
 アキラの言葉は、二人に対する微かな嫉妬から出た物でもあった。碁以外に自分が入り込む余地はないのが悔しいのだ。
 緒方はアキラの気持ちなど良く解っている。
ヒカルはアキラに本当に何でもないように振る舞うのだ。それが、アキラには歯がゆいのだ。
「なあ、アキラ君。君は真っ直ぐで前しか向いて進まないとヒカルは思っているんだ。君がいるからヒカルは君を追いかけられる。君はヒカルの一番の支えなんだよ」
「じゃあ、進藤はどうして僕を頼ってくれないんですか?僕でも出来る事はあるはずだ」
 何で、緒方さんや芦原さんなんです?どうして僕じゃないんです?

「アキラ君は誤解している。ヒカルは俺や芦原を頼ったりはしない。ヒカルは、誰にも頼ったりしないんだ。寧ろ、俺が支えて貰ってる方だな」
 アキラは緒方の言葉を黙って聞いている。
「ヒカルが頼るのはアキラ君、君だけだ。君を目標にヒカルは歩いているんだ。君に何時か追い付き追い越す。それがヒカルの支えなんだ。だから、アキラ君は揺るがないでくれ」
 緒方の言葉にアキラは今だ不満そうだ。
『若いな』
 緒方は内心苦笑する。この若さがアキラの良い所なのだが、同時に欠点でもある。
 自分に厳しく他人にも厳しいのだ。
 今はヒカルの為に何も出来ないと感じる自分に厳しくなっている。
「ルビーとサファイアの話をしただろ?すごく昔の話だがね」
「ああ、コランダムの話ですね」
「そう、ヒカルがサファイアならアキラ君はルビーだな。ヒカルの中にはルビーを語る人物がいるんだ。そいつは囲碁に懸ける情熱が赤いのだとヒカルは言っている。誰かは解らないが、今はアキラ君にその人を重ねているように聞こえるよ」
「進藤が僕を?」
「ああ、ヒカルはアキラ君を赤いと言ったんだ」
 僕がルビーだって?進藤が僕を?
「緒方さん、僕は・・・」
「君の立ち位置が解ったかい?」
 緒方は穏やかにアキラを見つめる。
 思えば、アキラは何時も何時も厳しい状況に置かれていた。勝負士の家だ、父親がスランプの時はさぞ辛かったろう。
 だが、そこから自分が強ければ大丈夫なのだと言う事も学んだ。
 アキラの子供時代は、強くなりたいそれのみだった。
 だが、強くなってもそれが誰の為かは持てあます所でもあった。自分の為だけに強くなるのは当たり前の事だ。だが、誰もそんな自分を必要としてくれないのではないか?
 アキラは常に、人に必要とされたい点が満たされていなかった。
 緒方はその点を良く理解していた。
「ヒカルはアキラ君の事が好きだよ。君たちはきっと背中合わせの存在なんだな。コインの様にな」
 アキラの顔が一瞬にして輝く。
「進藤はそう思ってるんですか!?」
「でないと、ルビーだなんて言わないだろうな。俺にはそんな言葉をくれた事なんかないからな。ま、俺は背中合わせは嫌だな。俺は抱きしめる方がいい」
 緒方は笑うと、アキラの頭をぽんぽんとはたいた。
「君はいなくならないよな。ヒカルの前から」
「?何を言ってるんです?僕は進藤とずっと一緒ですよ。この命つきて碁が打てなくなるまで、進藤の前に座りますよ」
 アキラの言葉に緒方は微笑んだだけだった。


 世間は夏休みに入っている。街は学生の喧噪で埋もれている。
「夏休みなんだ」
 喫茶店の二階から窓の外を眺めてヒカルは呟く。
 目の前にはチョコレートパフェ、アキラの前には冷やし白玉が置かれている。
「そうだね。夏休みなんだ。僕達にはもう結構前の話だよね」
 アキラは白玉の上のかき氷を口に運ぶと、心地よさにため息を吐いた。
「そんな事を言ったら、俺なんて何時の事だか」
 ヒカルの隣に座っている芦原は、特大のフルーツパフェをもごもごとかき込みながら、行儀悪くスプーンをアキラに向けた。
「俺、昔は大人っていいなと思ってたけど、いざ働いてみると大変なんだな。休みが欲しくても休めない事もあるし。でも、好きな事で稼げるのは幸せな事だよな」
 ヒカルの呟きを聞いて、芦原もアキラも驚く。
 正直に言うと、芦原やアキラはそんな事を思った事は微塵もなかったのだ。アキラの場合は親が碁打ちだったからで、芦原の場合は周りの進めがあった為だ。
 無論、決めたのは自分だが、好きな事で稼ぐとは考えてなかった。
「進藤君は面白い事を言うね」
「うん、俺、碁が好きだから。出来れば死ぬまで棋士でいたい。俺、棋士を止めないよ。どんな事があっても止めない」
 芦原とアキラは、ヒカルの言葉に新たな決心を聞いた思いだった。


 先日、芦原は白川からとんでもない話を聞いた。到底自分には想像も出来ない話だ。
「進藤君はそんな素振りは微塵も見せてませんでしたよ」
「まあ、それが進藤君なんだよ。緒方さんが、やきもきするくらい健気だからね。本当にねえ、可愛いんだから」
 その後、ファーストキスを緒方に捧げたと言う話を聞くに至って、芦原の涙腺はついに緩んでしまった。白川はそんな芦原にハンカチを差し出す。
「本当に純粋な子だねえ。緒方さんの誠意に自分の目一杯の誠意を差し出すんだから。健気と言う言葉以外は当てはまらないよね。緒方さんも大変な恋愛をしたもんだね」
「?白川先生?」
 芦原は首を傾げる。大変な恋愛?大変とは何だろう?
「痛いんだって」
 ここがね。白川は胸を指さす。
 芦原はようやく納得が行く。緒方にそんな事を言わせるなど、今までなかっただろう。
「でね、怖いんだって。自分が進藤君に害を加えた輩と同じになりそうで」
「緒方さんなら、大丈夫ですよ。俺は緒方さんを信じています。進藤君もそうですよ」
 白川はにこやかに笑いを零す。
「僕もそう思うんだけどね。案外、気が弱いんだよね。彼は」


 日帰りのイベント先で、ヒカルは腕を捕まえられた。
 人気のない部屋の前で、いきなりな乱暴にヒカルは眉をしかめる。
「離して下さい。俺はあんたに用はない」
「俺はある。どうやって緒方先生を落としたんだ。身体でも張ったのか?」
 突然、股間を捕まれてヒカルは呻く。
「お前は具合が良い奴だからな。緒方先生を落とすのも簡単だっただろ?」
 ヒカルの身体がぶるりと震える。それは怒りの為だった。
 おもいっきり腕を振ると、相手を引きはがす。
「緒方先生はお前等みたいな事はしない!」
 怒りで真っ赤に震えるヒカルは、相手をきつく睨みつける。
「俺だって、あんた一人なら、為すがままになんてならない!」
 俺は、お前が大嫌いだ。
 緒方が罵られた事は、ヒカルの中で一番怒れる事だった。あの優しい緒方が、こんな奴におとしめられるなんて、我慢がならなかった。
 ヒカルの拳が相手の頬を掠める。が、すんでの所で相手は腕を掴んだ。だが、ヒカルは足蹴りを横腹に命中させた。只、左足だった為に腕をゆるめる事しか出来なかった。
「そんなに緒方が良かったのか?」
 相手の挑発に、ヒカルは目の前が赤く染まった。
「緒方先生はお前等じゃない。お前等は俺に何をした?!緒方先生はそんな人じゃない!」
 ヒカルが再度殴りかかる。が、その拳は空を切った。
 だが、目の前の人物はいとも鮮やかに後方に飛んでいった。
 どすんと叩き付けられる音が、あたりに響く。
 唖然とするヒカルに背後から、声がかかる。
「進藤、遅くなった。迎えに来た」
 その声にヒカルはがくがくと震えだす。
「どうした?進藤」
 緒方の手がヒカルにかかる。
「触らないで、緒方先生・・・今の聞いたんだね」
 緒方はヒカルの肩に手をかけて、ヒカルを抱きしめる。
「俺が何を聞いたって?俺はお前を迎えに来ただけだ。さあ、帰るぞ」
「やだよ。やだ。聞いただろ?!俺は先生に嘘言ってた。俺は先生を騙してた。俺は・・・」
 緒方はヒカルをしっかりと抱えると、抱き上げた。後ではまだ呻き声が聞こえる。
「俺が何を聞いたって?お前は嘘なんか付かない。お前は俺に嘘なんかつけない」
 二人の姿が消えてから、ひょっこりと現れたのは白川だ。
 今だに伸びている人物に駆け寄る。
「大丈夫かい?」
 助け起す素振りなのだが、魔法のように肘を取った瞬間、相手がまた呻く。
「あら、大変だね。肘が外れてるよ」
 よいしょと、壁に上半身だけを立てかけると、白川はさっさと消えてしまった。

「離して、緒方先生」
 無理矢理に車に押し込まれたヒカルは、緒方から顔を背ける。
「お前は嘘は言わない。ここは本当に初めてだったんだろう?」
 緒方はヒカルの顎を掴むと、反対の手でヒカルの唇に触れた。
「でも、俺は・・・聞いたでしょ?俺は嘘言ってたんだ。緒方先生を騙してたんだ」
 狼狽え、パニックになっているヒカルの両手を緒方は黙って握る。
「俺は知ってたよ。お前が嘘つきと言うなら、俺も嘘つきだ」
 お互いに嘘つきなんだよ。
 緒方はヒカルの両手を額に押し抱く。
「俺はお前を愛しているんだ。お前をあいつらと一緒の目で見た事もある。お前に触れたいと思ったのも一度や二度じゃない。だから、俺の方が嘘つきなんだ」
 ヒカルは目を瞑ると、静かに緒方の頭に顔を寄せた。
「俺もだよ。緒方先生」


 緒方の部屋でヒカルは又、空を眺めていた。その手には緒方の時計が握られている。
『返さないとね。緒方さんに』 
青嵐目次 狂雲柔らかな鎖