ヒカルの碁 マーチでGO16(アメジストのない夜)
マーチでGO16

「行けー!」
 タガが外れた笑い声が起こる。
 ただ今、宴会中である。しかし、この中の半分が未成年ってどうよ?
 場所は緒方の家だ。
 メンバーは、緒方にヒカル・アキラに芦原・冴木に和谷に伊角。
 何故にこんなメンバーで宴会になったかと言うと、緒方の提案であった。
「俺とヒカルの同棲のお祝い」
 などと言う巫山戯た題名の集会の為だ。


「ねえねえ、緒方さん。何でこの隣って何時も空家なんです?」
 緒方のマンションはコの字型で、緒方の左隣は空き部屋、反対の右は階段がある。
 つまりはこの部屋だけ独立しているのだ。
「ん?ああ、うん、この隣でな。首つり自殺があってな、幽霊が出るとかで買い手も借り手もないんだ」
 芦原はにんまりと笑う。
「ではでは、怪談でもいたしましょうよ。蝋燭あります?」
「そんな物はない。ん?あ、あった。アロマテラピーとか言うやつ」
 緒方はガラスのグラスに入ったオレンジ色のキャンドルに明かりを灯した。
 夜の部屋、ぼうっと皆の顔が照らされる。
「これ、ミカンの匂いする」
 ヒカルの言葉に、和谷も頷く。
「うん、ミカン臭い」
「和谷、オレンジと言えよ」
 伊角はあえて口にしたが、伊角もミカンだと思っていた。そのキャンドルは、駄菓子のミカン臭いのだ。
「まあ、いいじゃない。じゃ、始めようよ」
 未成年も含め、全員が少々の酒を飲んでいる事もあって、気分的にはのりのりだ。
 普段はのりの悪い、と、言うか止めに入るはずのアキラも、目が輝いている。
 暗い室内のリビングに、車座に座った男達の影・・・これだけでも、かなり不気味だ。

「まずは、僕から」
 一番、芦原行きます。
「ええと、そうだな。僕が出会った不思議な話なんだけど、昔、盲腸で入院してる時にね、緒方さんがお見舞いに来てくれたんだ。で、帰った後で、直ぐに緒方さんが入って来たんだ。白衣を着てね。ドッペルゲンガーかと思ったよ。ああ、緒方さんも長くないんだなあって。もしかしたら、今、事故にあってるかもって」
 がすん!と、芦原の頭に拳骨が落ちた。
「アホ!縁起でもない。あれは俺の親父だ!」
「痛いなあ、本当にそう思ったんだから仕方がないじゃない」
「そもそも手術した時に会ってるだろ?!」
「・・・眼鏡かけてなかったから、解らなかったんです」
「どこをどう見たら親父と俺を間違う!」
「いや、瓜二つでしたよ」
「やっぱり、似てるんだ」「そうなんだ」「瓜二つなの?」
「芦原、それは怪談か?」
 緒方の脱力に、
「俺にとっては十分怪談ですよ。本当にびっくりしたですもの」


 緒方の話
「気を取り直して、俺の話。芦原、お前が入院した病院、大部屋の前に個室があったろ?あそこは霊安室にも使われていてな。まあ、他に霊安室はあるんだが、遠いもんでな、あそこが仮の霊安室だったんだ。で、そこは当直医師の仮眠室でもあってな」
 夜中に親父がそこで寝てたら、ナースステーションが五月蠅いんだ。五月蠅くて五月蠅くて眠れない。あんまり腹がたった親父が、怒鳴り込んで行ったら誰もいない。
 あれ?とか思ってたら、見回りから帰って来た看護婦が不思議そうに親父を見てるんだ。
「どうされました?何も異常はありませんよ」って。
「いや、あんまり五月蠅かったから注意をしようと思って」
「え?五月蠅いって今日は異常もないですし、静かな夜ですよ」
「?でも、凄くおしゃべりをしてたぞ」
 看護婦は首を振るんだ。
「今日は今、交代したばかりですから、休憩はしてないんですよ」
「じゃあ、あの声は誰だ?」
「さあ」
 て、話だ。

「で、結局、そこは物置になった」
「今はどうなってるんです?」
 アキラの質問に、緒方は苦笑する。
「市民病院は建て直しただろ?もう、部屋はないぜ」
 ああ、成程。旧市民病院の話か。皆の脳裏にはぴかぴかの建物の病院が浮かぶ。
「へえ、あそこでそんな事があったんですね。でも、一体、何だったんでしょうね」
「さあなあ。親父は何も言わなかったしな。大体、親父は幽霊を怖がらないが安眠妨害は大嫌いだからな。閉鎖した理由もそれだと思うぜ」
 成程。緒方の父らしい行動だ。


「じゃあ、次ぎは俺が話します」
 言い出したのは伊角だ。
「俺、中国の棋院に暫くいたでしょ?そこの話です。まあ、怪談とかではないんですけどね」
 伊角の話。
 中国棋院にはまあ、ジンクスがありましてね。資料室に不思議な染みが出来るんですよ。
 何時もじゃなく、ごくごくまれに出来るんですけど。その染みが仏像に似てるんです。いや、仙人かな?皆が話すには、その染みを触ったら、碁が上達するって言う噂があるんですよ。
「え?本当に?」
「まあ、あくまで噂」
 伊角は皆を見回して、にっこりと笑う。
 で、俺、その染みに触ったんです。
「へえ、だから、プロ試験に合格したんだ」
 あははと、伊角が笑う。
「でも、その染み、俺にはパンダがほおづえをついているように見えたんですよ」
「・・・ありがたみが薄れる形だな・・・」
「そうなんですよ。緒方先生。それに皆はいつもは、こんな形じゃないって言ってました」


「じゃあ、次ぎは僕が話しましょう」
 アキラの話。
 うちに井戸があったのは、緒方さんはご存じでしょ?
「ああ、あったな。確か、アキラ君が5つの年まで」
「それです」
 その井戸には、危なくないように大人でも持ち上げられないくらいの重い鉄の格子がしてあったんですよ。
 僕は常々、井戸の側では遊ばないように言われてました。
「ああ、鳴き井戸だからな」
 緒方の言葉に、アキラは頷く。
 ええ、あの井戸は鳴くんですよね。僕はある日、好奇心に負けて、井戸を覗いて見たんです。
「で?何か見えた?」
 ヒカルの言葉にアキラは首を振る。
 何も見えなかったよ。でも、井戸だから何か落としてみたくなるじゃないか?
 皆が一斉に頷く。
 で、僕も落としてみたんだ。
「丁度、手に持っていた碁石をね」
 ぼちゃんと言う音の後に、地面から唸り声が聞こえて来たんだ。
 うおおおおって。
 で、見る見る間に水がせり上がって来たんだ。僕をめがけて。
「怖かったよ。井戸の神様が怒ったのかと思った」
 その後、住宅とかが沢山出来て、直ぐに枯れてしまったけどね。
「あの時は一晩中震えてましたよ。で、翌朝に見に行ってみたら、もう水は引いてましたけど」
「緒方先生、鳴き井戸って何?」
 ヒカルの言葉に、
「ああ、自然現象だ。井戸って言うのは石を入れたら圧力が変わって水が一端引いて迫り上がって来る事もあるんだ。音がするんで先生が鳴き井戸と言ってたけどな。俺は昔、先生にからかわれた事がある」
「父にですか?」
 アキラは以外な顔をする。
「あの井戸に石を投げてみろと言われた。もし井戸が鳴いたら、君はプロになれると言うんだ。希望が底から湧いて来ると言われた」
「石を投げたの?」
 ヒカルの言葉に、緒方は微笑む。
「投げたぞ。で、希望が湧いた。だから、俺はここにいるんだ」


「じゃあ、次ぎは俺が話をします」
 和谷の話。
「ええと、まあ、何処にでもある学校の怪談です」
 俺の出た中学は案外古いんですよ。外見は鉄筋コンクリートなんですけどね。で、そこで、一番古い校舎に出るんだって噂でした。
 女の子の幽霊だって言うんですよ。まあ、誰も見た人はいないんですけどね。
 その古い校舎の一角に、資料室があって、人形が置いてあるんです。その人形が夜な夜な歩き回っているんだろうって怪談でした。
「それだけです」
「和谷君、その人形、もしかして、セルロイドの青い目の人形でレースの服を着てないか?」
「緒方先生、何で知ってるんです?」
「まあ、俺でぎりぎりの年齢だけど、歌にあるんだよ。青い目の人形の歌が」
 青い目をしたお人形は、アメリカ生まれのセルロイドってね。
「俺も良く知らないんだが、アメリカと戦争をする前、親善として100体の女の子の人形が学校に配られたらしい。その後、戦争で燃やされたりして残りは僅か数体なんだよ。大切に保管された物だけが残ってるんだ」
 一同、へえっと感心の声を上げた。
「そんなに大切な人形なんだ」「知らなかった」


 ピンポーン!
「はい!どなた?」
 ヒカルの問いに、白川ですと返事が返る。
「やった!白川先生だよ。緒方先生」
「ああ、今日は遅れると言ってたからな」
 玄関ドアを開けた白川は、リビングを見て、ぎょっとする。
「何なんですか?これ」
 暗い中にミカンの匂いのキャンドルがゆらゆらと揺れている。
「百物語?みたいなものだ。ほれ、駆けつけ3杯!飲め!」
 緒方はビールの栓を抜くと白川に渡す。
 白川は言われるままにごくごくと飲み干した。
「うう、生き還りますね。道が随分と混んでたから。参った」
「じゃあ、次ぎは俺が話しますね」
 冴木が片手を上げた。


 冴木の話。
「俺の友人にね、看護婦がいたんですよ」
 過去形なのか?と、皆は思ったが突っ込まなかった。
「で、その子がね、朝の診察を始める準備をしてたんです。で、いつものように診察券を出して貰って整理してたんですよ」
 何時も来る常連のおじいさんがいましてね、おはようございますって挨拶をして彼女の前を通ったんです。彼女もおはようございますって返事をして、診察券を見てカルテを出そうと思ったんです。そこで、ふと気がついたそうです。おじいさんは昨日、亡くなったはずだって。慌てて見渡したら誰もいないんです。
「へえ」「ほお」と、感心した返事が起きる。本日の一番まともな怪談だ。
「ううむ。人間の日常生活は幽霊でも健在なのか。凄いなあ」
 緒方の意見に皆は頷く。確かに凄い。
 しかし、幽霊になっても病院に通って来る方が凄い話だ。何処が病気なのだろう?


 さて、ヒカルの番だ。と、和谷がヒカルを指さした時、ピンポーンと再びチャイムが鳴った。
「他に誰か来るのか?」
 緒方の質問に、皆、首を振る。
 ヒカルだけは神妙な顔になり、一升瓶を掴むとコップに酒を注ぐ。それを持って立ち上がると、ドアを開けた。
「ヒカル?誰だ?」
 誰もいないのだ。
「ここは貴方の来る所じゃないよ。さあ、これを飲んで帰って」
 ヒカルはコップを持ち上げると、それを勢いよく、部屋の前の廊下にぶちまける。
「さようなら」
 そのまま、ドアをばたりと閉じた。
 リビングに戻ったヒカルに、皆が問いつめる。
「誰だったんだ?」
「白川先生、ここに来る途中、事故があったでしょ?」
「ああ、それで混んでたんだよ。道がね」
「白川先生、そこで拾って来たみたいだね。で、あんまり楽しそうなんで入りたかったんだよ。皆の話の中に。あの人、ミカンが大好物だったらしいし」
 ヒカルはオレンジ色のキャンドルを指さす。
 そこからはまだ、ミカンの匂いが漂っている。
 皆が唖然とする中、白川は壁のスイッチを押し、明かりを付けた。
「こんな話してるから、寄って来たんですかね・・・」
「うん、ベランダにも一人いたよ。白川先生が明かりつけたから、何処かに行っちゃったけどね」
 ヒカルはにへらと笑う。
 こんな〆は誰も想像していなかった。
 その後、皆はやけのように酒を煽った。とても素面ではいられなかったのだ。
「もう来ないよ」
 ヒカルの言葉も皆には届かなかった。


 翌日、凄まじい頭痛で一同がゾンビのように床をはい回っている姿に、ヒカルは悲鳴を上げた。緒方だけが頭痛もなくさっぱりとした顔で起きている。
「緒方先生は大丈夫だったんだ」
 ヒカルのほっとした顔に、
「幽霊が怖くて、幽霊部屋の隣に住めるか?」
「そうだね。流石、緒方先生だね」
「これで、一緒に暮らしても平気な事が解ったぜ。ま、たまにあんな奴も来るけど、静かだからここは気に入ってるんだ」
 二人は顔を見合わせると、くすくすと笑いあった。


「やっぱり進藤君だね。凄いや」「同感」「同じく」


 アメジストは悪酔いを防ぐ宝石だそうです。
 この話、90%実話です。
ヒカルの碁目次 1517