ヒカルの碁 マーチでGO12(四月の嘘)
マーチでGO12

「花見したいなあ」
 でも、場所がなあ。との和谷の呟きに、ヒカルが笑う。
「和谷が良かったら、花見出来るんだけど」
「へえ?何処で」
「俺の爺ちゃんち。今が見頃だって。花水木も咲き始めてるって。ただなあ・・・」
 ヒカルが言いよどむのに、和谷は首を傾げる。
「行ったら迷惑か?」
「違うよ。その逆。爺ちゃん、嬉しがって近所の囲碁好き全部集めるぞ。花見どころじゃないかもしれないぜ」
 和谷はぷぷっと吹き出すと、
「いいじゃん。桜見ながら打つ碁もおつだぜ」
「ほう、それはそれは。素敵だな」
 二人がくるりと振り向くと、そこには緒方 精次の姿がある。
 ヒカルは嬉しそうに、和谷は困惑顔で、その姿を向かえる。
「何やら、いい話だな。桜を見ながら囲碁か。俺も行っていいか?」
「え!緒方先生、来てくれるの?すごいや。爺ちゃん、喜ぶよ」
 ヒカルは喜んでいるが、和谷は複雑だ。
『俺、伊角さん、誘おうかな』
 伊角には悪いなど微塵も思わないのが、和谷だ。付き合いの長さは親しき仲にも〜など、何処かに行ってしまったのだ。


 当日は、芦原もヒカルの祖父の家にやって来た。無論、緒方が車を運転させた為だ。
「流石に、五人乗ると狭いなあ」
 ヒカルの発言により、緒方が後に座ると、何とヒカルを膝に座らせたのだ。
「・・・先生、これじゃあ、何も変わりないよ」
「じゃあ、横抱きにしてもいいか?」
「いいけど、重いよ」
 砂吐き物のいちゃつきを目の前で見せられて、動揺しなかったのは芦原だけだ。
「いちゃいちゃはそれくらいにして、ほらさっさと助手席に乗って下さいよ。出発しますよ」
 芦原の言葉に、緒方は名残惜しそうに、ヒカルを膝から離した。
「いいなあ、楽しそうで」
 はあ?今のは誰の発言だ?和谷は周りを見渡した。


「ね、見頃だろ?」
 ヒカルの話を聞いて、囲碁好きの近所のご老人達と何故かその孫や若奥さん方も集まっていた。
「あれ?女の子が多いなあ。どうして?」
 ヒカルの疑問に、緒方は苦笑する。
「お前、この前、女性雑誌に出たじゃないか。きっと、そのファンだぞ」
「へえ、でも、結構前だよ」
 ま、直ぐに帰るよね。俺達を見に来たんじゃ。
 ヒカルの意見は当たっていた。若い少女達は、一緒に写真を撮って欲しいと言うだけだった。ヒカル・和谷・伊角が並んで写真を撮ってやると、彼女たちは帰って行った。
「俺達の写真なんて、取ってどうするのかな?アイドルじゃないしな」
 ヒカルの言葉に、和谷も伊角も苦笑するしかない。彼女達にはアイドルなのだろう。
 だが、早々に退散してくれて、ありがたくもあった。きっと、行くなら直ぐに帰って来いと言われていたのだろう。
「何にせよ。ようやく花見が出来るな」


 庭に出したキャンプ用の机に、折りたたみの囲碁盤を三つ置いた。俄仕立ての対局場に、桜がはらはらと降り注ぐ。
「これはいい」
 緒方がくすくすと笑いながら、ヒカルの祖父の相手をしている。緒方に折りたたみの碁盤は失礼だと、縁側に碁盤を置いたのだが、はらはらと散る桜はそこにも訪れて来る。
「いや、このような所で、申し訳ない」
「こちらこそ、強引にお邪魔してしまって。ヒカル君に聞いて、どうしても行きたくなってしまったので」
 緒方の薄い声に、ヒカルが笑いをかみ殺している。あれから、緒方は急いで休みを調べて、芦原に連絡を取ったのだ。
 実は芦原は、指導碁の仕事が入っていたのだが、緒方はあっさりと断りを入れてしまった。いわく、
「俺がバイト代を出す」だ。


 綺麗な桜だ。去年は、二人で見上げた。
 それから、直ぐにあいつは消えてしまったけど。
「これからも宜しく」
 ヒカルは桜に向かって、優しく微笑む。
「おう、団子も喰わねえで、何してる?」
 振り向くと緒方が立っていた。その手に350ml入りの缶が握られている。
「緒方先生の団子?」
「そ、お前のはこれ」
 そう言って差し出すのは、棒付きの丸い飴。
「ありがとう先生。ちょっと、来てくれる?」
「何処にだ?」
 ヒカルは黙って倉を指さすと、歩き始めた。

「二階なんだ。狭いから気をつけて」
 長身の緒方には随分と狭い階段を上がると、背を丸めなければ頭がつく二階が広がる。
「俺、緒方先生にこれを見せたかったんだ」
 目の前には古びた碁盤。
「これにはね、碁の神様のお使いが住んでたんだよ。で、俺に碁を教えてくれたんだ」
 ヒカルは愛しそうにその碁盤をそっと撫でる。埃が積もっている碁盤に、ハンカチを出すと綺麗に拭う。
「俺はそいつのおかげで、どんどん強くなってプロにもなった。もう、そいつはいないけどね」
 ヒカルは背を丸めて自分を見下ろす、緒方を振り仰ぐ。
「ほう、面白い話だな。お前、今日が何時か知ってて話してるんだよな」
 緒方の声に、ヒカルは当然だよと笑った。
「こんな事、こんな日じゃないと話せないよ」
 ヒカルは碁盤を持つと、倉の小さな窓に寄る。庭の桜が見える。
「なあ、ヒカル。そのお使い、俺が会った幽霊か?」
「そうだよ。幽霊だからいなくなる事は当たり前なんだけど・・・がっかりしたなあ」


「碁盤、使わないのか?」
 緒方が倉を見上げながら呟く。
「うん、いいんだ。あれはあそこで・・・。俺が本因坊のタイトル取れたら迎えに行くんだ。それまでは待っててもらうんだ」
「それは嘘じゃないいだろうな」
 緒方はにやりと笑うと、ヒカルの頭をくしゃくしゃと撫でた。
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