ヒカルの碁 段ボールの階段番外5
段ボールの階段番外5・・・緒方健康ランドに行く

 最近の緒方は何だか疲れ気味だ。
『何だか、視線が痛い』
 ひしひしと自分に対する鋭い視線を感じる。
 何か俺はしただろうか?
 愛しい妻に子供も出来て、幸せの頂点だと言うのに。
「ヒカル!マイラブ〜!」
 棋院の廊下に緒方の雄叫びが響き渡った。
 慰めは愛しい妻しかない緒方であった。


「緒方君、お疲れようだな」
 雄叫びをあげる緒方の後に、ねぎらいの声がかかる。
 くるりと振り返ると、ずらりと居並ぶむさい顔。
「ほうほう、確かにお疲れじゃな。緒方君ともあろうものがそれでは、愛しい妻が嘆くぞ」
 ふぉふぉふぉ。と、高笑いは緒方の天敵だ。
 引退をした身ではあるが、今だに顔を出しては人をおちょくって行くのだ。
「爺か・・・」
「緒方君もお疲れのようだし、ここはわしの奢りでぱーっと行こうじゃないか」
 桑原が振り返ると、一斉にむさい面々は頷いた。


「で、何で、健康ランドなんですか?」
 緒方の突っ込みには、森下がにこりと笑う。
「君が、お疲れだからな。色々イベントも考えてみたんだ。裸の付き合いも良いものだろう?」
『野郎の裸なんか見て楽しいわけないだろ』
 内心の嘆きを隠して、にっこり笑う。森下は緒方の大先輩だ。例え、自分がタイトルホルダーでも敬意を払う心はある。
「心使い、ありがとうございます。背中でも流しましょう」
「おう、すまねえな。緒方君」
 むさい男の心温まる?交流だ。
「なあ、緒方君」
「何ですか?」
「進藤、いや、ヒカル君はどうしてる?」
「はあ、ぼちぼちつわりも治まったんで、元気してます」
「そうか・・・」
 森下の背中が細かく震えている。
「あいつは俺の弟子じゃないけど、可愛い奴でな。研究会に来ては、あの可愛い笑顔で冴木や和谷をばしばしなぎ倒して行ってなあ・・・。俺の自慢だったんだが・・・よりによって、塔矢門下の君に・・・手を付けられていたとは・・・全然知らなかったよ」
 ぎくり・・・。
「あ、あの・・・ですね。森下さん・・・」
「しかも、付き合ったのは16からだって言うじゃねいか。可愛い頃だったよなあ」
 緒方には背中しか見えないが、何処か遠い目をしているであろう森下の顔が見えるようだ。
『そう言えば、あの頃のヒカルは可愛かったなあ。いや、今も可愛いが』
「まるで、娘を嫁にやった気分になったよ。君とヒカル君が結婚していると知った時は」
 はあ、と、深い溜息だ。
 緒方は内心、気が気ではない。
 進藤家の両親は、のしを付けてあげますとばかりの勢いだったのに、他人の森下が何故?そんなにも落ち込むのだろう?
 やはり塔矢門下の俺とが気に入らなかったのだろうか?
「森下さん、流しますよ」
 ざばりと背中に湯をかけ、緒方はその場を離れる。ここは引いた方が無難だ。
 かけられた湯の湯気の向こうに、森下の不気味な笑みが浮かんだのだが、緒方には見えなかった。

『はあ、疲れた』
 こう言う時は、ジャグジーに限る。しかし、向かった先には、渡辺の姿がある。
「おお、緒方さん。お子さんが出来たそうですね。おめでとうございます」
「はあ、どうも」
「いやあ、進藤君は北斗杯の立て役者でしたからね。あの時は驚いた」
『ち、あれで永夏にヒカルは目を付けられたんだ。やな事、思い出したぜ』
「そうそう、高永夏君が緒方さんに宜しくって言ってましたよ。次回の国際戦を楽しみにしています。だ、そうですよ」

『糞ガキ・・・いや、もうガキの年じゃないな・・・ち、エロ親父』
 自分の事は棚上げだとは、微塵も思わない緒方だが、永夏の事を思い出して気分を害していた。
「おや?どちらに?緒方さん」
「露天風呂です」
 緒方の後姿に渡辺はにやりと笑いを送った。


『しかし、ヒカルは永夏と仲が良かったよな。秀英ともだ。ち、どいつもこいつも。俺のヒカルだぞ。早い物勝ちの世界なんだ』
 一理ある考え方だが、緒方の行動は犯罪の域でもあった。最早、過去形なのだが・・・。
『さっさと帰ってヒカルといちゃいちゃしよう』
 などとふらちな考えの緒方に、声が降った。
「おお、緒方君。ここにいたか」
 桑原である。
「爺・・・」
「まあ、そう邪険にするな。わしもお主も元本因坊じゃないか。今の本因坊は君の愛しい妻、ヒカルちゃんだろう?」
『まあ、それはそうだ』
 そんな事をつらつらと考えてしまったのが、緒方の命取りだった。


「ねえ、アキラ。緒方先生、何処にいるか知らないか?携帯が繋がらないんだ」
 アキラの碁会所で碁を打っていたヒカルは、携帯を仕舞いながらアキラに問う。
「ああ、何でも先生方と健康ランドにいるとか。森下先生から連絡があってね」
「へえ、最近、疲れ気味だから良いね。健康ランド」
『いや、多分、不味いと思うけど』
 賢明なアキラはそれを言うのは控えた。


「でな、緒方君、わしがあの子と初めて会った時・・・」うんぬん。
 緒方の顔が赤い。 緒方だけが湯船に入っているのだ。
『仕舞った!年寄りは話が長いんだった』
 浮かしかけた腰を桑原は引き留める。
「まあ、待て。わしも君とは最近、ゆっくり話しが出来ないんだからな。年寄りの話を若い者は聞くものだぞ」
「いや、俺はもうあがります」
「・・・皆、年寄りには冷たいんだのう。君もかのう」

 あんたは十分元気でしょう!!

 と、言う叫びを緒方は止めた。理由は周りに桑原と同じ年と思われる老人が聞き耳を立てていたからだ。
 年寄りは話が長い・・・。長い・・・長い・・・。

 熱い・・・。

 何処が健康ランドだ。不健康ランドじゃねいか!!

 緒方がその後、健康ランドに行く事があったのかは不明だ。おそらく、なかったと思われる。


 不健康ランド。元ネタはクレヨンしんちゃんの映画、「わくわく温泉大決戦」です。藤原さんだし(笑)
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