ヒカルの碁 段ボールの階段15
段ボールの階段15

 其の日アキラは久々のデートで上機嫌だった。
 自分の兄弟子の顔を見るまではだが・・・。


 久々の楽しい喫茶店での語らいのだった。ふと、大きな窓際に座っていた二人に影が差した。
「?」視線を上げると・・・
「〜!!!」
 緒方が張り付いていた。しかも、白スーツにサングラスまでかけている。
 そんな怪しい男が、べったりと大きなガラス窓に・・・。
「お、緒方さん?!」
「あら?緒方先生。どうしたのかしら?」
 目の前の婚約者は物に動じない。こんな異様な姿を見ても、ちっとも驚かないのは、彼女と母の明子くらいだろう。
 彼女の手招きに、緒方の顔が輝くと店に入って来る。


「ああ、旨い」
 緒方はアキラの隣に座ると、アイスコーヒーを啜っている。
「どうされたんですか?ヒカルと喧嘩ですか?」
 ズバリの指摘に、緒方の顔は引き吊れている。
「そうだね。進藤と喧嘩するくらいしか動じない神経の持ち主だから」
 アキラの顔には

 デートの邪魔した〜邪魔した!

と、倍角で書いてある。
 アキラもただの男なのである。恋人と一緒の時間をくだらない夫婦喧嘩で、何で邪魔されなければならないのかと、怒り満タンだ。
 じっとりと睨みつけるアキラの視線を受け流して、緒方は話を聞いてくれそうな方に顔を向ける。
「喧嘩・・・じゃないんだけど、ヒカルが家出したんだ」
「・・・実家に帰ったんですね」
 受けた相手は冷静なものだ。
「・・・そうなんだ」
「心あたりは?」
「ありません」
「・・・本当に?」
「・・・多分・・・おそらく・・・」
「そうですか」
 彼女はしばらく考えていたが、アキラに向き直ると、
「行きましょうか。ヒカルの家に」
「・・・はい・・・」
 テーブルの下で、無念な拳をアキラが握りしめる。
 ああ、これで、何回目なんだろう。こんな事は。
『くそう!この兄弟子・・・僕の幸せに水をさすなんて・・・』

 進藤に言い付けてやる!

 誰かが聞いていたら、それかいと突っ込みが入る物だが、誰も聞いてなかったのは幸いだ。だが、アキラの他力本願は緒方の苛めに限定されているらしい。


「あれ?塔矢、どうした」
 ヒカルがドアを開けると、アキラの顔がある。
「緒方さんが・・・。デート先に来た・・・」
 どよんとした顔を背後に向けると、アキラの婚約者と緒方が並んで立っている。
「よ、夫婦喧嘩なんだって?」
 その言葉に、ヒカルは呆れたと夫に視線を向け、続いて鮮やかなケリが鳩尾に決まった。
 ごほっごほっ・・・。
「人の話を全然聞いてないな。俺はちゃんと言ったぞ。用事があるから実家に帰るって」
 ちゃんとメールも入れてるだろ?
「それをアキラのデートを邪魔するなんて」
 馬に変わって、俺が蹴ってやる。
「それに、まだ、2日しかたってないじゃないか!」

「ごめんね。塔矢」
「うん、良いんだよ」
 兄弟子の残骸を見ながら、アキラはヒカルに笑う。
「さ、行こうか。まだ、時間あるでしょ?正子さん」
「そうね」
 じゃあね、あんまり旦那さまをいじめちゃ駄目よ。ヒカル。
「了解、さ、何時までも転がってないで、入るの入らないの?」
 まったく・・・手のかかる旦那だ。
「碁を打ってる時は、凄くかっこいいのになあ」
 ヒカルは肩を竦めると、はいつくばっている緒方の腕を引っ張った。


「何だかんだと言っても、緒方先生とヒカルは仲が良いのよねえ」
「まあね。ベタ惚れだから」
 犯罪者も厭わないくらいだからね。とは、愛しい婚約者には言えない言葉だった。
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