幻想水滸伝 空の羽根〜1
 ラズロがマクドール邸に居候するようになってから、一週間が過ぎた。
「明日には引っ越しするよ」
 ラズロの笑顔に、複雑そうな表情をティルは向ける。
「駄目って顔に見えるんだけど?」
 違う?
「駄目って言ったら、行かないでくれますか?」
 子どもみたいなだだを捏ねてみたが、聞いてくれるわけ無いとちょっとふくれた気分だ。
「寂しい?」
「少し。ラズロと話をする時は、何だか気分が良いので」
 紋章の機嫌も良いし。
「遊びに来てよ。グレミオさんと。お菓子の用意をして待ってるよ」

 ラズロはマクドール邸にいる間、色んなお菓子を作ってくれた。
「これ、テッドも食べた事あるの?」
「まあね。残念ながら、あの頃は忙しくて殆ど料理なんて出来なかったし。たまに作ってもあっと言う間に食べ尽くしちゃう大食漢がいてね。戦争が終わってからも、何故かそう言うのに縁がなくてね。作ると何故か、テッドに分ける前に無くなってたから」
「パーンみたいですね」
 グレミオは料理は作るがお菓子は作らなかった。理由は単純で、甘いものが苦手なだけだ。しかし、自分の主にはいるだろうと、近隣のパン屋から菓子は買い付けていた。
「材料さえあれば僕が作りましょうか?」
 いつものように菓子を購入して、実は・・・と、切り出すグレミオに、ラズロが答えた。
「ええ、ラズロさん、お菓子出来るんですか?!」
「わりと得意です」
「へえ、そうなんですかあ」
「僕も孤児だったんで、昔から甘い物はお祭りくらいでしか食べなかったんですよ。でも厨房の手伝いをしてましたから。戦後・・・自分で作るようになったんです」
 甘い物が好きなんです。
「それはクレオやパーンが喜びます。じゃあ、早速材料を買って行きましょう」


「結局、私塾を始めるんだね」
 ラズロは色々考えたあげく、読み書きを教える事にした。
「僕はスノウに読み書きは教えてもらったから、騎士団に入る時には文字も読めたし、計算も出来た」
 ありがたかったよ。
「・・・無償でもするつもりなんでしょ?」
 ラズロが孤児だったと言う話を聞いて知っているフィルは、肩を竦める。
 ラズロは困ったように首を傾げて苦笑すると、
「ちゃんとお代はもらうよ。別にお金じゃなくても良いんだから」
 実はラズロはお金に不自由しているわけではなかった。
 グレッグミンスターに来る前に、ちょっとした交易で儲けてあるのだ。
 南方の真珠と珊瑚は、高く売れる。ラズロは現在ちょっとした交易ルートを確保していて、そこそこのお金を持っている。
 それを聞いたフィルは、私塾と聞いた時に、ぴんと来たのだ。先の戦いからは立ち直ったが、元々、学校なんてものは通常の市民には通う事は出来ない。
 一部のものだけが、家庭教師を雇って勉強させるのみだ。

「文盲率の低下は生活意識を引き上げるんだよ」
 150年前の群島では、何故か文盲率が低かった。ラズロが考えるには、島国が集まっていたからだろうと言う事だ。
「何故?」
 フィルの質問に、
「交易が島の生活を支えてたからね。読み書きが出来ないと困るだろ?」
 成る程。
「クールークの方が文盲率は高かったね。僕等の戦争を知らなかった人さえいたよ」
 あれには驚いた。
「クールークは身分階級がきっちりしててね、僕はラズリルに流れ着いて良かったんだよ。孤児でも教育だけはする国だったからね」
 何時か海に出て行かなければならないからね。
「なるほど」
「クールークでは、産まれてから死ぬまで同じ所で暮らす人も多い。内陸だからね」
 フィルは群島諸国の教育を聞いて感心するしかなかった。
「まあ、島国だから他の国に負けないようにってがんばったと言うだけなんだけどね。だから、そんなに身分制度もきつく無かったし」
 本を読めるのが貴族だけじゃないからね。

 ラズロはその日のうちに、きっちりと新しい家に移ってしまった。
 フィルはため息を零すが、ぐっと握り拳を突き上げると、
「毎日通ってやる!」
と、高々に宣言した。

 そんなこんなで、フィルは今日もグレミオ制作のお弁当を持って、ラズロの元を訪れた。
「相変わらずだね」
 わらわらと子ども達に囲まれてるラズロを見て、フィルは笑う。
「おや、いらっしゃい。フィル」
 丁度、今、ケーキを焼いてる所だよ。
 最初、何故に読み書きにお菓子?と、思ったフィルだ。
「馬鹿にしちゃ駄目だよ。お菓子を作るには分量の計算がいるし、レシピを読むと言うのも必要だ。これで美味しく食べて、一石二鳥だよ」
 子ども達にはね。
「いや、明らかにお菓子目当てで来てる奴もいるじゃない?」
 フィルはつまみ食いの悪ガキの衿をひょいっと持ち上げると、ぽいっと放す。
 当然、尻餅だ。
「まあ、最初はね。それよりもトランの英雄が身元を押してくれたんで、少々妖しい授業でも、人気あって嬉しいよ」
 いや、それはラズロのその顔に世の奥様方がやられたからだとは、思うが口には出さない。
 フィルも自分の首を絞めたくはない。
「まあ、本格的な授業はもうちょっとしてからね。夜の方もぼちぼちと人が増えて来たから」
 のんびりとだよ。
 夜の方と言うのは、大人向けの授業だ。フィルがある日、夜に酒を持って覗きに来ると、ラズロが教室に灯りを灯している。
「誰か来るの?」
「うん、もうちょっとしたらね」
 どやどやと大の男が5名もなだれ込んで来たのには、流石のティルも驚いた。ここは、治安の良い地区を選んでいたのに、何なんだ?と。
 男達は、フィルの姿を見て、はっとして背筋を正す。
「フィルさま、こんばんわ」
「あ。ああ、こんばんわ」
「ラズロ先生、フィルさまと御用事があったんすか?なら、あっしらは又」
 と、逃げ腰だ。
「いや、フィルは勝手に来ただけだよ。さあ、座って」
 勝手に来たって・・・確かにそうだけどお。何か・・・むかつく。
「そう言うわけだから、フィル。酒は明日の夜にしてくれないか?僕から君の所に行くから」
 ね。
「・・・解った」
 でも、ここにいても良い?
「もちろん、良いよ。あ、お茶をいれてくれない?みんなの分。薬缶茶で良いから」
 トランの英雄に茶を入れさすのは、ラズロくらいだろう。
 それでも、ティルは頷いて部屋を出て行った。
 ちなみに本当に薬缶に茶葉を入れただけの代物だった。

「おっさん達、長続きしてるんだなあ」
 ま、ラズロの人徳と言う所か。
「まさか、君の人徳だよ。君の後ろ盾がなかったら、僕の私塾なんて誰も来ないよ」
 フィル様々だよ。
「こんなに文字を読めない人が多かったなんて・・・知らなかったよ」
 自分の周りには文字が読める人は当たり前だった。クレオもパーンもグレミオも読み書きはもちろん出来た。
 大貴族の家の使用人なのだから、当然ではあったのだが、フィルはその事にまったく気がついて無かった。
 親友であった戦災孤児(と、信じていた)のテッドも読めたのだから、当たり前だと思っていたのだ。
「今の大人達は先々の戦争の頃の人だよ。戦争はこう言う人達を多くする」
 それが首都でもね。
「やっぱ僕には施政は向いてない」
 フィルは腕を上げると伸びをする。
「まあ、シーナがいるから。後継には」
「それは僕も同感。僕も姉に押しつけて逃げ出したからね」


 遠い昔。おとぎ話ほどに遠い昔のお話。
 逃げ出したわけじゃないけど、父と姉は、快く何時も送り出してくれた。
『さあ、行ってらっしゃい』と。
 キリルに手を貸す時も、らしい言い方の父親だ。
「お前だって知りたいだろ?クールークの内情とか。紋章砲の謎を。今、フレアがキリルちゅうやつと一緒にいる。あいつらが帰って来たら、お前も行け」
 実はその後、事が片づいても2年間ラズロはオベルに帰らなかった。トンズラをこいたわけではないが、シメオンの所にいたり、もっと北へと足を伸ばしたりと、足の向くままに歩き回った。
『テッド・・・』
 その頃に又ラズロは、テッドと遭遇した。クールークと赤月の国境付近でだった。その頃既に、アルドはテッドの側にはいなかった。
 不慮の事故。
「崖崩れに巻き込まれたんだ。アルドと一緒に小さな村に留まっていて、俺はたまたま隣村に荷物を運びに出ていて・・・アルドは子守りを頼まれてて・・・」
 村まるまる一つが埋まってしまった。山が一つ崩壊したからな。
「長雨で地盤が緩んでたんだ」
 あの時・・・アルドと一緒に行ってたら、アルドは生きてたのにな。
 ラズロはテッドの右手を取った。きっと彼はここにいるのだろう。
「こう言う魂喰いもあるんだな」
 テッドは複雑な表情で呟いた後、ラズロを抱き寄せると項垂れた。
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