ヒカルの碁 君の花1〜5
君の花1
 
 囲碁幽霊に取り付かれて以来、僕の日常は変わった。
 
 僕の名前は塔矢 アキラと言う。囲碁界に輝く五冠タイトル保持者を父に持ち、自分でも囲碁棋士を目指している。
 ところが、ある日ひょんな事からこの幽霊、名を佐為と言うにとり憑かれた。なんでも、平安時代の碁打ちだそうだ。
 帝の指南役を賭けた碁に、相手のずるで負けて、入水自殺をしたのだと言う。
 だが、碁への未練が彼を碁盤に縛り付けて、今に至る。
 もう一つ驚いた事は、彼は秀作だと言うのだ。江戸時代の碁打ち名人が彼だと言うのだ。
 何でも、秀作の碁は全て彼が打っていたのだそうだ。
 本当なら凄い話だと、初めは冗談にしか聞いていなかった僕は、彼と打ってみてそれをまざまざと思い知らされた。
 彼は本当に秀作だった。
 
 
 塔矢アキラは何時ものように、父の経営する碁会所で一人黙々と碁を打っていた。否、実際には一人ではない。目の前には彼に取り憑いている囲碁幽霊の佐為がいる。
 周りには彼が見えない為、一人だと思われているにすぎない。
 かちりと扉が開く音がすると、子供の声が聞こえた。
「ここいくら?」
「子供は五百円よ」
 受付から市河さんの声が聞こえる。アキラが顔を覗かせると、
「あれ、子供いるじゃん。あの子と打てる?」
「え?あの子は・・・」
 市河さんの困惑の言葉に、アキラは口を挟んだ。
「いいよ。打とう」
 その言葉に子供は微笑んだ。
「俺は、進藤 ヒカル」
「僕は、塔矢 アキラだよ」
 
 しばらく二人は碁を打っていたのだが、アキラの方がついため息をついてしまった。
 それを聞いたヒカルは、
「ごめん。俺、へただろ?初心者なんだ。殆ど打てない」
「え?じゃあ、どうしてここに来たの?」
 アキラにとっては疑問だった。五百円の小遣いは子供にとって安い物ではない。
「うーん。俺、まだるっこしい事は嫌いだから正直に言うよ。そこにいる人に用があるんだ」
 ヒカルはアキラの左隣を指さす。
「君、佐為が見えるのか」
 ヒカルは何故か申し訳なさそうに頷く。
「うん、見えるよ。佐為って言うんだ」
 アキラはにわかには信じられなかった。今まで佐為が見えた人はいない。
「・・・証拠・・・君に見える証拠は?」
「そうだよなあ。証拠いるよな。・・・ええと、髪が長くて、扇持ってて、服は・・・俺馬鹿だから名前解らないんだけど、おひな様の服装してる。どう?」
 当たりだ。佐為の特徴とぴったり合う。佐為も驚いた顔でアキラを眺めた。
「でも俺、そいつと話は出来ないよ。だから、声は聞けないんだ」
 それを聞いた佐為は残念そうな顔になる。無理もない、折角、アキラ以外の者が佐為を認識出来たと言うのに。
「・・・俺がここに来たのは、お前が佐為をどうしたいか聞く為なんだ」
「・・・どうとは?」
 ヒカルはわざとなのか、低い声でアキラに告げる。
「解っているだろ?成仏させたいか、幽霊付きでいたいかだよ。二つに一つだよ。お前、普通の人だから今の生活は困るだろ?」
 確かにアキラは今の生活に不自由を感じていた。佐為は打ちたがるが、他人と打たせるわけにはいかない。だからアキラと打つしかない。佐為はそれに不満があるらしい。
「進藤君」
「進藤でいいよ。もしくはヒカル。お前の事、アキラって呼んでいい?」
 アキラは無言で頷く。
「アキラは佐為の成仏は望んでないんだろ?そいつは良い奴だからな。俺には解るんだよ。魂が綺麗だからな」
 魂が綺麗と言われた佐為は、堅くなっていた表情をゆるめ、微笑に変えた。
「ああ、やっぱり綺麗だ。なあ、アキラ少し場所を変えないか?俺、これから佐為の話をしたい。もう少し落ち着ける場所に行きたい」
 その言葉にアキラは直ぐに頷いた。

 ヒカルと碁会所からタクシーに乗った。ヒカルが告げた行き先に着いてみると、
「ここ、緒方さんのマンションじゃないか」
「そ、叔父貴の家。黙ってて悪かったけど、俺は精次兄さんの甥。今日は鍵を預かってるから」
 その言葉の通り、セキュリティを解除すると、エレベーターに乗り込んだ。
「ごめんな。俺の依頼人は精次兄さんなんだ。師匠の息子が変だって。だから、俺、会ってみるって言ったんだ。会ってからどうするか聞いてみるからって」
 ちんと明るい音が鳴って、最上階に着いた。緒方の部屋はエレベーターから遠い端から二番目の部屋だ。(隣は空き部屋)
「さあ、入って。佐為もね。何か飲む?」
 ヒカルは冷蔵庫を開けると、オレンジジュースを取り出し、コップを三つ用意した。
 目の前に置かれたコップに佐為は目を見開く。
「・・・ありがたいが、佐為は飲めないよ」
 ヒカルはくすりと笑う。
「気分の問題だ。二人ともお客さんだもん。兄さんはまだ棋院だな」
 ヒカルは携帯を取り出すと、メール着信の確認をする。
「ヒカル・・・」
「何?」
 言い出した物のアキラは歯切れが悪い。突然のヒカルの出現で頭がついていかないのだ。ようやく聞けた言葉は、
「緒方さんも佐為が見えるの?」
「精次兄さんは見えないよ。俺とじいちゃんだけ。じいちゃんはお祓いとかもしてるけど、俺は未成年だから止められている。この前、精次兄さんに会ったら、師匠の息子のアキラ君は幽霊付きになったらしいと言うんだ。兄さんは時々、俺が幽霊と話しているの見てるから」
 ああ、そうなのか。アキラは納得が行く。
「精次兄さんにしてみたら、心配だよね。で、俺の出番。でも、こんなに綺麗な幽霊とは思わなかったけど。成仏させたい?」
 アキラはそれが誰にされた質問か理解出来なかった。
 ようやくにして、自分だと理解したが、
「成仏?」
「そ、成仏。でも、この佐為って言う人は相当時間かかるかもね。その間、アキラ大丈夫?生活大丈夫?兄さんが言うには、最近やつれたって言うんだよ」
「・・・そんな事はないよ」
 しかし確かに自分はやつれたと言えるのかもしれない。四六時中隣に人がいるのだ。気が休まる暇もない。
「なあ、アキラ。お前、佐為を消したくないんだろ?」
 アキラは返事が出来なかった。
 それにヒカルはため息をつくと、何かを決心した顔をする。
「佐為、アキラと変われ。お前は俺がもらうよ」
 何だって?!驚いたのはアキラだけではなかった。佐為も唖然としている。
「俺が引き受けるよ。俺は慣れてるし、憑かれてた方が他が寄って来なくていい。その代わり、アキラは佐為と話を出来なくなるけどOK?」
「良いのか?君は」
「いいの、それにこんなに綺麗な幽霊だもん。やっぱ、憑かれるなら綺麗な方がいいしな。あ、綺麗って容姿じゃないよ。心だよ」
「ありがとう」

 こうして、塔矢アキラは囲碁幽霊の佐為から離れられた。

「ヒカル。で、今、佐為はお前の所にいるのか?」
 緒方の質問にヒカルは苦笑する。
「兄さん、打ちたいってばればれだよ。でも、これは俺の物だから一局につき、五百円ね」
「何で、五百円なんだ?」
「アキラの碁会所の値段、五百円だったよ。俺、今月小遣いがピンチなんだ」
「まさか、それで引き受けたとか言うなよ」
 緒方はヒカルならやりえるなと思う。何せ、希代の碁の名人だ。これ程、自分が試したい人物はないだろう。
「精次兄さんだよ?俺に相談したのは。俺も相談あるんだ。佐為は碁が打ちたいらしいけど、どうすれば良い?」
 緒方は首を傾げる。
「そうだなあ、お前は院生ではないしなあ。あ、ネット碁って手があるか。俺の部屋から打っていいぞ。あれだと顔は解らないしな」
 その提案に喜んだヒカルはご褒美だと言って、一局だけ緒方に無銭で打たせてやった。 だが、ネットで佐為が知れ渡るのも時間の問題だった事は、今は誰も知らない



君の花 2

 ひょんな事から囲碁幽霊の佐為に取憑かれた塔矢 アキラであったが、幽霊が見えると言う進藤 ヒカルに会い、その幽霊をヒカルが引き受けてくれた。(彼の叔父は塔矢 アキラの父の弟子で緒方 精次と言い若手ナンバー1と言われるやりての棋士だ)
「僕の生活は元に戻ったけど彼はどうしているだろう?」
 しかし、アキラの心配など些細な事らしく、ヒカルはしっかり佐為に馴染んでいた。

「緒方さん、ヒカル君どうしてます?」
 アキラの質問に、緒方は苦笑する。
「毎日俺の所でネット碁を打っているよ」
 だがそう言った後、緒方は渋い顔になる。
「どうしました?」
「うん、佐為は最近有名人なんだ。ネット上でな」
「有名人ですか」
「そうだな。身元がばれる心配は少ないだろうが、用心に超した事はないだろう。ヒカルが心配だからな」
 そう言うとふうとため息をついた。その仕草がほの暗く見えたので、アキラは再度聞いてみた。
「ヒカル君、佐為と一緒で困ってないですか?」
 緒方は以外な顔をした後、ああと頷いた。
「アキラ君が心配するような事はヒカルにはないよ。むしろ今の方が楽だろうな。以前は一日に何人も寄って来て困っていたからな。しかも自分の事しか話さない奴らばかりだったらしいしな。佐為との生活は楽しそうだよ」
「そうですか」
 アキラは安堵の息を吐くと、ヒカルに会いたいと言った。
「そりゃあ、俺の所に来れば今でも会えるだろうな。最近ヒカルは俺の家から学校に行ってるからな」
「何故ですか?」
「佐為がネット碁をする為だよ。ヒカルの家にはパソコンはないからな。それに俺の所の方が融通がきくんだ」
「すみません。緒方さんにも迷惑をかけてしまったんですね」
 アキラの言葉を緒方はきっぱり否定する。
「これは俺とヒカルの問題だ。君には関係ないよ。まあ、俺はヒカルには何も出来ないから、ヒカルが居たい場所を提供してやりたいだけだよ。俺としてはアキラ君が元に戻ったので十分だ。最近はなかなか調子がいいじゃないか」
「ええ、良く眠れます」
「そうか、それは良かった。ヒカルに会いに行くかい?」
「お願いします」

 緒方のマンションの扉を開けると、賑やかな声が飛んで来た。
「ほら、アキラだったろ?精次兄さんさんだけじゃない」
 佐為はどうして解ったんだと聞いたようだ。
「うん?足音が二つあったろ?微かにぶれてた」
 佐為はしきりに関心しているらしい。
「ヒカル君、元気だった?」
 アキラの声に、ヒカルは明るく答える。
「元気元気、すごくね。アキラも元気になったみたいだな。やっぱ、アキラに佐為は合わないよな。あ、ネット碁始めたんだ。佐為も満足してるよ」
 緒方は二人の為に珈琲を入れたのだが、ヒカルと視線が合うと、4個のカップを並べた。
「佐為はいいて言うんだけど、今日はアキラも来てるしな」
 そう言って左上を見上げると、微かに笑う。
「君が言ったように僕にはもう佐為の声は聞こえないよ。・・・少し寂しいね」
「・・・佐為が喜んでいるよ。嬉しいって言ってる。アキラと気まずくならなくて良かったと。俺、佐為の事好きだよ。俺には碁は出来ないけど、佐為がアキラと打ってくれたら、安心だよ」
 アキラははっと顔を上げる。
「・・・君、それで良いのかい?」
「良いって何が?俺は碁は打てないからしょうがないよ」
 ヒカルはアキラの言う意味が良く解らなかった。
「そう言う意味じゃなくて、君の時間を佐為にあげてるんだろ?どうして平気なんだ?!」
 アキラは気まずそうに顔を下に向ける。自分は解放されて、自分の時間が持てるのが後ろめたいのだ。
「ああ、アキラには解らないかもな。俺は昔からこんな生活なんだよ。誰にも見えないものが見えて、誰にも見えないものと話が出来る。普通じゃないよな。・・・佐為は幽霊の中では凄く良い奴だ。ちゃんと俺の話も聞いてくれるし、考えて会話もしてくれる。俺は佐為といる方が楽なんだよ。だから、アキラは何も心配しなくていい」
 ヒカルの言葉にアキラは何か返そうと思いながらも、口を噤む。
「・・・もし、アキラが俺に佐為を譲った事で罪悪を感じるなら、時々でいいから佐為と打ってあげてよ。ね、俺はその方が嬉しい。俺と友達になってよ」
 それまで黙って聞いていた緒方だが、
「それがいい。アキラ君は真面目だからヒカルにやっかい事を押しつけたと思っているんだろ?ヒカルは碁が出来ないが、ヒカルの友達になってくれないか?君にも外の友達は必要だろう?芦原だけじゃ、頼りない」
「ああ、芦原さん。あの人は霊に好かれない体質だからね」
 実は精次兄さんもなんだよ。と、ヒカルは笑う。
「個性が強すぎるんだよね。アキラも個性が強いのに何で佐為はついたのかなあ?」
 ねえ、佐為?え、解らないの?何でアキラだったか。
「だってさ。でも、俺、アキラの事好きだよ。佐為もアキラが好きだって」
「・・・ヒカル。佐為は君に会う為に僕に憑いたんじゃないか?」
 アキラの言葉にヒカルは、
「だと嬉しい」と、満面の笑顔で答えた。

「ねえ、緒方さん、ヒカル君は何?」
 車で送ると言った緒方の言葉にアキラは従った。
「ヒカルは俺の甥だ」
 しごく当たり前の返事を緒方は返す。
「そうではなくて、何であんなに穏やかでいられるの?」
「穏やかねえ・・・。幽霊憑きで笑える所とかかい?それとも、佐為を無償で引き受けてくれた事かい?それともアキラ君の友達になりたいって言った事かい?」
 アキラは助手席で膝の上に置いた手に力を込める。
「・・・全部です。ヒカル君は人が良すぎる」
 緒方は暫く考えていたが、首を振る。
「人が良い訳では無いよ。ヒカルはどちらかと言うと薄情だ。あんな体質だ、必要な物を選別しなければ生きられない。だから、やっかいな事には一切、首を突っ込まない。君がどう思うかは自由だが、ヒカルの選んだ事に間違いはないよ」
「信用してるんですね」
「いいや、ちっとも。全然信用などしてないよ」
 アキラは惚けた顔になる。
「でも、今、間違いないと」
「ああ、言った。だが、囲碁でも負けから勝てる方法はあるだろう?それと同じだよ。ヒカルは苦境に立たされてもそれを覆せる人間なんだよ。ある意味君と同じだ」
「大丈夫でしょうか?ヒカル君は」
「ま、大丈夫。ヒカルは君より楽天家だ。それが苦境から逆転出来るあいつの力だよ」
 余計な事は考えるな。今年はプロ試験受けるんだろ?
「ええ、そのつもりです。だからですか?緒方さん」
「まあな。ヒカルはそのつもりだろう。俺が話したからな。佐為は・・・まあ、なんと言うか・・・ヒカルの・・・相棒になってくれたようだよ」
 その夜、アキラは不思議な夢を見た。
 ベッドに眠るヒカルの頭の側に佐為が座っている。
『佐為』
『あ、アキラ。こんばんわ』
『どうして?こんな所に』
『ここはヒカルの夢の中ですから。ヒカルはいい人です。アキラは心配しないで』
『佐為も幸せなのか?』
『ええ、だから心配いりません。私の事もヒカルの事も』
『ヒカルや佐為がいつも笑えればいいな』
 それには佐為は微笑んだだけだった。



君の花3

 それは薄い透明な夢だった。手を伸ばせば直ぐそこにその幸せはあるのに。


 ねえ、ヒカル。貴方には囲碁の才能がありますよ。

「そんな事を佐為が言ったのか?お前に?」
 ヒカルは緒方の前で照れくさそうに笑う。囲碁棋士の緒方と言えば、若手であってもタイトルに手が届く程の位置にあるプロ中のプロである。
「んん。精次兄さんにこんな話は恥ずかしいけど」
「だが、佐為が言ったんだろ?」
 それにヒカルは素直に頷く。
「・・・俺もそれは思ってたよ」
 緒方はため息をつくと、ヒカルの顔を覗きこんだ。
「ええ?精次兄さん・・・」
 そう、緒方はヒカルにそんな事を言った事は一度もなかったのだ。親戚の中でプロの棋士などしているのは緒方だけだった。まあ、棋士自体が酷く珍しい者ではあるが。
「まあ、聞け。俺がお前にそれを言わなかったのは、お前に押しつけるようで嫌だったからだ」
「押しつける?」
「そうだ。例えお前に囲碁の才能があろうとも、お前は自分の好きな事をすればいいんだ。お前がお前らしくあれば俺は・・・幸せだ」
 緒方は遠くない過去を振り返る。
『あんなヒカルはもう見たくない』
「俺、精次兄さん好きだよ。本当だよ」
 ヒカルは緒方に抱きつくと、その胸に顔を埋める。それを抱き返し、緒方はヒカルの頭を撫でる。
「なあ、ヒカル。囲碁、おもしろいか?」
「おもしろいよ」
「でも、プロになったら、おもしろいだけではすまないんだぞ。プロになりたいわけではないだろう?」
「・・・そうだね。俺はアキラみたいな才能はないと思う。でも、精次兄さんの後をついて行きたいんだ。迷惑なのは解ってるよ」
 ヒカルの言葉に、緒方は何とも言いようのない感情が沸くのを感じた。悲しいでもなく、寂しいでもなく、ただ痛いのだ。
「俺はヒカルを迷惑なんて思わない。お前が笑えるなら俺の人生を全てかけてもいい。佐為聞いているか。お前がヒカルに囲碁の才能があると言うのなら、俺はお前の言葉を信じる。だが、俺は・・・ヒカルが辛い思いをするなら、囲碁など捨てさせる。心得ていろ」
 ヒカルは緒方の胸に縋りながらその言葉を聞いていたが、両手でその胸を押し返すと、緒方の顔を覗き込んだ。
「精次兄さん。俺、大丈夫だよ」
「ああ、そうだな。お前は強い。だから、俺は不安になるんだ」
 くすっとヒカルが笑う。
「今の精次兄さんをアキラが見たら驚くだろうな」
「そうだな。アキラ君は俺の情けない顔など見た事がないだろうからな。そんな顔を知るのはお前だけでいい」


 それは手を伸ばせば届くはずの距離。だが、薄く透明で脆い夢。
『俺は神は信じないけど、せめてこの笑顔を守らせてください。俺の一生のお願いです』
 緒方の心の呟きを聞いたのは、佐為であったのか?



君の花 4

「芦原、その舌を引っこ抜いて欲しいか?」
 緒方の凄味で、芦原はびくびくと後ずさる。
「でも、ヒカル君・・・」
 対局時にも似た迫力に、芦原は怯えながらも、続く言葉を放つ。
「俺だって心配なんですよ」
「お前に心配してもらっても得にはならん。お前は昇段でも考えておけばいい・・・。気持ちだけ貰う」
 緒方はそのまま塔矢邸を後にしてしまった。


 事の起りは塔矢邸での研究会で、二人が顔を合わせた事から始まった。
 まだ、誰も来てなかったので、芦原は緒方にヒカルの話しを振ったのだ。
「ヒカル君、囲碁を始めたんですね」
 緒方の顔が瞬時に強ばる。
「誰に聞いた?」
「え?そりゃあ、ヒカル君ですよ。でも、大丈夫なんですか?あの事」
 緒方の顔は無表情だが、それが怒りを表している事が容易に解るものだ。
「お前に関係ない」
「関係なくないですよ。俺だって・・・」
「・・・芦原、その舌引っこ抜いて欲しいか?」

「俺の前で、ヒカルのその話しを二度とするな」
 緒方の言葉に芦原は項垂れる。自分はどうもお調子者が抜けないらしい。緒方の怒りを再燃してしまったらしい。
「まだ、二年たってないもんな・・・」
 芦原の呟きに、
「何が二年なんですか?」
 ぎくりと振り向くとアキラが立っている。
「あ、何でもないよ」
「そうですか?あれ、緒方さんは?」
「今日は帰ったよ」
 そうなのだ。怒らせたんだよなあ。
「あ、じゃあ、ヒカル君とお出かけかな?」
 その言葉に芦原は以外な顔をする。
「あれ?アキラ、ヒカル君を知ってるのか?」
「はい。友達です。この前、緒方さんが紹介してくれたんです。同じ年だからって」
 アキラの言葉は嘘ではないが、嘘でもある。二人が知り合ったのは、ヒカルがアキラに取り憑いた幽霊を引き受けてくれた為だ。
「はあ、あの緒方さんがね。今まで絶対にアキラ君には近寄らせなかったのにね。あの子、色々あるから」
 しまった、又・・・。
 芦原の青ざめる顔を見て、アキラは納得がいったらしい。
「あの・・・それはヒカル君が幽霊が見えるからですか?」
「え?知ってるの?」
 アキラは頷く。
「でも、アキラはそれを信じるの?幽霊が見えるなんて」
「信じますよ」
 即答に芦原の方が驚く。だが、アキラにしてみれば、自分の側に本物がいたのだ。信じるに決まっている。
「へえ、オレはアキラはそんな物を信じないと思っていたよ」
「そうですね。以前なら信じなかったかもしれません。でも、ヒカル君に会いましたから」
「あら、それで納得行くのかい?」
「ヒカル君は嘘は言いませんから。で、緒方さんは何故怒って帰ってしまわれたんです?」
 芦原は苦い顔を向ける。
「アキラがヒカル君を知ってるなら、オレが話してもいいかもな。アキラはヒカル君の友達だからな。でも、ここでは無理だから、研究会が終わった後、ちょっと抜け出したいな」
「ええ、構いませんよ。お母さんに話しておきます」


「・・・まだ、二年たってないんだよ」
 人気のない公園まで足を伸ばした。芦原は自動販売機で買った珈琲をアキラに渡すと、ベンチにそくした。
「あのね。オレも最初の事は詳しく知らないんだ。ただ、ヒカル君が友人にお祓いみたいな事をしてあげたらしいんだ。ヒカル君は追い払っただけだって言ってるけどね」
 ああ、そう言えば、お祓いは禁じられているって言ってたな。
 アキラはヒカルとの過去の会話を振り返る。
「うん、それが何だか評判になってしまってね、大変な事になったんだよ。マスコミが聞きつけて、ヒカル君を付け回したんだ。仕舞には学校まで来てね。大騒ぎになってしまったんだよ。で、一度だけの約束でインタビューとか受けたんだけど、ほら、科学対心霊なんて番組の枠に入れられてしまってね。そのインタビューとかもヒカル君の中傷になってしまって。色々抗議が来たりね」
「ヒカル君がそんな?」
 そんな事があったなんて。あの明るい君が?
「通ってた学校は良い学校だったから、先生や父兄が出来るだけヒカル君に配慮してくれたんだけど、ヒカル君は混乱を避ける為だって、4ヶ月学校に行かなかった。遠く離れた所で暮らしてたんだよ」
 学校は転校したって名目でね。
「ま、それで騒ぎは収まったよ。まったく、人権侵害だよね」
「あの、その間、家族の方は?」
「緒方さんの家にいたよ。マスコミに対応出来るのはマスコミでね。緒方さんは当時も出世頭だったし・・・でも、あの頃からだよ。タイトルに貪欲になったのは」
 ヒカルは俺が守るんだってね。
「自分にタイトルの一つでもあれば、ヒカル君をあんな目には合わせなかったって」
 ああ、もちろん、緒方さんはそんな事は言わないよ。
「独り言を聞いただけだよ」
「ヒカル君がそんな目に合っていたなんて、僕、ぜんぜん知らなかったです」
 アキラは歯噛みしたい気分だ。自分がのうのうとしているのが心苦しい。
「緒方さんは誰にも心配をかけたくないんだよ。意地っぱりだからね」
「でも・・・」
「友達になったんだろ?だったら、仲良くしてあげて」
「・・・そうですね。芦原さん」


「これが精次兄さんが俺に過保護な理由だよ」
『へえ、そうだったんですか。大変だったんですね。ヒカル』
 緒方の部屋だ。今日は二人ともネット碁はしていない。
 緒方がヒカルに、過分な程かまう理由を佐為は聞いていた。叔父と甥の関係にしては少々行き過ぎのきらいがあるのが、佐為は疑問だったのだ。
「うん、でも、桑原のばーちゃんと仲良くなったから」
『桑原のばーちゃん?』
「あ、桑原本因坊のじーちゃんの奥さん。本因坊はタイトル名だよ。強い人の称号」
『ああ、なるほど。で、その方の細君は?』
「もう、いないよ。俺がマスコミに追われてるって知って、桑原のじーちゃんが伊豆の方にある別邸に連れて行ってくれたんだ。ばーちゃん、病気で療養してるからって」
『亡くなったのですか?』
「うん、癌でね。長くなかったんだよ。良い人だったよ」


「まったく、芦原の野郎・・・」
 緒方の呟きが後から邪魔される。
「おや、緒方君じゃないか」
「・・・爺か」
 その罵り言葉を軽く受け止めて、かっかと笑う。
「そうじゃよ。爺だ。ヒカルちゃんは元気かのう」
 棋院の廊下での事だ。緒方は昨日の芦原の言葉が引っかかって、本日も機嫌が悪い。
 もっとも、ヒカルにはそんな素振りは微塵も見せないのだが。
「元気ですよ。最近はネットにいるんで、俺も遊んで貰えないんですけど」
「ほう、ネット碁でも始めたのかい?」
 何でこんなに感がいいのか。緒方は頭痛を覚える。
「ええ、その通りです」
「ほう、やはりあの子を碁界に呼ぶんじゃな。あの子は才能があるからのう」
 六感で解るからのう。
「何、お前さんがいるんだ。心配する事もないじゃろ。わしもばあさんの恩があるしな。ヒカルちゃんは可愛い孫みたいな者だ」
「・・・プロにはさせませんよ。あくまで、アマです」
 緒方の言葉に桑原は肩を竦める。
「だがな、この先この世界にいた方が何かとあの子の為には便利じゃぞ」
 緒方と桑原は仲が悪いと思われがちだが、ヒカルと言う共通点においては同士だ。
「ええ、そうでしょうよ。二年前俺が出来なかった事をあんたは出来た。タイトルホルダー故にですよ」
「何、お前さんだって、近々タイトルは取れるだろうに」
 近頃、スランプと言うか、壁を感じる緒方には、大した皮肉に聞こえる。
「ヒカルちゃんが来るまで、わしがタイトルを保持しても良いな。進藤本因坊か、かっこいいと思わんかね?」
「思いませんね。こんな過酷な社会に出せる程・・・。俺は師匠のようにはなれませんよ。アキラ君のようにはヒカルに出来ません」
「じゃあ、お前さん以外が鍛えてあげればいいじゃないか?ヒカルちゃんにも道を作ってやるんじゃな。才能は伸ばしてやらないとな。ではな」
 桑原はそのまま外にと出てしまった。残された緒方は、言いようのない虚脱を感じていた。
「俺の我儘なのか?ヒカル」
 緒方はマンションで待つだろう少年に、呟いた。



君の花5

 俺の花は、太陽のように笑うあの笑顔だ。


「葉瀬中の文化祭に行くんだ」
 ヒカルはそう言うと、緒方の家を出て行った。その後だった、アキラがヒカルを訪ねてきたのは。
「ああ、すまん。家の近くの中学の文化祭に行ってるんだよ」
「そうですか」
「ああ、俺はオフだから戻るまで待っていないか?一局どうだい?」
 アキラは頷くと、緒方に笑いかけた。

「結局、今年は見送ったんだな」
 これはアキラのプロ試験の事だ。アキラは今年は結局、受けなかった。
「佐為の事があってから、自分なりに先々の事を見つめたいと思いました」
「そうだな。時間はあるんだ。俺たちには身体があるんだからな」
 緒方は佐為と言う人物をあまり好きではない。理由は単純で、佐為に対する嫉妬だ。
 碁の力もそうだが、ヒカルの心にすんでいる存在だと言う事が好きでない理由だ。
 端から見ると、ヒカルに対して尋常ではない程の執着を緒方が見せる理由を、アキラは芦原から聞いて知った。
「僕に無い物はなんでしょうね」
 アキラの呟きに、緒方は顔を上げる。
「アキラ君に無い物?・・・ヒカルにはあってかい?」
「そうですよ」
 アキラは苦笑すると、碁石を置いた。
「何故?ヒカル君は笑えるのでしょうか?」
「芦原から聞いたのか。お節介な野郎だ。・・・それは、ヒカルだからだよ。あの心は誰にも傷つけられない。理由なんかないんだ」
「そうですね。でも、僕はヒカル君のように強くない。先々、思いもかけないトラブルで崩れる事もあるかもしれない。貴方はどうです?」
「俺はヒカルがいなくなったら、生きていけないかもしれない。最近、そう考えるんだ。どんなに近くにいても、ヒカルの心には住めない。俺は正直、佐為に嫉妬してるよ」
 馬鹿馬鹿しいだろ?と、緒方は自嘲する。
「解りますよ。僕も今、父がいなくなったら・・・碁は打てないでしょう。僕にとっては、父親以前に師匠ですから。ええ、僕は父に依存してるんです」
 アキラがプロ試験を受けなかった最大の理由がそれだった。
「強いと言うのはなんだろうな。全てを捨てても立っていられる程、俺は強くはなれないな。勝負師としては失格だ」
「・・・大切な物があるからがんばれるのではないですか」
 アキラの言葉に緒方は曖昧な笑みを見せる。
「そうとも言うな。だが、破滅と紙一重でもある。俺はヒカルが好きなんだ。それは言葉では言い表せない感情だ。恋愛や親愛なんて糞食らえな言葉だと思える程にな」
 そこでアキラを見つめる。
「軽蔑してくれてもいいぞ。俺はヒカルを何よりも尊く愛しているんだ」
 まあ、ヒカルをどうこうしたいと言う感情は湧かないから、かろうじて近親相姦がないだけだ。そう言って、緒方はくつくつと笑う。
「一生に一度の恋にタブーはないんじゃないですか」
 アキラの瞳は暗かったが、声には透明さがあった。
「アキラ君は面白い事を言うね。ま、君はそんな人間を見過ぎているからかな。碁に恋する輩達をね」
 碁に恋する・・・佐為もそうだった。
 アキラは佐為の情熱を思い出す。碁が好きな彼は、それ以外には何も出来ない人だった。だから、奸計などにはまりその地位を失ったのだろう。
 そう彼は、碁しか興味のない人だったのだ。だが、以前に取り憑いた秀策の元で、人の関係の大切さを学んだらしい。
 アキラ自身もついこの間まで、佐為と同じ人種だった。だが、ヒカルに会って、考えを改めた。
「アキラ君、ヒカルはね、俺の花なんだ。俺の和みで、俺の太陽だ。・・・君にもそうじゃないかな?ヒカルにあった人は良くも悪くもヒカルの影響を受けるんだ。それを疎ましいと思う人もいるがね」
 アキラは芦原の言葉を思い出す。
「僕は、ヒカル君が好きですよ」
「・・・ヒカルがプロになると言ったらどうする?」
 アキラには直ぐには返事が出来なかった。ヒカルがプロになど考えられない。いや、この言い方は正しくはない。
「ヒカル君がプロですか。僕は嬉しいです。でも、僕はきっと彼を頼ってしまう。彼は優しいから・・・」
「桑原の爺にな・・・ヒカルの先を考えてやれと言われた。碁界にいればヒカルは才能を伸ばせると言うんだ」
「桑原先生が?・・・ああ、奥様の事ですね」
 アキラの言葉に緒方は、肩を竦める。
「まったく。おしゃべりなガキだな。芦原は」
「緒方さんは、ヒカル君がプロになれると思うんですか?」
「俺じゃない。佐為が言った」
 苦々しい言葉に、アキラも納得がいく。
「佐為・・・がですか。じゃあ、原石の才能があるんですね」
 佐為は嘘は言わない。原石の才能でも見抜けるだろう。
「俺は嫌なんだがな。ヒカルは碁界に来るんだろうな。君ともライバルだ」
「貴方ともね。でも、変わらず彼は花ですね」
「ああ、そうだな。だが、今の腕では院生試験にも通らない。暫くは時間はかかるだろうな。いくら佐為がついていてもな」
「院生?入るんですか?」
 アキラは院生ではない。腕が良すぎるからだ。
「院生の方が先々、便利だからな。大体、俺の甥と言うだけでも、ハンデがある。君と同じだ。実は碁を始めたのは、君に会いに行くためなんだよ」
「え?」
 アキラは驚いた。彼の手筋は幼稚だったが、それほど初心者には見えなかった。
「やっぱり、才能があるんですね」
「らしいな」
 緒方は、珈琲を入れると断ると、キッチンに入って行った。


「ああ、困ったな」
 ヒカルは緒方のマンションのドアを開けながら、呟いた。
「?おかえり、どうしたの」
 ヒカルを出迎えたのは、緒方ではなくアキラだった。
「あ、アキラ・・・」
 ごまかしても仕方ないと、ヒカルは正直に話す事にした。

「で、君は大会に出る事になったの?」

 文化祭で、一人で囲碁部を支える筒井にあった。詰碁をしている彼に、興味半分で詰碁をしたのだ。そこに、将棋部の部長の加賀と言う人がやってきて、
「俺と勝負して負けたら、俺の言う事をきけ」
と、言われたのだ。
「佐為が打つなら平気かな」
 ヒカルの甘い考えは、ヒカルの打ち間違えと言うぽかで、脆くも崩れてしまった。
 横柄に筒井をあしらっていた 加賀だが、筒井が席を外した隙に、ヒカルに耳打ちする。
「筒井は大会に行けないと、部を廃業しないといけないんだ。だから、今度の中学大会にお前が中学生として、出ろ。負けるなよ。俺は大将で出るからな」
「え?俺が?でも・・・」
「負けたら言う事きく約束だろ?」

「と、言うわけなんだよ」
 ヒカルの話を聞いていたアキラと緒方は、呆れていた。
「葉瀬中はそんなに人材不足なのか」
「そうかも。俺、何とか筒井さんの手助けになりたいけど、ずるだよね。これは」
 ヒカルの言葉に緒方は、ああと頷く。
「だがな、出て見るのも一興じゃないか?加賀ってやつは、みんなに一泡吹かせたいんだろうな」
「え?何で?」
「筒井の事が好きなんだろうな。誰も来ない囲碁部でも、一人で頑張っている筒井にご褒美を上げたいんだろうよ」
 緒方はアキラを振り返ると、
「アキラ君的には許せない話だよな。でも、どうだろう。少し目を瞑ってもらえないか?どうせ、ばれる話だ」
「僕はその日、会場の海王囲碁部に行くつもりなんです。見学をさせてもらおうと思って」
「じゃあ、俺も行こう」
 緒方がにたりと笑うと、アキラもにこりと笑った。ヒカル一人だけが、
「いいのかなあ?」と、呟いた。


 試合当日。
 色々あったが、葉瀬中は決勝戦まですすんだ。終わった時は、優勝だった。
 だが、ヒカルの近所のお兄さんに、ヒカルの正体がばれてしまい落選になった。
「筒井さん、ごめんね。部続けられなくなって」
 ヒカルの言葉に筒井は驚いた顔なる。
「誰がそんな事を言ったの?」
「え?加賀だけど」
「加賀!進藤君は部外者なんだよ。嘘を教えるなんて酷いじゃないか。大丈夫、ちゃんと部は続けられるよ。予算が出ないだけなんだよ」
「そうなんだ」
 ほっとするヒカルに、声がかかった。
「ヒカル、終わったか?」
 ヒカルが振り返ると、緒方とアキラがいる。
「はは、本当に来たんだ。筒井さん、この人は俺の叔父さん。で、こっちは友達」
 筒井はあっけに取られて二人を眺める。
「もしかして、緒方 精次棋士と塔矢 アキラ君?」
「あれ、筒井さん物知りだね」
 ヒカルの言葉に、筒井が笑う。
「そりゃあ、有名人だもの。塔矢君の話は加賀から聞いてるし」
 アキラは怪訝な顔になる。自分には加賀と言う人物に心あたりはない。
「お前、やっぱり忘れてたな」
 全員が振り向くと、そこには加賀が立っていた。
「ま、無理ないわな。俺なんて、お前に比べれば才能なかったし」
「・・・もしかして、鉄男君?」
 アキラの言葉に加賀がにやりと笑う。
「憶えていたか。引導を渡した相手だものな。あれで俺は、この通りぐれてな。すっかり、将棋男だ。親父と喧嘩したのはあの時が初めてだったなあ」
 加賀の話を聞きたいと思ったのは、ヒカルだけではなかったらしく、緒方が提案した。
「加賀君、ファミレスでよければ、俺が奢るよ。みんなにもな」


「へえ、アキラとそんな事があったんだ」
 加賀の話は要約すると、こうだ。
 昔、アキラと加賀は同じ碁の教室に通っていた。だが、アキラが入ってから、加賀はそこで常にNO2の座に追いやられてしまった。加賀の父親の叱責は強かった。加賀のあまりの荒れように、アキラは言ってはいけない言葉を口にしてしまったのだ。
「負けようか?」
 それから、アキラは直ぐに止めてしまったのだが、加賀も止めてしまった。
「でも、おかげで目が覚めたがな。俺は親父の為に碁をするんじゃないって。成績なんて糞食らえだ。俺は俺のやりたいように生きる」
 にやりと加賀がアキラに笑う。
「強いね。君は」
「お前さんは、まだ、迷ってるのか?もう、プロでもいい年だろ?それとも、碁に魅力を感じなくなったのか」
 加賀の言葉にアキラは曖昧に笑う。
「碁に魅力は感じるよ。でも、プロになって・・・プロになってやっていけるか、今年はそれを見直そうと思ってね」
「け、爺くせい。そんな先の事悩んで何になるんだ?自分が楽しければそれでいいんだよ。俺は将棋を自分の楽しみの為にするんだ。誰にも何も言わせない」
 加賀の言い分は、緒方とアキラを大いに笑わせた。
「本当だ。先の事なんかどうでもなるな」
 滅多にない緒方の大笑いだ。
「爺になるとどうもあれこれ悩んで困るんだが、いらない心配だな。加賀君、遠慮いらないから、もっと食べろ。俺の勉強代の礼だ」
「ま、若者は金がないから、大人の好意は素直に受けますよ。進藤、これ喰わないか?」
 ヒカルが頷くと、加賀はオーダーにベルを押した。
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