ヒカルの碁 | ゆめのふねのみなと2 |
ゆめのふねのみなと 2 「ねえ、彩(さい)、お前が帰って来てくれたと信じてもいいかな?だって、お前の命は奇跡のような物だもの」 思い起せば、夢のような日々だった。船に乗って旅立った人は、又、戻ってくれたのだろか? 「でも、佐為だとか思っているわけじゃないよ。俺は・・・彩(さい)の礎になりたいんだ。佐為が俺に残してくれたように、俺もお前に残してやりたい」 ねえ、彩(さい)。俺の可愛い娘。 アキラが緒方の部屋を訪れたのは、前回の訪問から二週間後だった。 緒方は快くアキラを部屋に入れてくれた。 「随分、親切ですね」 その言葉に、緒方は肩を竦める。 「今日は、ヒカルも彩(さい)もいないし。君には知る権利もある。俺は不平等は嫌いだ」 「進藤の許可は出ますか?」 許可などどうでも良いくせに、アキラは緒方に聞く。自分は今日、ここで真実を聞く為に来たのだ。もしもの時の脅しの材料もちゃんと用意している。 「許可はないが、君には権利があるし、ヒカルは俺が君に話すと思っているからな。遅かれ早かれ。ま、素面もかなわん話だから、一杯、飲まないかい?」 緒方は戸棚からグラスを出すとテーブルに置き、冷蔵庫から氷と水のボトルを取り出す。 「ウイスキーでいいかい?」 「何でも結構です」 「そうか、じゃ、ウイスキーで。封を切ってしまったのがあってね、香りが飛ばない内に飲まないといけないんだ」 緒方はテーブルにボトルを置くと、水割りを作り始めた。 暫く二人はグラスを傾けていたが、痺れを切らしたのは、やはりアキラの方だった。 「彩(あや)は何処です?!彼女は何処なんです」 「・・・彩(あや)はもういないよ」 「だから、何処に行ったんです!!」 アキラはいらいらとたたみかける。聞きたいのに、緒方が話をそらしているように、アキラには感じたのだ。 緒方はグラスを持ってない右手の指をすっと、上に向ける。 「彩(あや)の居場所はこの指の先だ」 アキラの紅潮した頬から、一度に血が引く。 「・・・死んだのですか?」 「ああ、つい最近だがね。一ヶ月程前かな?俺も何時亡くなったか知らないんだ。ヒカルが葬式を出したからな。俺は行かなかった」 「奥さんのお葬式に、恋人が出るのも変ですからね」 アキラの精一杯の憎まれ口に、緒方は苦笑する。 「ヒカルと彩(あや)は結婚なんてしてないぞ。籍も入れてない。彩(さい)はヒカルの養子だよ。戸籍上はね」 アキラは慌ててグラスを握った。今の言葉にグラスを取り落としそうになったのだ。 「何ですって!?進藤は彩(あや)と結婚したんでしょ?子供がいるんだから。僕には彩(あや)はそう言いましたよ。進藤と結婚するからと」 僕と別れると・・・そう言ったんです。 後の言葉は口の中だけの呟きだ。 「なあ、アキラ君。君は彩(あや)が好きだったか?」 「もちろん。好きでしたよ」 「じゃあ、ヒカルと比べたらどうだい?比べられないかもしれないけど、どちらが大切かな?」 アキラは戸惑い無く答えを告げる。 「進藤に決まってます。彼女となんて比べ物になりませんよ。僕は進藤が一番大切なんです」 「・・・俺とヒカルが恋人なのを見過ごしてくれるのも、俺がタイトルホルダーだからなんだよな。まったく、君の頭は・・・ヒカル一色なんだからな」 緒方は苦々しい溜息をつくと、グラスを置いた。 「彩(あや)が君から離れたのも、君がそんな人でなしだからだよ。ヒカルが一番、二番はないだからな。俺は心底、彼女に同情するよ」 「進藤の恋人である貴方が、彼女に同情するのですか?彩(あや)は進藤の恋人ですよ。常識では考えられない事ですね」 「俺は男と恋人でいるような、非常識な男だからな。さもありなんだ」 剣呑な空気があたりに漂い始める。二人とも既に臨戦態勢だ。ヒカルがこの場にいない事にも拍車がかかる。 「緒方さん、僕は貴方の事を聞きたいんじゃないんです。進藤と彩(あや)の話を聞きたいんです」 アキラは上着のポケットから、小さな瓶を取り出す。 「これ、何だと思います?」 「髪の毛だな・・・」 金色の髪だ。持ち主は誰か解っている。 「ヒカルの髪の毛か。・・・で、どうするんだ?それ」 アキラは一枚の紙を鞄から取り出した。 「ここに、彩(あや)と彩(さい)のDNA鑑定があります。この前、抱かせてもらった時に、髪をもらったんですよ。少しね。本当の事を教えて下さい。でないと、進藤の髪をDNA鑑定にかけます」 緒方は溜息をつく。 「そんな君だから、彩(あや)は君から離れざるえなかったんだよ。お察しの通り、彩(さい)は君の子だよ。DNA鑑定などかける必要もない。ヒカルと彩(あや)は何の関係もなかったんだから」 「やっぱり、そうですか。でも、彩(あや)はどうして、僕に何も言ってくれなかったんです?言ってくれたら、僕だって責任は取りました。籍を入れたくないなら、父親の認知をしたのに」 アキラには彩(あや)の真意が解らないらしい。 「・・・あのな、アキラ君。彩(あや)は本当に君が好きだったから、君の元を離れたんだ」 「好きなら何故?僕は彩(あや)には優しくしたつもりですよ」 「・・・君、ヒカルと彩(あや)が付き合いだしたと思ってから、どちらに嫉妬した?彩(あや)じゃないかい?」 「・・・そうですね。進藤を独り占めしている彩(あや)ですか。羨ましいと思いましたよ」 緒方は頭を抱えたくなった。 「そんな男に惚れたなんて、彩(あや)もよっぽど物好きだったんだな。いや、まあ、アキラ君が優しい人なのは俺も良く知ってるがな」 緒方はぐいっとグラスを空ける。 「彩(あや)は妊娠した時には、もう発病しててね。若いから進行も早そうだった。でも、アキラ君の事が本当に好きだったんだ。だから、言えなかった。自分は遅かれ早かれ死んでしまう。そんな自分が結婚してくれだの、子供を育ててくれだの言えないだろ?ヒカルは、彼女の友人として援助を申し出たんだよ。どうしても産んでくれってね。自分が育てるから、病院の費用も持つからってね。彩(あや)は渋っていたけど、俺も頼んだんだ。俺も費用を出すからと言ったら、折れてくれた」 彩(あや)は彩(さい)を産んでから、伊豆の方にあるホスピスの施設で過ごしたんだ。ヒカルもそちらにウィークリーのマンションを借りてね。ずっと通ってたんだよ。 緒方の言葉をアキラは淡々と聞いていた。だが、心中では何故なんだ?ばかりが渦巻いている。 「君には彩(あや)の気持ちは解らないだろうな。まあ、端的に言えば、君は彩(さい)の父親として彩(あや)に見限られたんだよ」 「見限られた?」 「そう、見限られたんだ。君は彩(さい)を幸せにする事は出来ないとね。お金には不自由しないだろうけど、愛情に欠けると思われてたんだよ」 「どうしてです?」 「・・・何をしてもヒカルの次だからだよ。幼少時にヒカルのように抱いて歩けるかい?君は。ミルクをあげて撫でてあげられるかい?」 「・・・それは・・・人に頼めば・・・」 そんな未知な事が出来るとは、アキラには返事が出来ない。 「そうだろう?彩(あや)は自分がいなくなる事を知っていた。自分が信頼する人物に子供を託したんだよ。ヒカルと俺にね」 理解出来たかい? 緒方はゆっくりとアキラの顔を覗いた。 「・・・進藤は何故そんなに彩(あや)の子が欲しかったんですか?もしかしたら、産まれないかもしれなかったのに」 「君の子だからだよ。ヒカルは本当に君の事が好きなんだ。それに、失われた物を取り戻したかったんじゃないかな?いや、それも違うか・・・何かを・・・残したかったのかもしれないな。自分に出来る事で何かを」 「進藤はタイトルを持っている。功績があるじゃないですか?何を残すんです?」 「その残すじゃないよ。自分が生きてきた事の証しと・・・憧れかな?」 アキラは納得の行かない顔だ。憧れとは何なのだろう? 「やはり君は知らなかったんだな。まあ、当然だな。俺とヒカルは随分前から、恋人同士だし・・・ヒカルは浮いた噂もないしな・・・」 そうだろうなあ。俺以外は家族しか知らない事だろう。 緒方の呟きに、アキラは眉を潜める。 「進藤も病気なんですか?何処か具合が悪いんですか?」 「病気と言えばそうだが、健康に害があるわけじゃない。子供が出来ない体質なだけだ。それだけだ」 アキラは唖然とする。 緒方の回答に、今まで聞いた色々な話が当てはまる。 「・・・そうだったんですか。だから・・・」 アキラは今までのどの話より衝撃だった。 「彩(さい)は俺とヒカルで育てる。アキラ君、ヒカルから彩(さい)を奪わないでくれ。お願いだ」 「・・・僕は進藤を苦しめるつもりはありませんよ。でも、僕はどうすればいいのです?これから、どうすればいいのです?進藤にどうすればいいのです?」 重い秘密を聞いてしまったアキラは、消沈してしまった。 自分は全ての真実を知りたかったはずなのに・・・何処を間違えてしまったのだろう? 「何もしなくていい。いや、一つだけ約束してくれ」 その約束とは。 「一生、知らないふりをしてくれ。それだけだ」 「ねえ、ヒカル君」 深夜のファミレスで、お互いにパフェをつつきながら彩(あや)はヒカルに笑いかける。 「塔矢は真面目だけど、気がきかないんだよ。何時もそうだ」 「私がいなくなっても、彼は悲しまないわね」 「俺は悲しいよ。アキラを愛している人がいなくなるんだ。悲しいよ」 ふふっと彩(あや)が綺麗に笑う。 「私もヒカル君と会えなくなるのは悲しいな。緒方先生とも」 「ねえ、彩(あや)。俺を信頼してくれた証しに、俺の秘密を上げる。彩(あや)なら、信じてくれるだろうから。俺にはね、昔、囲碁の神様のお使いが取り憑いていたんだよ」 ヒカルは自分に起った不思議な話を語り始めた。 「じゃあ、この子の名前は【さい】ね」 「いいの?その名前で」 「うん、いいの。だって、あなたの子だもん。好きな名前を付けてあげて。そして、呼んであげて」 「うん、何時までも俺は呼ぶよ。俺の大切なものだから」 「もう、さよならだね。ヒカル君」 ヒカルは腕の中の彩(さい)を抱きしめる。 「もう、きっと起きていられないよ。ごめん、もっと近くでさいを見せて」 ヒカルは彩(さい)を彩(あや)に近づける。 「さようならね。パパの言う事を良く聞いてね。アキラ君に優しくして上げてね」 「なあ、彩(さい)アキラは本当に良いヤツなんだよ。良いヤツなんだよ。だから、ママはアキラが大好きだった。ママはアキラが大好きだったんだ」 だから、言えなかったんだよ。 「愛しているって言えれば良かったのに・・・」 ヒカルは彩(さい)を抱きしめる。 「ねえ、彩(さい)、ママは・・・幸せだったかな?」 ヒカルの言葉に、彩(さい)は、ぶぶっと喉を鳴らした。 アキラが緒方の部屋を開けると、居間にベビーベッドがある。 「買ったんですか?」 驚いたアキラが、緒方に尋ねると、 「いや、レンタルだよ。こう言う物もレンタル出来るんだ」 「そうなんですか。驚いたなあ。あ、これ、彩(さい)に」 緒方が箱を開けると、つり下げ式のオルゴールが入っている。 「ありがとう」 「進藤は何処です?」 「買い物に行ってるよ。もう帰って来ると思うけどね」 その言葉が終わらないうちに、ヒカルがドアを開けた。 「あ、アキラ、いらっしゃい」 ヒカルは買い物袋の手を高く上げると、アキラに微笑んだ。 「お邪魔してるよ。彩(さい)の顔を見に来たんだ。ここだって言うから」 「ありがとう。彩(さい)、良かったな。アキラが来てくれたよ」 ほら、抱っこしてあげてよ。 ヒカルは彩(さい)を抱き上げると、アキラの腕に託した。 「重くなったね。彩(さい)」 これが命の重みなのだ。 アキラはそっと目を伏せると、窓の外の空に目を向けた。 『僕は彩(さい)を愛するよ。真名』 夢の船に乗っていたのは、彩(さい)です。港はヒカル君です。 アキラはヒカル第一主義の人なのです。だから、自分を愛していた人に気が付かなかったのです。そんな人に恋した真名は不幸ですね。真名を愛する事が出来ない変りに、アキラは彩(さい)を愛するのです。 |
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