ヒカルの碁 時にはこんな君と4
 時にはこんな君と 4


「楊海さん、楊海さん」
「はいはい」
「レポート、パソコンに送りますよ。じゃ、そう言う事で」


 門脇からの報告を見て、へえと楊海は笑う。
「何だか、楽しみだね」
 来週は、実は楊海は日本に行く。北斗通信システムでの、ビジネスの為だ。
 北斗通信システムの仲介は、門脇を通している。その門脇から、不思議な話を聞かされたのは何時の頃だろう?
 進藤君の謎。
 第一回北斗杯の選手、進藤 ヒカルには謎と言うより、秀策に対する啓蒙の方が目を引いた。
 その後だったと思いだす。
「進藤君はみんなの間でも謎の人物なんだ」
 その謎の一端を、門脇が握っていた。
「どんな謎?」
「彼の中には二人の人物がいたらしい」
「過去形でいいのか?」
「ああ、過去形だ」


 双子説は半分あたりで半分外れだと。
「それはそれは。でも、まあ、半分は当たってるんだなあ」
 楊海は他の噂も門脇から聞いた。
「ネットのsaiは進藤君じゃないかと言う噂もあったんだ」
 それを聞いてから、楊海は嘘半分本当半分の自分の推理を組み立てた。
 根拠など一切ない。ただの与太話にしか過ぎない。
 だが、楊海は自分の与太話は浪漫があると考えていた。PCを操る現代人に浪漫も糞もないような気もするが、楊海は四川の出身だ。根っから都会人でない彼は、心の根底では自然を司る神を信じているのだ。


「楽平が土産を宜しくって」
 その言葉に、伊角は笑う。和谷も苦笑する。
「土産ったって、2泊3日の特急便なのに、子供はこれだから」
 そんな事を言いながらも、楊海は二人に街を案内して貰って、土産を買い込んでいる。
 某大手家電メーカーで、ゲーム機を買い込むと、ようやく一息ついた。
 喫茶店でからりと氷を鳴らしながら、楊海は溜息をつく。
「良かった、伊角君たちが、時間に余裕があって。俺は街に詳しくないから。困ったよ。土産がないと、楽平が五月蠅いんだ」
 今までもそうなのだが、楊海は、すっかり楽平の兄だ。あの広い中国で、同郷だと言うのは親戚のようなものらしい。
「段位もあがったから、ご褒美をくれと五月蠅いんだよ。何で、段位が上がったからって褒美をやらないとならないんだ?まったく」
 楊海の言葉で、和谷の脳裏には森下 しげ子が浮かんだ。
 確かに、あれから、色々請求されている。ケーキだけだったのが、今では、映画付きに変わっている。冴木にいたっては、それにお土産が付くらしい。
 どこにも貧乏くじを引く人はいるのだ。
 それが証拠に、白川は請求された事がない。
 (白川がしげ子の誕生日にはプレゼントをしている事を和谷も冴木も知らない。昇段の奢りは、しげ子のささやかな意趣返しであった)
「その割には楊海さんは、楽しそうですよ」
 伊角がにこりと笑うと、楊海は肩を竦める。
「まあね。だって、出来の悪い弟がようやくやる気になってるんだから、ささやかな褒美も良いとは思うんだよ」
 ブラコンなのかもしれないけどね。
 四川からの棋士学生は相変わらず、一人だけしかいないしね。
『ああ、そうか』
 パラサイトな和谷は、親に何時でも会える。だが、楽平の親は遠いのだ。電車に乗って顔を見れる距離にはいない。さしずめ、楊海は兄弟兼親代わりなのだろう。



「よ、久しぶり」
 楊海の声に、門脇が振り向く。
「まあな。ところで、何で、倉田がいる?」
 門脇の隣には倉田が悪びれず立っている。
「いいじゃん、別に内緒話でもないだろ?俺の悪口でもなし」
「そりゃあ、そうだけどな。でも、多少、ビジネスの話は入るぜ。ま、これも秘密じゃないけどな」
「その時は、大人しく喰うのに専念するから平気だよ。な、じゃあ、行こうか」
 門脇と楊海は顔を見合わせて、吹き出した。本当に倉田らしいではないかと。


 ビジネスの話と言っても、大した話をしたわけではない。整理した棋譜を交換しただけだ。
「ビジネスって、それだけじゃんか」
 倉田の呆れ顔に、楊海は肩竦める。
「元々、ビジネスとは別の事で会う予定だったからな」
「何の事だ?」
「saiについてだよ」
 まだあのネットの亡霊を追ってるのかい?と、倉田は鼻を鳴らした。
「いいや。saiはもう現れないだろうからな。ネットに現れた亡霊談義だよ」


 門脇は先日、進藤 ヒカルとの会話を、倉田に聞かせた。
 倉田は黙って聞いていたが、成程と頷いた。
「で、進藤は半分はあたってると言ったわけだ。でも、半分は間違いなんだ」
 それじゃあ答えじゃないじゃん。
 倉田は最後は勝負感だと言う人間だが、データー主義な男なのだ。
「ま、進藤君の話は置いて置くとして、saiの話だよ。俺はsaiはネットの亡霊と考えている。ネットだけに住んでいる亡霊だよ」
 何だそれは?倉田が不満そうに箸を向ける。
「妄想が具現化した存在だ。その通り、亡霊だよ」
「へえ?お前さんはPC使いのくせにそんな事を言うのかい?」
 倉田の陰口にも、楊海は真顔だ。
「現代のオカルトだよ、倉田。都市伝説だよ。我々の思い込みがネットで具現化したのかもしれない。・・・あるいは、シャーマン。神の代理人がいたのかもな」
 ぎくりと倉田が顔を強ばらす。
「エボラ出血熱。あっと言う間に猛威をふるいあっと言う間に終演迎えた。感染は探れば探る程、元が見えて来ない。だが、存在だけは明かで我々を脅かす。saiはいわば、ネットのそれだ。存在だけを誇示し、我々に憧れの熱病を植え付けた」
 その最たる感染者が、塔矢 行洋だ。
「それじゃあ、元を探っても何も出て来ないじゃないか」
 やれやれと倉田の溜息に、門脇も苦笑する。
「別に探りたいわけじゃないから、良いのさ。saiはもう、過去だ。鮮やかな棋譜を残して消えた亡霊だよ。・・・だが、第2第3のsaiが現れないとも限らない。ウイルスの様にネットの角に潜んでいて、何時か又、表に出てくるかもしれない」
「うへえ、お前の考えは悪趣味だよ」
 倉田は盛大に唐揚げをほおばると、ビールで流し込んだ。
「悪趣味でもないぞ。現に、saiには一時、誰もが踊らされた」
 楊海はにやりと笑う。
「気味悪い事を言うな」
「俺は誰も特定の人物を指したわけじゃない。進藤君がネットのsaiになるだろうとは言ってない。そもそも彼とsaiとの関わりを指摘したわけでもない」
 沈黙が流れる。
「もうそろそろ良いだろう。楊海」
 間に入ったのは、門脇だった。
「冥土の土産話には面白いが、俺達は現実を生きてるんだから、亡霊に現実をうんぬんされる気分にはならない。せいぜい、そうだな。ここで、立ち止まって議論するくらいだ。な、倉田」
「おおう!そうだ!俺が新たなsaiになればいいのか。何だ、簡単じゃん」
 楊海と門脇は頭を抱えた。
 倉田は何処までも前向きな男なのだなあと。



 ネットの亡霊saiを楊海さんは都市伝説と言ってます。
 ここでは書いてませんが、楊海さんはsai以外のネットの亡霊に出会ったようです。
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