ヒカルの碁 楽園の管理人12
 楽園の管理人〜12


 俺の楽園。
 俺の楽園は・・・あの、美しい人。
 あの微笑みがあれば生きていける。あの微笑みがあれば、そこが楽園。




 アキラにとっての楽園は進藤 ヒカルだ。和谷にとってもだろう。
 ただその楽園は、時折訪れる旅行者が、心安らぐ場所を思うのに似ている。
 何時までもそこには留まってはおれない。
 そこで癒し、前に進む。
 留まれないからこそ、楽園には価値があるのだろう。
 楽園とは・・・。

 すり抜けるもの。通り過ぎるもの。
 手を伸ばせば、惜しみなくその僥倖を与えてくれるもの。

 熱を吐出しながら考えるのは、歓喜の後に来るだろう薄ら寒さだ。
 通り過ぎた至福の時は、留まってはくれない。
 身体を駆けめぐるただ一時の熱のように冷めて、凍える。
 アキラはその熱を失うのが怖くて、又、ヒカルを抱きしめた。




 ただこの腕に留める時だけが、彼を庇護してやれる。
 だが、ただそれだけだ。
 自分とあの人の存在はどう違うと言うのだろう?
 和谷は抱きしめる腕に、力を込めた。
『どこが違うと言うのだろう?』
 あの背の高い美形な男と。
 脳裏には、緒方 精次が浮かぶ。
 あの人が、身も心も安らぎを与えてやれるのは何故だろう?
 この孤高の魂が安らげるのが不思議だ。
 進藤は、月のように手が届かない存在かと思えば、優しい光を惜しみなく与えてくれたりする。
 望めば望むだけ、優しくしてくれる。
 だが、俺はお前に優しくしたいのだ。だから、甘えてくれれば良いのに。

 余韻の籠った身体で、優しげな顔を撫でる。
 くすぐったそうに目を細め、眠いたいと毛布に顔を埋める。
「寝るか?」
 その返事は無く、吐息だけが聞こえた。




 楽園を想う。
 俺には楽園など無いと思っていた。だが、ふいに楽園を手に入れた。
 小さな塊だった。生意気なチビだった。
 そう、俺は、その生意気なチビの目に確かに楽園を見た。
 忘れていた、心安らげる、想い出の場所。
 愛や恋など陳腐な言葉だ。口に出す言葉だけが、全てじゃない。
「ねえ、緒方先生」
「何だ?」
「楽園って、地上にはないの?」
 緒方は暫し考えて、頷く。
「無いな」
 この地上を探しても何処にもそんな物はない。
「有史以来、誰もが探したが見つからなかった物があるわけないな」
「ふうん」
「ただな」
 ヒカルは緒方の隣で身を起す。
「ただ?」
「楽園を探す権利はあるな。何処にも無くても、探す権利はある。夢を見るのは自由だ」
「夢を見るのは自由」
 そうだ。理想を探すのは自由。
「何故探すんだろうね?楽園を」
 人は。

「それがあれば絶望の中でも生きていけるからだな」
 ヒカルはがばりと起きあがると、鞄の中を探る。愛用の扇子を胸に抱くと、そのまま又ベッドに戻ってきた。

「誰でも楽園を探す権利はあるんだぜ」
 お前にもな。
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