ヒカルの碁 楽園の管理人11
  楽園の管理人〜11


「帰るのか?ヒカル」
 緒方がヒカルの背に声をかける。
「うん、ありがとう緒方先生」
 そうか。と、緒方は呟くと、ヒカルの背を見送る。

「疲れたら、又おいで」とは、ドアが完全に閉まり、気配が消えてから呟いた言葉だ。
 緒方は携帯電話を取ると、ボタンを押す。
「ああ、俺だ。今、帰った。ん、ああ、まあ、大丈夫だろ?」
『そうですか』
 切れた携帯電話の向こうには、眼鏡の穏やかな青年がいた。


「おかえり」
 ヒカルが自宅のドアを開けると、越智がいた。
「あれ?まだ、帰ってなかったんだ」
「ああ、社が来ててね。遊んでた」
 へえ、社が?
「俺も会いたかったな」
 さらりと言われて、越智は肩を竦める。社はヒカルに危険性のない人物だ。
「緒方さんから連絡貰ったから、僕も待ってたよ。一局してくれるだろ?」
「おう」
 ホロリとヒカルの顔が緩む。
 越智はあえて余計な事は聞かない。余計な事は考えない。余計な事は考えさせない。
『その方が、僕も安心だ』
 君と見る夢の為に。


 夕方、色々と食べ物を抱えて、門脇がやって来た。
「よお、お邪魔するぜ」
 スーパーの袋からごそごそと総菜を取り出すと、テーブルに広げる。
「お〜い、聞いてるか?」
 う〜ん、一応。
とは、越智の声だ。緒方から連絡をもらった越智は門脇に連絡をした。
「引き留めておくから、夕方、何か食べ物持って来て下さいよ。きっと、何も食べないと思うから」
 緒方の所にいる間は、さほど碁を打たなかっただろう。
 囲碁中毒の禁断症状が出ている頃だろう。
 越智にとっては、門脇は大人では緒方並みに頼れる存在だ。過去にヒカルと関係があろうとも、尾を引かない人間は稀少だ。
「お〜い、何時からやってる?灯くらい付けろよ」
 門脇が蛍光灯を付けると、初めてヒカルが頭を上げた。
「あれ?門脇さん?」
「おうよ。まったく。カギもかけてないし、不用心にも程がある」
「いや、カギは僕がさっき開けたんだ。門脇さんが来る頃だし」
 越智はゆっくり立ち上がると、キッチンでペットボトルを開ける。
「あ〜喉乾いた。お、もう、6時すぎてる?」
 う〜ん。
「越智?どうしたんだ?」
「僕、そろそろ帰るよ。結構、開けすぎたからな。帰ってする事も色々あるし」
 そう言うと、さっさとディバックを下げると、ドアを開ける。
「あ。おい、飯は?」
「う〜ん、悪いけど、家主と食べて。わわ、ちょっと間に合わない用事になった!」
 慌ただしい。
 越智がこうも慌てるとは・・・

「デートだな」
 門脇は、ぼそりと吐いた。ああ、それで、夕方に来いと言ったのか。
「俺は時計じゃないんだけどなあ」
 ま、良いか。
「おい、進藤、腹減らないか?」
 振り向くと、ヒカルがぼーとして座っている。どうもトリップしているらしい。
「おい、進藤!」
 少々乱暴に呼ぶと、ヒカルは目をぱちくりとして、門脇を見上げた。

「あれ?門脇さん」
 おうよ。
「本当になあ、しょうがない奴だぜ。ほら、飯」
「そう言えば、お腹空いたような・・・。いや、空いた。越智は?」
 門脇は総菜のパックをヒカルに渡しながら、肩を竦める。
「デートに行っちまった」
「ふうん」
「じゃあ、今晩は俺と打つか?久々だけどな」
「うん」
「まあ、取り敢えず、飯にしようぜ」


 門脇がヒカルと関係を持ったのは、二回だ。それっきり、三度目はない。
 最初は何時もの前ふりで囁かれ、「まあ、それでも良いかな?」との興味本位だ。
 男とする趣味はないが、たまには変わった味も良いとの浮かれた判断だ。結果的にはかなり気持ちが良かった事は認める。
 やはり野郎に好かれる人間は、やってても気持ちが良い。
 ヒカルの事は薄々知っていたので、野郎とやって気持ち良いのか?と、何処かあざけった思考があったのだが。
 そんな思考など、見事に吹き飛ばしてくれた。
 正直に感想をもらすと、
「そう?」と、あまり気のない返事が返って来た。
「嫌なのか?」
 そりゃあ、同性とやるのだ。負担も大きいし、生理的な嫌悪もあるだろう。
 そう思い、聞いた所、首を振る。
「ん、俺、そう言うのあんまりない。寧ろ・・・好かれるのは嬉しいんだけど・・・」
「何?」
「選べないのが辛い」
「そうか・・・」
 門脇は思案な表情で、ヒカルの頭を撫でた。

 二度目に抱きしめた時、門脇は身を引いた。

「おまえさんを知れば知る程、手放したくなくなるんだよ」
 その灼熱の太陽のような、輝ける内面。
「こうやって征服して、その内面に近づけるかと思えば、ますます遠ざかるんだよな」
 このままじゃあ、俺もやばい。
「そう、太陽に近づきすぎると、翼をもがれちまう。俺にはそんな頑丈な翼はないしな」
 ああ、そうだ。
 太陽は、地上に恩恵をもたらすが、良い事ばかりじゃない。

「そう。うん、そうしてくれると嬉しい」

 その時の心からの微笑に、門脇は自分が間違っていない事を知った。


「なあ、進藤」
「ん?」
「お前の楽園って何処だ?」
「・・・俺の楽園?」
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