ヒカルの碁 楽園の管理人1
  楽園の管理人〜1


 碁盤の宇宙には管理人がいるんだ。
 すげえ、綺麗で、眩しくて、優しくて、怖いんだ。

 それは、ヒカルのピロトークだった。


「進藤君、何処行くの?」
 ヒカルの背後から、芦原が声をかける。
「あ、芦原さん。ん〜。何処も」
「じゃあ、うちに来ない?久々に遊ぼうよ」
 ヒカルはにまりと笑うと、親指を突き出した。
「良いね!」


 芦原 弘幸は、進藤 ヒカルの男関係を知る、数少ない人物だ。
 そして、ヒカルにそう言う意味での恋情を抱かない人間だ。
 そもそもの事の始りは、芦原の弟弟子であり、彼の師匠の息子である 塔矢 アキラとヒカルのそう言う場面に行き会わせた事から、端を発しているのだ。

 芦原 弘幸は 塔矢 アキラが大嫌いだ。

 別に芦原が潔癖と言うわけではない。芦原は彼なりにアキラを可愛がっていて、事情も良く解っている。
 だが、それとこれとは別問題だ。
 芦原が何故、アキラを嫌っているかと言えば、ただの一点があまりにも許せない為だった。
 即ち、ヒカルに対する仕打ちである。


 あの日、アキラの家の中で見た、ヒカルはあまりにも無惨に芦原には写った。
 アキラのあまりの放心ぶりと狂気に、芦原はヒカルを自分の自宅に連れて帰ったくらいだ。
 そこで、芦原は色々とヒカルから事情を聞いたのだ。

 すなわち、和谷と緒方とも関係のある事をだ。
「何で?」
 まったく持ってして当たり前の疑問だ。
「うん、俺、凄く好きな人いるの。でも、それでも良いってアキラも和谷も言うから。他にもちょっとだけいたけど、諦めてくれたし。緒方さんは俺には惚れないって言ってくれるし」
「そんなの断れば良いだろ?進藤君、好きな人いるんだろ?」
「・・・でも、もういないんだ。俺のここにしか」
 ヒカルは自分の胸を指さす。
 それで、芦原はようやくに理解出来た。
 なるほど、それでか。
 いない者なら、自分が代わりになりたいのだ。
「アキラはねえ、いつもは凄く優しいんだけど・・・我慢の限界だったんだよ。俺、何時も恋人にはなれないって言うんだ。男同士だからじゃなくて、俺にはもういるんだ。その場所はどうしても譲れないんだ。隣の関係は良いんだけど・・・」
 心の中は譲りたくないのか・・・。
 芦原はヒカルの告白にほだされたと言うわけだ。

 好きになるのも嫌いになるのも、一瞬があればいい。

 芦原は進藤 ヒカルが好きだ。そして、塔矢 アキラは嫌いだ。



 テレビの前で、ヒカルはGCのマリオに興じている。
 そんな姿は二十歳になった青年なのに、どこまでも幼さを感じさせる。
 事実、ヒカルは年齢より幼顔に見える。
 デジャブーが芦原を過ぎる。
 芦原は解っていた。自分がヒカルが好きな理由。
 それは、手元を離れてしまった弟弟子の代わりなのだ。ヒカルをかつてのアキラのように可愛がりたいだけなのだ。
 それに、芦原が気が付いたのは、最近だ。
 自分の右手が物足りなく感じたのは、何時からだろう?
 そう、アキラがプロになって、破竹の勢いで伸びて行った頃からだ。
 その頃、芦原はアキラのデビューを喜んでいた。今まで、正式には認めてなかった才能をアキラが世間に公表したのだ。世間もそれを認めたのだ。
 満足だった。
 いつも、猜疑心に満ちた目で見られた才能が、華麗に大輪の花となって讃えられたのだ。それと供に、アキラは独り立ちした人間となった。
 芦原は緒方と違い、アキラとは年が近い。5歳と言う年齢は、兄弟でも許容範囲の筈だ。 庇護して来た立場が、手からすり抜けてしまった。
 じょじょに落ちる砂時計のようだ。気が付くと、からっぽになっていた。
 その時に気が付いた。
「寂しいな」
 そんな飢餓感を今、芦原はヒカルで満足させているのだ。

 芦原はヒカルがそれに気が付いている事を知っている。
 だが、ヒカルは何も言わない。
 所詮、芦原もヒカルにとっては、アキラと同じ人種である。自分の飢えを満足させる為の、代用品なのだ。ただ、肉体関係がないと言うだけだ。

 そして、ヒカルは手放せないのだ。
 貪欲な彼は、自分に引き寄せられた思いを手放せない。
 これは、全て自分が持って行くのだ。
 緒方の言い分によると、それはヒカルの優しさだと言う。
 エゴだとは言わない。
 だから、いつもヒカルの欲しい言葉をくれる。
「だから俺はお前に惚れない。所詮、平等にしか愛せないヤツなんだからな」

「お前は、楽園に案内するツアコンだな」
 これを聞いた時の、ヒカルは嬉しかった。
 自分の明確な位置が決まったと思ったのだ。その日、ヒカルは緒方相手にとてもご機嫌だった。
 そんなこんなの翌日の事だった。
 芦原に、アキラとヒカルの情事を見られたのは。

 正直に言うと、ヒカルはアキラの反応が何だか不味いと解っていた。
 昨日、緒方のマンションにいた事は、アキラは知っている。それなのに、あまりにも浮かれた顔をしすぎていた。
 あの夜、もらった言葉があまりにも嬉しくて、はしゃぎすぎたのだ。その余韻が、長く尾を引いてしまった。
 嫉妬だ。
 そう気が付いた時には、もうフォローする隙間は何処にもなかった。
 アキラが手招きする。
 この手を離す事は出来ない。

『これで、三日連続だな?』
 ヒカルは冷めた頭で、それを自覚した。
「何で、緒方さんなんだ?何時も、君を喜ばせるのは」
 そんな事はない。
「お前との一局の方が俺は好きだ」
 聞こえてるだろ?塔矢。
「碁だけじゃないか!それだけだ」
 ああ、無駄だったか。
 ヒカルは水底に沈むように、意識を沈めて行った。
 計らずも、緒方の言葉が、現実となった日だった。
 緒方の言葉、
「アキラ君も、進藤の足腰が立たなくなるくらい嬲ってもいいのにな。遠慮なんか無用にな。所詮・・・」
 それに、自分は何と答えた?
「・・・俺は残酷だよね」
 その後、ビールで乾杯して、ああ、そうだ。
 緒方先生が・・・

「お前に楽園はあるか?」



 芦原はテレビの横のローテーブルに料理を並べながら、ヒカルに催促をする。
「そろそろご飯にしようよ。ビデオでも見る?」
「うん、お腹空いた」
 芦原のかけてくれた、ビデオを見ながら、ヒカルは箸を動かす。
「ねえ、芦原さん」
「何?」
「塔矢を嫌いにならないでよ。塔矢に優しくしてあげて。俺なんかよりアキラにね」
 芦原はみそ汁をずるずると啜る。
「じゃあ、君には誰が優しくしてくれるの?」
「みんな、俺には優しいじゃない?」
 ヒカルもみそ汁を啜る。
「そうだね。優しいね。大丈夫、俺はアキラの事好きだもん」
「うん、そうだね」
 ヒカルはもぐもぐとご飯を飲み込むと、ビデオを眺める。
 恋愛映画のビデオでは、主人公達が愛を囁いている。
『愛してるなんて、なんて陳腐な台詞だろう』
 芦原は胸の内でそう思った。



 コピー誌「地上より永遠に」掲載の、楽園の管理人の続きです。
 コピー誌の話がなくても、読める展開に書いてあります。(現在、コピー誌は発行しておりません)
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