ヒカルの碁 段ボールの階段21
段ボールの階段21

「あ〜今年は良い夢みたな〜」
 春先の麗らかな日を浴びて、年寄り臭い事を抜かすのは、ご存じ、進藤 ヒカルのダーリンの緒方 精次だ。
 義理ではないが、あまり良いバレンタインチョコを貰った事がなかった緒方は、今年は何と、手作りチョコを頂いた。と、言ってもココアクッキーなのだが。
 麗しのレディの明子さんが、ヒカルと一緒に作ってくれたのだ。

『師匠〜俺は幸せです』
 塔矢邸でクッキーを噛みしめた緒方は、うっすらと涙まで浮かんでいる。
『なあ、緒方君』
『はい?』
『・・・愛情は物では計れないぞ。あまりぐだぐだ言わないようにな』
 どうやら、愛しの妻は、かなりバレンタインに知恵を絞ったらしい。
『解ってます。ああ、でも、本当に嬉しいんですよ』
 緒方の前で行洋はため息をついた。
『まあ、進藤君はもてるからな。心配はあるだろうがな』
 あ、これは私にくれたんだよ。
と、行洋が見せたのは、有名チョコレート店のチョコだった。
『いつもすまないね』
 いつも?緒方は耳をダンボにした。
 いつも・・・これ、なんですか?師匠には・・・。
『はは、緒方君。そんなに泣かなくても良いだろ?愛妻の手作りだからって』
 ええ、ええ。美味しいです〜。
 ええ、ええ、俺、去年はマーブルチョコでした。と、言う言葉は師匠の手前、緒方は胸にしまったのだった。


 さて、そんなバレンタインだったが、愛情こもった手作りをもらったのは、緒方だけだった事に、彼はいたく満足だ。
「あ〜、良いよな。正夢だったんだな〜」
 ヒカルが俺に、愛情〜込めて〜。
 ホワイトディーには、俺も愛情を存分に込めたプレゼントをやるよ。
 待っててくれよ!
 緒方は固く心に誓ったのだが、まあ、ヒカルにはありがた迷惑だった事は、ここに言うまでもない。


「へ〜。だから、クッキーだったんだ」
 アキラはがさごそと、ヒカルの前に音楽CDを並べる。
「これ、ホワイトディーのお返し?」
「そう。色々買ってみたんだよ」
「良いな〜。俺もこんなの欲しいよ。でも、多分、違うんだろうな」
 あの緒方先生だからなあ〜。

 緒方 精次はアニバーサリーに萌える男だ。まあ、その労力はあまり報われた事はないのだが。
 うざいと思ったヒカルが仕事を入れたり、抜け駆け禁止同盟(ヒカルを愛でる団体だ。本人と緒方はその存在を知らないが)に邪魔されたりと、成功した試しは薄い。
「今年は緒方さん、何をくれるかな?手作りのお返しだからね」
「・・・あの人の感覚って微妙にずれてるんだよな」
 ああ、なんかずれてるの。
「スタンダードにケーキくれたりしてくれれば良いんだけどね」
 アキラが苦笑する。
「うん、多分、違うと思うよ。さて、何をするつもりなんだろうね」
「それが心配。だってねえ・・・」
 誕生日に籍を入れられてしまった以上の事は起こらないだろうが、どうも心配だ。
「まあね。あ、そうだ。これ、お返しだよ」
 お父さんと僕から。
 アキラから渡されたのは、翡翠のブローチだった。
「え?これ、翡翠じゃない?!」
「ああ、中国で買ったんだって。向こうはそんなに値段高くないんだよ」
「ありがとう」
 綺麗だなあ。
 ヒカルは素直に礼を言うとそれを仕舞った。


「翡翠のブローチ?」
「うん、行洋先生と塔矢から。綺麗でしょ?」
 ああ、うん。と、緒方は曖昧な返事だ。
「どうしたの?」
「なあ、ヒカル。お前、欲しい物ないか?」
「欲しい物?タイトルかな?」
 それはそうだろう。
「いや、そうじゃなくて。ほら、物で欲しい物」
「ない」
 一刀で切り捨てた。ヒカルはぴんと来たのだ。
『緒方先生、まだ決めてないんだ』と。
 だからここは、はっきりきっぱり断っておかないと。
「いや、何かあるだろ?ほら、欲しい物」
「ないよ」
 にべなしだ。そのまま、ヒカルは自室に戻ってしまった。

「どうしよう」
 すっかり考え込む緒方だけが、後に残された。


 さて、ホワイトディー当日。

 ヒカルが朝目覚めると、緒方は既に出かけていた。何処に行ったか、書き置きさえない。普段はしつこいくらいに何処に行くとか、細かいスケジュールまで伝えてくるのにだ。
「・・・何処に行ったのかな?」

 とっぷりと日が暮れた後、緒方は帰って来た。
 その顔はやつれているのだが、笑顔満面だ。
「何処行ってたの?」
「ヒカル、ホワイトディーのお返しだ」
 緒方が差し出した紙袋には、
「ラーメン?」
「そう、札幌と福岡だ。今日、揃えてきた」
 お前、ラーメン大好きだろ?
「ありがとう。じゃあ、○○デパートに行って来たんだ」
 緒方の動きが止まる。
「あれ?違うの?」
「俺は今日は飛行機に乗って・・・行って来たんだが?」
「あ、そうなの?あ、あ、ありがとう」
 やば・・・。
「嬉しいよ。緒方先生」
「そうか」


「なあ、進藤。○○デパート行かないか?ラーメン好きだろ?ラーメン祭りしてるんだよ。札幌と福岡の。行くだろ?」
 和谷の言葉に、
「うんうん、行くよ」
 それが今日の昼のお話。

『折角まともな物くれたんだから、黙っておかないとね』
 あ、でも、和谷がくれたお返しもラーメンだから・・・。緒方先生と同じだな。
 うん、案外まともな発想だったんだ。

 その夜、ヒカルは嬉しそうに二人分のラーメンを器に盛った。

 ハッピーホワイトディー
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