ヒカルの碁 いろは〜へへどんなもんだ
へへ、どんなもんだ

 押しかけ弟子と一緒のお仕事が舞い込んできた。
 奇しくも、因縁ある水明館だ。
『あの時負けたのが、俺とプリン頭との切れない因縁だ』
 プリン頭事、進藤 ヒカル 現在3段。
 二冠 緒方 精次の押しかけ弟子だ。(一応、現在進行形)
 あの時、あいつと打たなかったら、今のこの状況はないんじゃないか?
 緒方は何故か、そう思う。
 自分とプリン頭の歯車は、あの時からかみ合ったのでは?
 あの夜、何かに押されるように、プリン頭と対局した。それから、何があったのか知らないが、進藤 ヒカルは長い事、手合いに出て来なかった。
 少し、ざらつく感情を感じた。
『あの日はあんなに元気だったのに?』と。


 再び現れた時は正直ほっとした。理由は解らない。
 いや、理由は解る。
 進藤 ヒカルは碁界に新風を巻き起こす存在だ。
 あいつがいれば、囲碁は益々面白くなる。
 それは、緒方だけではなく、ヒカルを取り巻く全ての人が思う事だろう。
「俺の押しかけ弟子にはもったいねえなあ」
 緒方は内心だけで呟くのだが・・・


「師匠〜!早く、何惚けてるの?飯がなくなるよ!」
 遠慮の欠片もない、ヒカルの言葉に脱力する。
「うるせい!この万年欠食児童」
「だって、俺、食べ盛りじゃん。どんどん食べないと背も伸びないじゃん。師匠だって、ばかばか食べたから背が伸びたんだろ?」
 そんな事をデカイ声で話すな。このプリン頭!
 ここは旅館の廊下だぞ?!お客さんもいるんだぞ。
「ああ、解ったから、そんなにデカイ声で怒鳴るな。飯は逃げない」
 って、お前さっき売店で買った菓子を食ったじゃないか?
「お腹空いたんだよお〜」
 何とも脱力する言葉だ。
「でも、アキラだって、二合は飯を食べるんだぜ。頭脳プレイなんだから、腹減るんだよ」
 そりゃあ、そうだろう。
 頭は糖で動いているんだから。
『まあ、しょうがないか。確かに食べ盛りなんだからな』


「進藤君は緒方二冠のお弟子さんなの?」
 緒方とヒカルのやり取りを聞いていたのだろう。食後の指導碁の時に、興味深々で周りが聞いてくる。
「ええ、そうなんです。最近、弟子にして貰ったんですよ。一番弟子」
 へえとかほおとかの声が上がる。
「気むずかしくないかい?緒方先生は」
 ヒカルはかちりと石を置く。
「ぜんぜん。優しいよ」
 へえ、そうなんだ。怖く見えるけどねえ。
「はは、外見だけね。中身はフレンドリーだよ」
 ヒカルの言葉は、ある意味間違いだ。
 緒方の性格はフレンドリーなどではない。
 ヒカルが緒方の愛想のない点を気にしないので、ヒカルにとってはフレンドリーだと思うだけだ。
 そんなヒカルはある意味、大物だ。
「ご飯奢ってくれたり、パソコン教えてくれたり。師匠は優しい人だよ」
 実の師匠と比べれば、緒方は出来た人間だとヒカルは思う
 かちんと碁石が音をたてる。
「ほお、それはそれは。良かったね。だが、何で今頃?弟子になんてなるの?進藤君は、若手の出世頭とか言われてるじゃない?」
「ん、やっぱ師匠とかいると格好いいし、緒方先生は二冠でしょ?勉強も出来るしね」
「ふうん、そんなものなの?」
「そう、そんなものなの」
 ヒカルは指導碁の相手に向かって、にこりと笑った。
 その笑顔があまりにも嬉しそうだったので、どうも、色々詮索する気を削いだらしい。 これが、ヒカルの最終兵器である事は、相手の方はまったく知らなかった。


「よお、お帰り」
「ただ今〜」
 部屋では緒方が一人のんびりと煙草を吹かしている。今日は、弟子だと言う事で緒方と同室に入れられたヒカルだ。
 まあ、緒方と同室でも大丈夫だろう芦原が今回はいない事もあるのだが。
「お客さんがね、緒方先生は気むずかしくないかって」
 まあ、もっともな質問だな。と、緒方は顎を捻る。
「でも、緒方先生って俺には凄くフレンドリーじゃない?」
 フレンドリーだと?俺が?お前に?
「お前、勘違いしてないか?」
「何が?」
 何がって・・・何だろう?このプリン頭は元から勘違い野郎だ。
 酔狂に俺の弟子になんかなるんだからな。
「しかし、フレンドリーは止めろ。俺はお前の友達じゃなくて師匠だぞ」
 ああ、と、ヒカルは相づちを打つ。
「そうだよね。ん、今度から弟子思いにしておくかな?それとも、すげえ可愛がってもらってるって言えば良いかな?」
 真剣に悩んでいるのは解るが、怪しい表現は止めろ。
 俺の人格を疑われてはたまらん。
「まあ、いい。どうだ?一局」
 リベンジだ。
「うん、良いよ」
 ふと、進藤が窓の外を見上げて呟く。
「月がないね」
「そうだな。今日は闇夜だな」


「ありません」
 ヒカルが頭を下げた。
「・・・お前、憶えているだろ?」
 何がとは聞いてやらない。進藤は解っているはずだから。
「俺が勝った事でしょ?酔っぱらいホルダーと打って」
「そうだ。まさか、初段に負けるとは思わなかったぜ」
 今日はリベンジだ。
「リベンジなんてしなくても、あれは俺の実力じゃなかったし。先生は酔ってたし」
 妙な言葉があった。
 緒方は目を細める。
「お前の実力じゃないなら、何なんだ?」
 ヒカルは窓の外を指さす。
「あの日は月があった。俺は憑いてたんだ」
 そう、俺には綺麗な月が憑いてたんだ。
「お前は月があると変身するのか?狼男か?」
 緒方はばかばかしいと、缶ビールを冷蔵庫から取り出す。今日は飲んでいなかったのだ。
 プルを引くと、一気に喉に流し込む。
「へへん、今日は勝った」
 大人げない言い方だが、あの日のけりを付けたかったのは確かだ。
「月は憑きでしょ?月って不思議だよね。自分では輝いてないのに、あんなに綺麗なんだもん。輝かないけど空の中では一番綺麗な存在なんだから。俺は月が好きなの」
 その横顔が大人びた雰囲気なので、緒方も黙って窓の外を眺めた。
「風呂でも行くか?」
「いいね。師匠、俺、背中流してあげるよ。露天風呂に行こうよ。気持ちいいよお」
「そうだな」

 その後、露天風呂に入る二人を目撃した客は、不気味さに引いてしまったらしい。
「ねえ、何で誰もここに入って来ないのかな?」
 露天風呂でヒカルは首を傾げる。
「さあな」
「ま、貸し切りみたいで良いけどね。星が綺麗だなあ」
 水明館の夜は、一部の人に妙な影響を与えつつ、更けて行った。

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