ヒカルの碁 いろは〜こんにちわ〜アンニョンハセヨ
こんにちわ(アンニョンハセヨ

 ドアを開けた途端、緒方の顔は固まった。
 マンションの外廊下でにこやかに笑いかける青年を見つけたからだ。

「こんにちわ」
 それはヨンハが最初に憶えた、日本語だった。
「・・・又、来たのか?」
「ええ、緒方先生。良いでしょ?泊めて下さい」
 緒方は渋々ながらも頷いたのだ。理由は、対局が出来るからに他ならない。


「はい、お土産」
と、渡されたのは、どう見ても駅前で買ってきたビールだ。
「・・・これ、駅前の酒屋のじゃないか?」
 そう、アキラがビールをダース買いして、えっちらおっちらここに運んできた店だ。
「そうですよ。いやあ、手ぶらじゃ悪いと思って。あ、つまみもありますよ」
 いかくんとたこくんとポテトチップスと。
「・・・普通、国からの土産とかくれないか?」
 その声に、ヨンハは顔を上げた。
「欲しかったんですか?キムチとか?ジンロとか?」
 いや、それは日本でも手に入るだろう。
 しかし、何故、それだ?塔矢 アキラ並な発想だ。
「いや、いらない」
「そうですか。あ、進藤と塔矢は?今日は?」
 緒方はため息をつきつつも、丁寧に答えてやった。


 緒方の押しかけ弟子は、事の他、男にも女にももてる。このもてるは、恋愛要素ではなくて、好意だ。
 必殺のにっこりスマイルを出すと、途端に、周りは落ちるのだ。

『可愛い』
 進藤 ヒカル最大の武器である。

 そして、何故か、ここにもそれに似た人間がいる。
 韓国のトップ棋士、コ ヨンハの最大の武器は、にっこりスマイルだ。
 ただし、ヒカルと同類で、天然が入っている。

 天然、二人の相手か・・・。
 しばし、潜水艦になる緒方だった。


「え、ヨンハが来てるの?」
 緒方からの連絡で、ヒカルは予定を確認する。
「空いてる!うん、今日は師匠の所に泊まるね。母さんに言っておく」
 嬉しそうなヒカルの声を横で聞いていたアキラは、
「何だい?」
「ヨンハが来てるんだよ。アキラは?予定。俺、今日、師匠の所に泊まるけど」
 アキラは暫し考えていたが、
「明日は昼からだ。僕も泊まろう」
 では、買い出しに行かないと。
 アキラはいそいそと、家に電話を入れた。


 最近の緒方は不機嫌だ。ヒカルの話で、従姉妹への誤解は解けたものの、悪い事に当日、桑原もそこにいたのだ。
 悪い事に悪い事は重なる。
 事もあろうに、桑原は、盛大に緒方の事を吹聴して回ったのだ。

「緒方君は、進藤ヒカルとそっくりな美女と、ホテルのロビーでデートしてたんだ。ありゃ、お見合いじゃな。ふぉふぉ、緒方君も角におけないな」
 多少、いや、かなり誤解を招く言い方は、何故か、次ぎのようになって巡って来た。

「緒方君は愛弟子に女装させて、ホテルでデートしていたらしい」


 これを聞いた緒方は、情けないやら悔しいやらで、愛車を駆って出かけてしまった。

 何故、進藤に女装などさせて、デートなぞせねばならん!

「うがあ!だあほ!ふざけるな!」
 緒方が吠えた先は、日本海だった。

 身も心も、ついでに財布もスッカラカンにして帰って来た緒方だったが、いない間に、アキラとヒカルが誤解を解いてくれていた。
 しかし、これはこれで悲しかった。
「アキラの発言で、既婚者と間違えられたとか」「進藤の従姉妹に見とれた」とか、男としては悲しい話だ。
 一歩、譲って、進藤の従姉妹に見惚れたは解る。ヒカル自身もかなりな、上玉の顔だ。
 しかし、
 何故、アキラの父で通るのだろう?そんなに老けているのか?
「まあまあ、緒方君。君も子供がいてもおかしくない年だよ。早くに産まれていれば」
 ぷつり。
 森下の慰めは、緒方の神経の何処かを切断してしまった。

「ああ、俺は、一生、独身で良い!!」


「と、まあ、こんな事があったんだ」
 アキラの語りに、ヨンハは面白そうに目を細める。
「進藤、駄目じゃないか。師匠に恥じをかかせるなんて。お前は弟子なんだぞ」
 世間一般的なヒカルへの戒めだが、どう聞いても、言葉だけが上滑りだ。
「う〜ん、桑原のじいちゃんがあそこにいたのは不味かったな」
 それだけは、ヒカルもどうしようもない。
「でも、僕を子供と間違えるなんて、緒方さんはやはり・・・」
 アキラの言葉に、緒方の拳骨が飛ぶが、それをひらりとよけて、
「酔拳!」
 などと、ほざいている。
「ほう、良い度胸だな。飲んでもいないのに、酔拳か」
 腕っ節じゃあ、まだ負けないぞ。
「へえ、そうですか。やってみますか?」
「おお、望む所だ」
 ばちばちと火花飛び散る二人がはじめたのは、腕ずもうだった。

 結果、緒方が負けた。
「く・・・」
「ちちち、緒方さん、僕は毎日鍛えてますからね。一升瓶持って」
 お前は酒屋のにいちゃんか?!
「何で、一升瓶?」
「ああ、ダンベルだとどうも面白くないからね。指に中身入一升瓶を三本までなら、はめれるよ」
 中身が入ってると壊さないように、気合いで持てるからね。
 さすが、奇行子うわばみアキラだ。
「へえ、俺も国に帰ったらしようかな?」

 そんなこんなで夜は更けて、翌朝。

「緒方さん、デパート連れて行って下さいよ」
 緒方はヨンハの言葉で、起された。
「はあ、デパート。何買うんだ?」
「ええとね、ここの物一式」
 見せられたメモには、びっしりと買い物リストが書いてある。
「こんな物、デパートじゃあ買えないぜ。他も当たらないと。まあ、34件くらいかな?」
 その言葉に、ヨンハがにこにこと笑う。
「進藤が、今日は緒方さんは仕事がないと言ってました」
 へ?
「あ、進藤と塔矢は、もう出かけました」
 残っているのは、緒方先生だけです。
 わざわざ、先生と付けてくる。
 緒方は深いため息の後、
「ま、良いぞ。俺も買い物あるしな」


 後日談。
「緒方君が、美人の外国人と歩いておったよ。まったく、角におけないな」
 桑原の噂話だ。
 その話が高速で広まる頃、緒方はヨンハの荷物持ちをさせられていた。
「まだ、買うのか?」
「すいません、もう少し・・・」
 姉さんが、欲張りなもんで。
「お前似の姉さんか?」
「ええ、まあ」
「・・・そうか」
 金輪際、身近な者の姉とか従姉妹とかには、近づくまいと誓う緒方だった。
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