| ヒカルの碁 | いろは〜腐れ縁 |
| 腐れ縁 腐れ縁と言うのは、果たして腐っている物だろうか? 腐らないのに腐れとは、これ如何に? と、辞書で引いてみたら、「鎖縁」とも言うらしい。 成程、鎖が腐る事は無いだろう。 かなり頑丈そうだ。 「ふむ、腐れ縁ならロープぽいが、鎖縁は鎖だよな」 緒方は妙な感心で、辞書を閉じた。 そもそも真夜中、もう過ぐ明け方に、何で緒方が辞書など引いているかと言うと。 眼下に毛布を纏った生ものが転がっているからだ。 この生もの、緒方のマンションの床から生えたわけではない。 昨日、押しかけ弟子の親友が置いていった、ありがた迷惑な置きみやげである。 名前もちゃんとある。 一つは白川 道夫。別名、「穏やかなる実力者」 もう一つは、塔矢 アキラ。別名「うわばみアキラ」 ご存じ、元五冠 塔矢 行洋の息子だ。 夜間の乱入に何故、緒方が目くじらを立てられないかと言うと。 緒方はこの二人が苦手だからだ。 「穏やかなる実力者」は、緒方の同期だ。その頃(今でもだが)の白川は、緒方には到底真似の出来ない事に秀でていた。 その才能を使って、あれよあれよと言う間に、素敵な先生に変身してしまったのだ。 白川の才能、それは人当たりの良さである。腹黒いわけではなく、計算高いのだ。それを腹黒いと言う解釈も出来るが、緒方は天然だと思っている。事実、白川が軋轢を起した事を聞いた事がない。 棋士なんて所詮は勝負師だ。そんな中にあって、軋轢を起さないと言うのは、ある種凄い才能だ。そして、塔矢門下にもそんな才能の人間が一人いた。 名前を 芦原 宏幸と言う。 自称、天才倉田 厚の同期だ。データーと勝負感の彼は、予想屋でも喰って行けそうな人間だ。 こんな癖のある二人に囲まれた、同期は確かに不幸だろう。存在さえも薄いのだ。 話を戻して。 白川と緒方がプロになった頃、共に仕事が回ってきた事があった。 ヒカルも行った、旅行イベントの一環である、指導碁だ。 そこで、緒方は目を見張った。 白川の淀みない丁寧な説明は、緒方には到底真似出来ないものだった。 的確に、正しい助言と解りやすい言葉を使うのだ。 以来、白川の指導碁は評判となり、色々な囲碁教室の教師を引き受けている。 因みに緒方にこの手の依頼が廻って来た事は、殆どない。 緒方も自分の欠点は良く解っているので、不平不満はない。 「緒方君は、才能あるからね」 昔日に白川が緒方に言った言葉だ。 「俺には君の真似は出来ないぜ」 それを受けた白川は、一瞬驚いて、微笑んだ。 「違いない」と。 ふう、それが腐れ縁の始まりか。 緒方は足下の二人をちょいと足先で蹴る。 もう一人は、もう、生まれた時からの縁だ。 明子さんが、家事や門下生の面倒に忙しかったので、緒方はアキラと良く遊んだ。 遊んだと言っても、碁と本を読むと散歩くらいだが。 アキラが自営の碁会所に入り浸り状態のように、当時の緒方も塔矢邸に入り浸り状態の頃があった。 せめてもの手伝いに、緒方はアキラの面倒を見た。 『あの頃のアキラ君は可愛かったなあ・・・』 確かに素直で可愛かった。それが、今では・・・こんな状態である。 ぐおーぐおーとアキラの高いびきが聞こえる。 『親父・・・くさい』 まだ、18歳前だと言うのに、世間の疲れた親父のような醜態だ。 いや、これは正しくない。 アキラが世間の疲れた親父なら、日本の未来は眩しすぎるだろう。何せ、元気が有り余っている男だ。 「うわばみアキラ」の名前は伊達ではない。それほど、アキラの食欲は凄まじいのだ。 その手始めは、今、部屋で寝ているだろう押しかけ弟子だった。 はっきりきっぱり力技でねじ伏せて、矜持を崩さずに追いかけてこれたのは、ヒカルだけである。 100dハンマーで殴られても平気でいられるのは、進藤 ヒカルくらいなものだろう。 まあ、最初はヒカル(佐為)が100dハンマーで殴ったのだが。 「ふう、俺も年を取ったかな?」 馬鹿馬鹿しい呟きに、律儀にも返事がある。 「そんな事ないよ」 足下から聞こえた声ではない。背後からだ。 「起きたのか?」 「うん、風邪引かないかな?二人とも」 「ふん、そんなにやわじゃないぜ。何せ、怪物だからな」 悪態をつきながらでも、緒方はアキラと白川の毛布を直してやった。 「何か飲む?俺、入れるよ」 「そうだな。珈琲、いれてくれ」 緒方は灰皿を持つと、テーブルへと移動した。そこで、火をつける。 「本当になあ。俺も甘くなったもんだ」 「緒方先生は昔から、良い人だよ。俺はそう思ってたよ」 かちゃかちゃと作業の傍らに、ヒカルが苦笑を零す。 「・・・お前は良いやつだよな」 タイトルを手にする為に何もかも、切り捨ててきた。 自分は凡人だから、色んなものを捨てないと、勝てないと思っていたのだ。 そんな自分に、全てを戻してくれた人物が、目の前にいる。 はた迷惑な押しかけ弟子だ。 だが、一番感謝してるのは、緒方自身だ。 コトリとカップが緒方の前に置かれる。 「俺ね、アキラも白川先生も和谷も、みんな大好きだよ。でも、アキラの性格が変わったのは俺のせいだと思うけどね」 肩を竦めてヒカルが笑う。 「ああ、そうだな。だが・・・良い方向に変えてくれたよ」 まるで、アキラと兄弟の様に過ごした頃が戻ってきたようだ。 「俺、囲碁をしてて良かったなあって、つくづく思うよ。こんな楽しい世界を見せて貰って、俺は・・・。師匠、ありがとう」 それは俺か? 問いたいが。緒方は変りに珈琲に口を付けた。 ヒカルの本当の師匠は不問だ。 俺にはそれだけの器がある。 緒方の見栄だ。 「でも、塔矢ったら、本当・・・。いびき五月蠅いよ」 「何だ?いびきで目が覚めたのか?」 「まあね。だって、白川先生、静かでしょ。酔ってなかったから」 緒方がきょとんとした顔をする。 「は?」 「うん、ここに来た時、酔ってなかったよ。塔矢が面白かったからだって」 「・・・・・・・」 腐れ縁 その単語が、緒方の脳裏に点滅する。 腐っても切れないのは、中に鎖が仕込んであるからだろう。 「・・・鎖縁か」 「腐れ縁?」 ヒカルの問いに緒方は首をふる。 「違う。チェーンの事だ。鎖」 「ああ、鎖ね。結構、ぶっといよね。俺たちの鎖って」 そうか、そうだな。確かに太いな。 緒方は自分の足に絡まる鎖を見たような気になった。 |
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