ヒカルの碁 いろは〜押しつけ弟子
押しつけ弟子

「へえ、そう。それで、進藤君は無事だったんですね」
 白川がビールのコップをぐいと空ける。
「ええ、そうなんですよ。しかし、あの女、年増のくせに進藤に手を出すとは良い度胸です。緒方さんが、役にたって良かったですよ」
 あははとアキラは豪快に笑いながら、酎ハイを空ける。
 年増ってあんた・・・。
 アキラの暴言を聞き流しながら、和谷は、こいつたいした猫だと感心する。
「役に立たなかったら、後でお仕置きしてやろうと思いましたけどね」
 怖い弟弟子である。
 お仕置きとは一体なんなのだろう?
「でも、何で、塔矢は相手の年齢知ってたんだ?」
 和谷のもっともな疑問に、アキラはふふっと右の人差し指をゆする。
「それはね、和谷君、僕が運転免許見たからだよ。華麗なる早業でね」
 こいつ、こんなキャラだったのか・・・
 和谷は脱力を隠せない。
「しかし、進藤君に目をつけるとは・・・お目が高い女性だ」
「年増ですけど」
「おい、それ、失礼な暴言だろ?」
 ついついたまりかねて、和谷が口を出す。
「暴言だよ。僕はあ、尊敬する人間ならどんなに年が上でも、敬意を払うけどね。それ以外にはスマイル0円でも惜しいんだよ」
 なるほど。
「それは良い心がけですね」
 にこやかな白川に、和谷は再びため息が出る。
「進藤は、悩殺スマイルの持ち主ですからね」
 悩殺スマイル。確かにそうだ。
 進藤 ヒカルは、万人受けする笑顔の持ち主だ。それが幸いして、指導碁でも可愛がられているのだ。
 最初にその名をつけたのは誰だったか・・・。
 もしかしたら、アキラかもしれない。
「それにしても、緒方さんは、無茶をしますね」
「ええ、そうなんですよ。女性ばっかり指導碁を入れるんですよ。あの兄弟子は」
 ごくりとアキラは酎ハイを干して、高らかに「おかわりおねがいしま〜す」と、ジョッキを上げる。
「ええと、今度は梅サワーで」

「でも、今回は大分こりたはずですよ。緒方さんも。大事な弟子ですからね〜」
「そうですね。あんな男に来る弟子は、進藤君以外いないでしょうね」
 白川のしみじみとした呟きには、和谷も納得するしかなかった。
 緒方 精次は確かに、難物だ。
 その難物と一緒にいるだけでも大したものなのに、弟子として師匠として成り立っているのが、驚きだ。
「ところで、進藤君は彼女いないの?」
 白川の質問に、アキラは即答で返す。
「いません」
 って、何でお前が知ってるんだ?
「そうですか。で、経験ありなんですかね?」
 さりげないが、爆弾投下だ。
「なしでしょう。ん・・・多分。緒方さんが手出ししてないなら」
 爆弾二発目だ。
「な、なんでだよ。緒方先生が何だって進藤とだよ」
 和谷の慌てた声に、アキラは梅サワーを飲みながら、にやりと笑う。
「え?何でって?ええとね、ほら、年増に酔い潰された進藤と緒方さんが同じホテルに泊まったからだよ。一つのベッドでね〜」
 にっこり。
『うおおお〜。そんな馬鹿な〜』
 冷や汗だらだらだらだら・・・
「なんちゃってね」
 目の前で、カッパ頭を叩いている男に、和谷はケリを入れたくなった。

 こいつ、酔ってるじゃないか〜!

 見ると、伝票にはひいふうみいよおって、
『五杯目かよ』

 そんなこんなの和谷君の受難はまだまだ続くのだった。


「塔矢君は彼女いないの?」
 白川の問いに、アキラはにへらと笑う。
「いませ〜ん。碁が恋人〜。あんなにいけずで美しい人はいませんよお。強いて言うなら、進藤が恋人〜。僕の最愛の人〜です」
 おいおい。やはり塔矢門下って危ない野郎じゃんか。
「へえ、まあ、若いからねえ。僕も進藤君との恋を応援するよ」
「えへへ。ありがとうございます。でもね、僕の初恋は実ったのですよ〜。初恋は実らないとか言われるけど、進藤は僕の碁の伴侶です〜」
 ああ、そうかい。
『まあ、進藤もそう思ってるから良いか』
「もう、一生、別れませ〜ん。一生〜離しませ〜ん」
 ああ、ストーカーだもんな。
「今度、結婚祝いでも送らせてもらいますよ」
 あはは。と、豪快に笑う兄弟子を見ながら、和谷はやっと理解した。

『白川さん・・・酔ってる・・・』
 が〜ん、素面なのは俺だけ?俺だけ?

 そんな〜!!


 酔っぱらいをタクシーに乗せ、行き先を告げる。
 酔っぱらいなのに、一見、酔っていないように見える二人だ。
「・・・厄介払い・・・」
 和谷は、緒方のマンションの前にタクシーを止めると、緒方を呼び出す。
「こんばんわ。和谷です」
「お?どうした」
「届け物です。玄関に置いておきますね。生ものですから、宜しく!」
の、捨て台詞とともに、ダッシュで逃げ出した。
「運転手さん、早く出して。駅まで」
「あいよ。お客さん、一人だけかい?」
「そう」
「塔矢 アキラは良いのかい?乗らなくて」
「良いのって、運転手さん?」
 和谷がネームプレートを覗き込む。
「河合さんかあ。ああ、びっくりした。あいつら、酔っぱらってるんだよ。だから、嫌がらせで置いてきた」
「へえ、何処に?」
「・・・緒方先生のマンションだよ。あそこ」
 河合は暫くの沈黙の後、
「・・・気の毒だな。緒方先生」
と、ハンドルを切った。


 さて、生ものを託された、緒方 精次は、ロビーに出て、唖然とする。
「「やあ、緒方さん」」
と、二人がにこやかに手を上げて挨拶するのだ。
 上機嫌の二人の顔を見ると、緒方にも事情が飲み込めた。
「・・・まあ、上がれ」
 ここに置いておくわけにはいかない。


「あれ、白川先生に塔矢?どうしたの?」
「和谷が置いて行った。手に余ったらしい」
 緒方は苦虫を噛みつぶした顔で、ヒカルに答える。
「ふうん、そうなんだ。じゃあ、酔ってるんだね」
 ヒカルはさっそく碁盤を用意する。アキラは酔うと、検討魔になるのだ。
「塔矢、こっちだよお〜」
 ここ、こことヒカルはリビングのテーブルに碁盤を置く。
「えへへ〜。今日は検討しなくて良いよお。今日の検討はあ、進藤の検討〜」
 はあ?何ですと?
 緒方とヒカルが唖然とする中、アキラは上機嫌で緒方をびしりと指さす。
「緒方さん、進藤を傷物になんてさせてませんよね。そんな事、僕が許しませんよ。あんのお、年増女。進藤にキスなんてして」
 僕の進藤が汚された〜。
 しくしくと何が悲しいのやら。
「いや、俺、大丈夫だったから・・・」
「それが、あの馬鹿兄弟子のせいだと言うじゃないか。ねえ、緒方さん。僕の進藤が手込めにされたら、どう責任取るんですかあ〜」
 くわっと噛みつかれて、流石に緒方も切れた。
「何で俺が責任とらなきゃいけないんだよ!この酔っぱらい」
「何ですって!酔っぱらいはともかく、責任を取らない?彼は父と森下先生からの預かり者なんですよ。自覚なかったんですか?!そんな事だから、二冠だけなんですよ」
 びしっと突き刺された指が、緒方の心をえぐった。
「・・・言ってはならん事を言ったな。このアホラ」
「へえん、本当の事ですから」
「前から言っているが、酒は飲むな!だろ!」
「論点をすり替える気ですね」
 ばちばちと激しい火花が二人の間に散り合う。
「勝負ですね」
「勝負だな」
「息の根を止めてあげます」
「返り討ちにする」
 じゃらっと、石が握られた。

「ねえ、白川先生は本当に酔ってるの?」
 ヒカルは白川に水を渡す。
「まさか。酔ってなんていませんよ。ただ、何となく、面白い物が見れそうだから」
「良い趣味だね」
 にこりとヒカルが笑う。
 悩殺スマイル炸裂だ。
「ええ、良い趣味でしょ?いつも褒めて貰うんですよ」
 流石、静かなる実力者である。

「・・・ありません」
 その声がどちらの声だったのか、寝てしまったヒカルは知らない。
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