ヒカルの碁 いろは〜私の声が
私の声が

 北斗杯が迫っている。

 一番最初の北斗杯は、爽やかな初夏の五月だったのだが、現在の北斗杯は夏休みの最初、つまりは、七月の後半に行われている。
 最初の年は、アキラは忙しさもあってシード枠を貰っていたのだが、次ぎの年からは本人たっての希望で、外してもらった。
 理由は、ヒカルがタイトル戦に残った為だ。シード枠を用意するなら、二人分の用意がいる。では、残りは一人だ。
 それでは、不公平と言うわけだ。
 北斗杯三年目は、アキラとヒカルは棋戦を辞退した。
 その頃の二人は多忙を極めていた為だ。
 とにかく、忙しい。休暇もないし、休みも休めない程だった。
 だが、今年で二人も北斗杯の年齢制限ぎりぎりだ。だから、今年は選抜を受けた。

 決まった今年のメンバーは奇しくも、最初の北斗杯と同じメンバーだった。
 そして、あの時と同じ合宿もどきが始まった。

「俺は今年は残ったぜ」
 社は去年の北斗杯には、メンバー落ちしていた。去年の北斗杯は、越智・和谷・中部のプロの青年だった。
「おお、最初で最後の北斗杯だよな。しかし、今年こそマジに優勝したいなあ」
 北斗杯の勝者は、この棋戦が始まった時から何時も韓国だ。
「そう言えば、今年は永夏がいないな」
 永夏はアキラ達より一つ年上だ。今年の大将は英秀だろう。
「英秀か。そうかもしれないね」
 前回で、味をしめた三人はさっそく超早碁を始める。
 アキラ命名、「超回転碁」は、三人だけのローテーションもありとても早く回る。
 三時間を経たところで、ほぼ同時にペースが落ちた。
「あかん」「俺も」「僕も」
 そんな時だった。
 ぴんぽーん!

「あれ?師匠!」
 緒方が立っている。
「よ!がんばってるか?」
 緒方の顔を見て、社が驚く。一体、何で緒方がいるのだろう?と。
「ああ、社。俺、緒方先生の弟子になったんだ。一番弟子だぜ」
 かっこいい?
 社が口をあんぐり開けて、二人を見比べる。
「え?何でや?緒方先生の弟子?進藤が?」
「そうだよ。俺は一番弟子〜」
 すかさず緒方。
「二番はない」 永遠欠番だ。
「まあ、成り行きの弟子だ」
 押しかけ弟子なんだ。と、緒方は肩を竦める。
「でもね、師匠はこうやって覗きに来てくれるんだよ〜」
 優しいでしょ?ねね、社。
 問いかける社の顔が微かに引きつっている。緒方とヒカルが弟子なのは間違いないが、どうも別の意味で胡散臭いのだ。
「で、何で今日は来てはるんです?いくら師匠やからって・・・」
 社のズバリの指摘に、緒方は周りをぐるりと見て、ヒカルに聞く。
「・・・進藤、アキラ君、何処だ?」
「あ、珈琲入れてくれるって。緒方先生も来たし」
 そうか、珈琲か。
「ジュースじゃないんだな」
 ジュースにはもれなく、梅酒の水割りと言う名前が付いてくるのだ。
 緒方は上着を脱ぐと、盤面を見つめる。
「む、早碁だと言ったな。俺と打ってみるかい?社君」
 社は頷くと、碁石を握った。


「やあ、やはりキツイですわ」
 5分後に社は頭を下げる。
「おや?もう、終わったの?じゃあ、お茶でも飲もうか」
 アキラは茶托に、三人分のアイスコーヒーを置く。自分の分はお盆に載ったままだ。
「緒方さんの早碁は久々ですね。次ぎは僕と打ってくださいね」
 そう言うと、ずずっと自分のアイスコーヒーを啜った。
 殆ど一息で飲み干したそれを、緒方が掴むと匂いを嗅いだ。
「・・・カルアミルク・・・」
 緒方の顔がじとりとアキラを睨むのだが、アキラは涼しい顔だ。
「これはアイスコーヒーですよ。だって、コーヒーの匂いでしょ?」
「そうだな。コーヒーの匂いだな・・・」
 良い度胸だ。
「俺には素面でなくても勝てると言うわけだ」
「酔拳って知ってます?酔えば酔うほど強くなるやつですよ」
「上等だ」
 ばちばちと激しい応酬の後・・・緒方は負けた。
「酔拳・・・なのか?俺は酔っぱらいに負けたのか?」
 呆然自失の緒方にヒカルは慰め?の声をかけた。
「あのね、師匠。塔矢は酔うと今までの遠慮とかプレッシャーが吹き飛ぶらしいんだ」
 あれで結構、繊細なんだよな。
「・・・アキラ君は俺より上なのか・・・」
 ヒカルは首を傾げる。
「さあ、どうかな?俺だって、師匠には勝ったしね」
 ヒカルの言葉にますます落ち込む緒方だ。
 それを横目で見ながら、社は内心で同情を禁じ得ない。
 だが、再戦を申し込んだ緒方に、アキラはころりと負けた。
「ち、酒の量が足りなかったか・・・」
 アキラの呟きに、とうとう緒方の雷が落ちた。

「俺の言葉を聞かないか!この阿呆!」

 がみがみがみと辺り構わず怒鳴り散らすのだが、本人はのへと呑気な物だ。
「やだなあ、緒方さんは。僕らは北斗杯前で、神経が高ぶってるんですから」
 あんまり怒鳴らないで下さいよ。メンタルに響きますよ。
 隣で聞いていた社が唖然と、言葉を失う。
『あの、最初の北斗杯の時の志気がどうのこうのとゆうとった塔矢か?マジで?』
 つくづく酒は人を変える。
 いや、元々こんな人間だったんかもな。
「そんなに怒鳴ると、ほら進藤もびっくりしてますよ」
 指さす方向には、ヒカルの赤い顔がある。
「え?何か・・・暖かいよお。師匠〜。だあい好き〜」
 てろっと、緒方の腕を取るとそのまま抱きついて、こてんと眠ってしまった。
「・・・進藤?どうした?」
 ヒカルは緒方の腕でくかくかと寝こけている。
「あ、さっき、僕、お代わりを台所に置いてたんですよね。もしかしたら・・・」
 アキラが台所で、空のグラスを持ってくる。
「あ、やっぱりない。しょうがないなあ。甘いから飲んだんだね。そうゆうわけだから、社、今日は終わりにしようよ。何か飲む?梅酒が余ってるんだけ・・・」
 がちん!と、アキラの頭に拳骨が振り下ろされる。


「俺の声が聞こえなかったのか!」



 社は一人の寝室でデイバックを開ける。
「しゃあないな、一人で飲むか・・・塔矢に見つかったら、全部無くなってしまうわ。ほんま、洒落ならん」
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