幻想水滸伝 空の羽根番外
 グレミオがテオ=マクドールの家に下男として引き取られたのは、16歳の時だった。
 9歳で両親を亡くし、放浪の末に行き着いた場所。それがマクドール家だった。
 さて、この時、テオの嫡男でたった一人の息子のティルは6歳だった。何かと気むずかしい年頃でもあったので、グレミオとはそりが合わなかった。(ティルが一方的にだが)
 しかし、グレミオが命をかけてティルを誘拐犯から救い出してくれて以来、年の離れた兄弟のように、信頼関係を置いてくれるようになったのだった。
 その時にグレミオの顔についた傷は今でも左頬一面に大きな十字を刻んでいる。
 まあ、そんな傷がありながらも、グレミオはとても美人だ。
 一般的な基準から言えば、上の上である。
 そんなわけで、右からグレミオを見る者は、街中で十人中九人は振り返る程だ。

 グレミオは下男として雇われていたのだが、料理人が引退して以来、家人の食事はほぼ、グレミオが取り仕切っている。
 もちろん、宴会等の食事には料理人がやって来るし、街の食堂等から届けてもらう食事もある。
 広い屋敷なので、庭は庭師、掃除はメイドを雇っているが、グレミオの希望として料理人は雇ってはいない。
 マクドール家の厨房は、グレミオ一人に任されているのだ。
 と、言ってもマクドール家にはそんなに人はいない。
 テオとその部下のクレオ、フィルだけの生活だ。
 大貴族なのに、使用人が極端に少ないのは、テオが家を空ける事が多い為だ。
 軍事訓練か遠征にと走り回る日々である。
 無駄だと、如何にも軍人と言う考えで、マクドール家には使用人が少ない。
 だが、誘拐事件以来、テオも思うところがあったのか、自分の部下であったパーンと言う青年を連れて来た。
 彼もテオが拾って来た人物だ。
 暫くは兵舎に住んでいたのだが、人を威圧する雰囲気に、協調性を考慮してテオが自宅に引き取ったのだ。

「テオさまのお屋敷、大きいですね」
 パーンの言葉に、
「大きさだけはな」
と、返すテオだ。
「だが、今は息子とグレミオとクレオしか住んでないんで、遠慮はいらない」
 カラン。
 呼び鈴の音にグレミオとクレオが走って迎える。
「テオさま、お帰りなさい」
「あれ?パーンじゃないですか?どうしたんです?」
 クレオが首を傾げるのに、テオはうちに下宿すると手短に告げ、グレミオを見る。
「あ、はい、じゃあお部屋を用意しますね」
 さて、何処にしましょう?
「あ、じゃあ、私の部屋の隣で良いでしょ?部屋は広いから」
 にこりと笑うクレオだ。
「そうですね。私の部屋は厨房の近くなんで、何か用事があればどうぞ」
 さて、ではお部屋を用意します。
「あ、テオさま、今、お茶を」
「私はソニアの顔を見に行って来るよ。ゆっくりと用意すると良い」
 テオもグレミオもいなくなってから、パーンは
「あの傷・・・どうしたんだ?」
と、言い難そうに口に出した。
「あ、あれか。あれは、フィルさまが誘拐された時に作った名誉の傷だ。グレミオの誇りだ」
 そうなのか。あんなに綺麗な顔なのに。
「本人が名誉だと思っているんだから、同情はするなよ」
 クレオはグレミオに対しては、姉のつもりでいる。たった一つしか違わないが、勝ち気な自分に対して、グレミオの一歩下がった献身は、とてもでは無いが真似出来ない。
 時々、グレミオが女でクレオが男ならぴったりなのにと言われる事もあるが、そんな時、グレミオは
「私は私に出来る事で坊ちゃんをお守りするだけです。私には武芸の才は無いので」
と、微笑むだけだ。
「可愛い弟分だからな。苛めるなよ」
 ?と、パーンの顔が唖然とする。
「弟分?って、グレミオって」
「?お前、まさか、グレミオが女だと思ってたんじゃないだろうな?グレミオは男だぞ。今・・・確か、19才だったはずだ」
 ええええ!!!
「あんなに綺麗な目で髪で、俺と一緒の男?見えない」
「そりゃあ、お前に比べたら、グレミオは男に見えないかもしれないな」
 クレオは長身でいかにも格闘家なパーンを見上げ、そうだなあと笑う。
「言うなよ。グレミオには」
「あ、ああ。解ってる」
「じゃあ、ティルさまの所に挨拶に行くか。今頃は勉強中だ」
 突然やって来た、パーンにフィルは驚いたが、クレオの紹介で、ぎこちないながらも挨拶を交わした。

 さて、その日の夕食にいたく感激したパーンだ。特に豪華な料理では無いが、味も良いし量もあった。
「グレミオは又、一段と腕を上げたな」
 テオの言葉に、グレミオは「恐れ入ります」と、頭を下げている。
「あの、もしかして、これ、お前さんが?」
「あ、はい。私が作りました」
「グレミオのシチューは美味しいんだよお」
と、フィルが満面の笑顔でお腹をさすっている。
「お腹いっぱい」
「そうですか。美味しかったですか。坊ちゃん、ありがとうございます」
 うわあ、すげえ満面の笑顔。
 確か、グレミオはフィルさまのお守り役だったよな。
 パーンはこっそりとグレミオを見ながら、そわそわとした気分になる。
『本当に男か?』
 何かすげえ綺麗なんだけど?本当に俺と一緒の男なのか?
 美男な奴は兵舎にもいたけど、何かこう雰囲気が違うよな。
「パーン、今日は足りました?」
「え?ああ、腹一杯になった。ありがとう」
「そうですか。では、量はこれくらいで」
 ああ、やっぱ、すげえ美人だよなあ。
「ど、どうも・・・」

 コンコン
「クレオだ。入るぞ」
 どうぞと言う前にクレオは堂々と部屋に入って来る。
「おい、クレオ。若い女のくせになんちゅう慎み無い事してるんだ?」
 まったく・・・。
「グレミオとは大違いじゃないか」
「私は元々こう言う性格だ。それより・・・」
「何だよ」
「お前・・・グレミオに我が儘言うなよ」
 そりゃあ、もちろん。そんな事は言わないぞ。
「グレミオは真面目だからな。手抜きと言う事をしない。それに・・・」
「それに?」
「グレミオは武人に憧れのようなものがあってな。ちょっとコンプレックスが入っているんだ。グレミオは可愛い弟だ。困らせるような事をするなよ。あいつには苦労させたから・・・あの傷は私の戒めでもあるんだ」
 グレミオの左頬に走る傷。
 それはグレミオがフィルをかばってついた傷だと言う。きっと誰もが勿体ないと思うだろう。
「でも、グレミオは坊ちゃんが誘拐された時、守りきれなかったのを悔やんでいてな。自分に私のような力が無かったからだと思ってる」
 パーンもフィルが誘拐された経過は知っている。
 その時は卑怯な話だと思っていたのだが、グレミオの話は知らなかった。
「そうか、気をつける」
「お前の気をつけるはあてにならないがな」
と、クレオは言いつつも釘はさしたとばかりにさっさと出て行ってしまった。

 小気味よい音が聞こえるので、裏庭を覗くと、グレミオが薪を割っている。
 優男に見えるが力はあるらしく、慣れた手つきを見て、パーンは感心した。
『やっぱ、男だよな』
 束にしてぎゅうぎゅうと麻縄で縛り、倉庫に積み上げていく。
 下草を踏んだ音にグレミオが顔を上げた。
「あ、パーン」
「ああ、何か手伝う事ないか?」
 そうですね。
 グレミオは考える素振りだが、?と、首を傾げる。
「俺が薪割をしようか?」
「え?良いんですか?」
 自分の仕事だと思っていたんだろう。パーンの言葉は意外だと言う顔だ。
「ちょっとコツがいりますよ?」
 薪割りは実は力任せでは無い。確かに力はいるが、コツで補う部分も多い。
「大丈夫だ・・・と思う」
 そう言って、ナタを取るとパーンは薪を割り始めるが、5本ほど割った所で、グレミオのストップが入った。
「パーン、申し訳ないですけど、薪は均一で割った方が、火の周りが良いんです」
 不揃いだとちょっと困る・・・。
 確かにパーンの割った薪は不揃いだ。
「す、すまん」
「良いんですよ。慣れないと上手くは行かないものです。ありがとうパーン」
 パーンは自分の顔が赤くなるのを感じた。
 な、何でこんなにどきどきするんだろう?
「どうしました?パーン」
「あ、何でもない。まあ、力仕事なら任せてくれ。何時でも手伝うから」
「お願いします」
 ああ、相変わらず綺麗な笑顔だと惚けた後に、パーンは自分が俗物な事に気がついた。
「す、すまん。ちょっと用事が出来た」
 慌ててグレミオの元を去るパーンだ。

「パーンはちょっと恐いね」
 フィルは今まで父親とグレミオくらいしか身近な男性を知らないので、困ったようにグレミオの袖を引く。
「そうですか?」
 まあ、確かに恐いと言うなら恐い人ではあるだろう。
 なかなかの腕だと聞く。
 格闘家の男性とはあんな感じだとグレミオは思うのだが、カイ師匠は武闘家としても達人、殺気など幼いティルには見せない。
 そう言う点でフィルも違和感を感じるのだろう。
「でも、パーンは良い人だとグレミオは思いますよ。だって、グレミオを見る時、何時も笑ってますから」
 クレオが聞いたら、このにぶちん と思っただろうが、グレミオは真面目にフィルに返すのだ。
「そうかなあ?グレミオはパーンが好きなんだ」
「そりゃあ、坊ちゃんが一番ですけど、パーンも好きですよ」
 テオさまもクレオも。
「僕は父さんとグレミオが好きだなあ。クレオも。パーンはちょっと解らないや」
 僕もパーンの事好きになるかなあ?
「坊ちゃんもパーンの事、好きになりますよ」

 さて、そんなグレミオだが、以外と視線には敏感だった。
「あの?パーン、何か用ですか?」
「あ、いや、何か手伝いはないかと思って」
 ありがとうございます。今は無いですよ。
「ああ、そう・・・」
 残念そうに去るパーンを見て、グレミオはクレオに相談を持ちかけた。
「と、言うわけで、パーンに何かお手伝いをしてもらった方が良いのでは?と、思うんですけど」
 何時もこちらを見てるんですよ。
「テオさまに気を使ってるんだと思います」
 これを聞いたクレオは「頭痛い」と思った。パーンもパーンならグレミオもグレミオだ。
「なあ、グレミオ、パーンの事、どう思う?」
 きっと何も思って無いんだろうなあ?とは思うが、一応は聞いてみる。
「はあ、良い人ですね。酒樽を出してくれたり買い物の荷物持ちをしてくださったり」
 気が利く人ですよね。
「・・・と、お前は想うわけだ」
「違うんですか?」
 心底不思議だとグレミオは首を傾げる。
「いや、親切なやつと言うのは当たりだ。お前限定だがな」
 ?
「ええと、ご飯作ってるからですか?クレオ」
「それもある」
「他にも何かあるんですか?」
 天然・・・と、言う言葉がクレオの頭を過ぎったが、これは姉として意見を言うべきだとも思った。
「ところでグレミオは、恋愛とかした事無いのか?」
 はあ、そうですねえ。
「そう言えば、無いですね」
「じゃあ、好きな人はいないのか?」
「好きと言うなら坊ちゃんとテオさま、あ、クレオも。パーンもです」
 いや、その好きじゃなくて。
「恋愛として好きな人は?」
「いないですね」
 小首を傾げるグレミオだ。
「経験無いわけじゃないだろ?本当に恋愛した事ないのか?」
「ないですね」
 恋愛したいとも思わないですし。
「・・・それは坊ちゃんに気兼ねをしてるんじゃないだろうね?」
「違いますよ」
「あのな。もし、身近にお前が好きな奴がいたらどうする?お前の事を恋愛対象でみてる奴がいたらどうする?」
 グレミオは暫し考えていたが、首を振る。
「思いつきもしないですね」
 クレオは内心でため息をついた。
 パーン、可哀想になと。

 さて、そんな報われないパーンだが、密かにグレミオに贈り物などを贈ろうと街に出ていた。
「何が良いかな?」
 市場には色とりどりの花や布、果物が溢れている。
「ううん、何が良いかなあ?」
 店先で呟く声を聞き、売り子は品物を見せる。
「贈り物ですか?恋人に」
 恋人・・・。
「あ、いや、日頃お世話になっている人に。恋人と言うわけじゃあ・・・」
 そうですか。これなど如何?
 見せられたのは綺麗なリボンだ。
「絹ですよ」
「綺麗だな。喜ぶだろうか?」
 あの金髪に栄えるだろうか?と、パーンは考える。
「良いものですから、喜ばれると思いますよ」
 パーンはそれを買うと懐にしまった。
「・・・恋人かあ」
 俺、グレミオの事が好きなんだよな。
 一目惚れだ。
「グレミオ、喜んでくれるかなあ」
 その思いの通り、グレミオはパーンのプレゼントをとても喜んでくれた。
 日頃のお礼だと言えば、照れた笑いで受け取ってくれたのだ。
「おや、それ、どうしたんだ?」
 クレオの言葉に、グレミオはパーンにもらったと返す。
「・・・そうか、良く似合ってるぞ」
「そうですか?嬉しいですねえ。こんなに気にかけて貰えるなんて」
 ご飯作ってるだけですのに。
「グレミオ・・・ちょっと良いか?」
 はい?何か?
「あのな。親切には下心があると思わないか?」
「あ、成る程。ご馳走ですね。それはうっかりです。では、買い物に行って来ますね」
 くるりと背中を向けたグレミオに伸ばした手をクレオは引っ込めた。
「グレミオも19歳なんだからぐだぐだ言う必要も無いか」
 それにしてもパーンは、本気らしいな。

「なあ、パーン。お前本気なのか?」
 夕食後、クレオはパーンの部屋に押しかけ、勢いで彼を壁際にまで追い詰めた。
「あのリボン、お前のプレゼントだって?」
「あ、ああ」
「まあ、グレミオも大人だからとやかく言うのは間違っているが、それでもあいつはお前に人並みな好意しかないからな」
 期待するなよ。
「・・・俺、グレミオの事が好きなんだよ」
「それは知ってる。でも、グレミオは恋愛はした事が無いと言っていた」
 どうだ?
「恋愛した事が無い?」
「好意に疎いらしいな。あんなにあからさまなのにな」
と、言うか男に惚れられるとは考えてないのかもな。
「・・・そうだろうなあ」
 落ち込んだ顔でパーンはため息を吐いた。
「・・・グレミオも大人なんだから何か言うのはお門違いだと思うんだけど・・・あんまり無理な事はしてくれるなよ」
 グレミオは坊ちゃんがさらわれてから、ずっと坊ちゃんの為だけに心を砕いて来たんだ。
「それは解ってる」
「解ってるじゃ駄目なんだ。お前は具体的には何一つ解っていない」
 パーンはちょっとむっとしてクレオに反撃をする。
「じゃあ、クレオは解ってるのか?」
 グレミオの事。
「まあ、一応な。これでも姉変わりなんだからな」
 話はそれだけだ。じゃあ、私は寝る。起こすなよ。
 クレオの寝起きの悪い事はパーンも良く知っている。起こす気はさらさら無い。
「って言い逃げかよ」
 クレオを見送ったパーンは頭を掻いた。

 そんなわけでパーンの恋は進展する所か後退したようなものだ。
 そんなパーンにグレミオは相変わらず無駄に優しい笑顔で接していたのだ。
 パーンの忍耐力に感心したクレオは、密かにパーンに同情すると供に、グレミオの無自覚にも歯噛みした。世の中、これ程のにぶちんはいないのでは?と。
「なあ、グレミオ」
「はい、何ですか?クレオ」
「お前、パーンの事どう思う?」
「どうって好きですよ」
 間髪入れずに答えが返って来ると言う事は、ただの好きだ。
「いや、その好きじゃなくてな」
「はい?」
「・・・パーンはお前の事が好きなんだがな。その男と女のような関係で好きなんだがな」
「まさか、違いますよ」
「いや、違わない」
 クレオの言葉にグレミオが急に憮然とした顔になる。
 表情が一変する。
「それは困ります」
「ええと、やっぱり男となんて嫌だよな」
 グレミオは難しい表情で首を振る。
「そんな事じゃありません。私の第一は坊ちゃんですから、恋愛にうつつを抜かす暇はありません」
 坊ちゃんの傷はまだ癒えては無いんです。
 その言葉にクレオはすまなかったとため息を吐く。
「そうか。まだか」
「坊ちゃんが大人になったらその時は私も離れますよ」
 それまでは坊ちゃんの為にいたいんです。

 夜、皆が寝静まった頃の事だ。グレミオの部屋のドアをノックするものがいる。
「誰ですか?」
 開けるとパーンが立っている。
「パーン?」
「入って良いか?」
「ええ、どうぞ」
 グレミオは机に向かって書き物をしていたらしい。服は夜具に着換えてあるが。
「何かやってたのか?」
「帳簿つけですよ」
「お前、自分の事を下男だと言ってたけど、執事の間違いじゃないのか?帳簿つけなんて?」
 まあ、先のコックと執事がお仕事を引退した時に私が継ぎました。坊ちゃんに仕えている私なら先々、役に立つと言う事で。
 坊ちゃんは次代の当主ですから。
「どうぞ。お茶でも入れますよ」
 座ってください。
 グレミオはパーンのお茶を入れてくれた。パーンは何だかそわそわと室内を見渡すと、お茶を持ち上げた。
「何か用ですか?」
「・・・グレミオ、突然で悪いが、俺はグレミオの事が好きなんだ」
 グレミオはため息をつくと、お茶を啜った。
「グレミオは俺の事、嫌いか?」
 パーンの言葉にグレミオは答えなかった。
「俺・・・一目会った時からお前の事が好きなんだよ」
 大きな身体のパーンは身を折るように椅子に座り、グレミオの返事を待っている。
「・・・私はパーンをそう言う意味で好きじゃありません。もちろん、パーンの事はここの家族だと思っています。それじゃあ駄目ですか?」
 あっさりと振る言葉をグレミオが口にして、パーンは悲しくなった。家族と言う言葉は重い。
「・・・駄目と言ったら?」
 グレミオはどう返事をするだろう?パーンはとっさに思った事を口に出す。
「・・・そうですか。パーンを連れてきたのはテオさまです。私はテオさまに仕えてますので、テオさまの決めた事には何も言いません」
 でも、パーンを恋人にする事は出来ません。
「私は坊ちゃんが大きくなるまでここに・・・坊ちゃんの為にいます。パーンの為ではありません」
 パーンは何故。私の事を思ってくれるのです?
 一体、何処がそんなに気にいったんです?
「あ、俺は・・・その・・・グレミオの笑顔が綺麗だったから」
 それまで険しい顔だったグレミオの顔から力が抜ける。
「私の笑顔?」
「ああ、うん。凄く・・・綺麗だったから・・・その・・・」
 パーンはグレミオに手を伸ばすと引き寄せ抱き込んだ。
「グレミオ・・・好きなんだ」
 パーンは力を込めるとそのままベッドにグレミオを沈め、抗わないように力を込めた。
「好きなんだ。グレミオが」
 顔をパーンの胸板に押しつけられているグレミオは返事のしようも無い。
 それどころかかなりヤバイ状況でもある。
 グレミオとてこの手の事がまったく皆無だったわけでは無いので、かなり困っていた。
 別にここで所謂夜の営みを交わすのは100歩譲って良いのだが、
『恋愛はごめんだ』
 冷めたように腹の中でグレミオは思う。
 それだけは譲れないのだ。

 どすどすとグレミオはパーンの背中を叩くと力を緩めさせた。
「・・・グレミオ」
「パーン、私はここで事を為す事は別にかまいません。が、一つだけ聞いてください」
 恋愛はごめんです。
「私には大切な方がおられます。その方を私は守らねばなりません。坊ちゃんを守らねばなりません」
 グレミオはそれだけをパーンに告げると目を閉じて力を抜いた。

 どうにもこうにもこう言うのは・・・と、グレミオはぼんやりと思う。
 人と肌を重ねたのは最後は何時だったかな?ええと、15?16?それ以降は割と禁欲的な生活を送っていたな。
 いや、何だかそう言う気分になれなかっただけだが。
 あまりにも満たされていたので。
「別に初めてと言うわけでもありませんから、さほど気を使わなくても良いですよ」
 グレミオの言葉に一瞬パーンはぽかん?とするが、何となく辛そうに顔を背けた。
「何ですか?辛気くさいですね」
 こう言うのは楽しまないと駄目なんでしょ?
『って教えてもらったけど?間違いなのかな?』
 恋愛はした事無いからそう言うのは今一解らない。
 恋愛などなくても人は情交出来る。
 実際、グレミオの生活上ではそうだったし、強姦のように乱暴に襲われた事も無い。
 某かの愛情があって抱き合えたと言うのは、幸運な話だ。グレミオにはその理解は無いが。
 これをクレオが知っていたら、又、頭を抱えただろう。お前の性生活はずれていると。
 確かに、グレミオのその手の認識は一般からずれていた。

 ふと、物音が聞こえたような気がして、グレミオは快楽から意識を戻す。
「!」
 息を詰めたのはパーンの方だ。
 グレミオが思いっきり足をけり出して、パーンをベッドから叩き落としたのだ。
「パーン!服を整えてください。早く」
 手早く自分は部屋着を羽織ると、ドアを開けた。
 廊下にはフィルが泣きながら座っている。
「坊ちゃん」
 抱き上げた身体を包むと、どうしました?と、グレミオは笑いかけた。
「恐いの・・・」
「そうですか。じゃあ、一緒に寝ましょうね」
「・・・うん」
 慌てて服を直したパーンに向かい、グレミオはにこりと笑う。
「そんなわけですから、今夜は引き取ってくださいね」
 さ、坊ちゃん。寝ましょうね。
 ほら、風邪引いちゃいますよ。おててが冷たいですよ。

 部屋から追い出されたパーンは、困ったと言う顔でため息をついた。
「そっか・・・坊ちゃんは・・・」
 翌日、パーンがグレミオの部屋にフィルが来た事を話すと、思案する顔になる。
「坊ちゃんはまだあの時の事が恐いんですね。そうですよね。死にかけたんですもの」
 この家に使用人が少ないのもその影響だと。
「あの時、かなりの人数の者が亡くなってね。私はいなかったから・・・力になれなかった」
 目の前で大勢の人が死んだなんて、小さな坊ちゃんにはショックだっただろうね。
「で、パーン。お前は何処まで?」
「未遂・・・だ。いや、途中まで・・・」
「まさか無理矢理じゃないだろうね?」
 この男ならあり得るんじゃないか?と、クレオは鬼の形相だ。
「無理矢理じゃないと思う・・・許可は一応もらった」
 ふうん。
「ええと、その・・・」
 何だい?と、クレオが首を傾げるのに、パーンは暫し思案した後に続けた。
「初めてじゃないと言われた・・・」
「ははん。ショックだったと言うわけ?いや、私もそれは初めて聞いたけど。まあ、色々あったのはグレミオも一緒と言うわけだよ。それでもあいつの事が好きか?」
 ほれ、どうだい?
「・・・ああ、好きだ」
 やれやれだね。
「ま、大切にしてやっておくれ。私の弟を」


「って、あの頃は私も甘かったですよね」
 グレミオはパーンと温泉に浸かりながら、はあとため息を吐く。
「立派におなりになって・・・グレミオに温泉旅行をプレゼントして下さるなんて」
 よよとグレミオはタオルでその目を拭っているが、眼光だけは鋭い。
「ふふ、でも、坊ちゃんは詰めが甘いですからね。上手くなんて行くわけ無いでしょうね」
 そう言う点ではパーンは上手かったですよ。
『何せ、次の日の夜には又私の部屋に来ましたからね』
 いや、あの時はちょっと後悔しましたよ。(グレミオ脳内呟き)
「ね、パーン」
「え?坊ちゃん?ええと、そうかもしれないな。ラズロさんって何だか存在感があるから」
 にこにこと笑うグレミオに、パーンは内心びくびくだ。
 長い付き合いで彼が見かけ通りのたおやかで世話焼きだけでは無いと知っているからだ。
「うふふ、パーンも解ってるんですね」
 あ〜う〜。
『フィルさま・・・グレミオが切れました。俺は無事に帰れるんでしょうか?』
 その後、温泉旅行で何があったかはパーンは誰にも語っていない。
「怒らせると恐い人っているよな」
 だけである。
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